自由と孤独の表裏一体性|ソロボーティングが私に教えてくれること

自由と孤独の表裏一体性
自由と孤独の表裏一体性

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はじめに|なぜ今、ソロボーティングなのか?

人は本来、一人で生まれ、一人で死んでいく──この当たり前の事実に、私たちはわりと無自覚である。人間の意識は一つであり、他者の意識と完全に交わることはできない。つまり人間とは、本質的に孤独な存在だ。

しかし、社会の中で生きる以上、他者と協調し、理解し合うことが“善”とされ、友人や仲間の多さは豊かさに繋がるとみなされてきた。そうした規範の中で、「孤独」は避けるべきもの、“耐える”ものとして捉えられてきた側面もある。

だが今、その孤独をあえて選び取ろうとする人が増えている──それは生来的な孤独を、能動的に生きる選択なのかもしれない。ソロキャンプやソロツーリング、私、理屈コネ田泓の場合はソロボーティング──誰にも頼らず、自分一人でボートを操り、航海するという行為──は、表で自由を体現しつつも、その背後に孤独という影を引きずる、現代的で深淵な営みである。

私自身、本格的にこの世界に足を踏み入れてからまだ数年だ。パワーボートとセーリングヨット、それぞれの特性と付き合いながら、数々の短い航海を繰り返すうちに気づいたことがある。ソロボーティングは、単なる趣味や遊びではなく、“自分という存在”を剥き出しにする精神的な試みなのだと。

自由とは何か|誰にも縛られない航行の快感

出航する日、天気図と風向を読み、潮汐と目的地を頭に入れる。そして誰とも相談せず、自分の判断だけでボートを動かす。これほど純粋に「自分の意思」で始まる行動が他にあるだろうか。

航行中、目の前の風景は刻々と変わり、潮の流れや風の強さ、雲の動きがすべて自分の決断を促してくる。自由とは、選択肢の広さではない。決断の責任を自分で引き受けることだ。ソロボーティングは、それを日常的に味わえる稀有な活動である。

孤独という贅沢|誰にも頼れない状況が生む精神の集中

だがこの自由には、代償がある。仲間はいない。エンジンが止まれば、自分で対応するしかない。天候が急変しても、誰かの判断を待つわけにはいかない。すべてを引き受けるのは、自分だけ。

これは時に、恐怖にも似た感情を生む。だが同時に、これほど「今この瞬間」に集中できる状態もない。スマホの通知も、他人の期待も届かない。ただ、波と風と自分だけがそこにある──とはいえ、実際には、私の航行範囲ではほとんどの海域で携帯電波が届いてしまうのが現実だ。いかに“孤独”を選んだつもりでも、完全な遮断は意外と難しい。

それでもなお、孤独は不安の温床であると同時に、精神の浄化装置でもある。現代の不必要な情報過多の生活に疲弊した人間が、なぜかソロ行動に魅かれるのは、こうした“純度の高い時間”を渇望しているからかもしれない。

現代人とソロ行動|なぜ今「一人遊び」が求められるのか?

キャンプも登山も、いまや「ソロ」が一大ジャンルだ。SNSに写真や感想を投稿する人も多いが、そこにある動機を「承認欲求」とひとことで括ってしまうのは、やや乱暴かもしれない。

私自身を含め、ソロ活動を行う人々は、「見せたい」という感情よりも、「意味を見出したい」「自分の中で納得したい」という内的な欲求に突き動かされているように思う。SNSやブログでソロ体験を記録する行為も、単なる評価への欲望ではなく、“自分にとっての意味”を可視化したいという気持ちに近い。

たとえそれが誰にも読まれなくても、文章にすることで体験が自分の中で定着し、他者とつながる可能性を残す。それが“創る”という行為の核心であり、結果として誰かに届くことがあれば、それは喜び以外の何物でもない。

「誰にも見られていない自分」に価値を感じながらも、「誰かに伝えたい自分」もまた存在する。それは決して矛盾ではなく、人間という存在が本来的に持っている多面性の一つなのだ。

ボート上に映る心の風景|自由と孤独のせめぎ合い

仲間と共に過ごすマリーナの時間も楽しい。航行ルートを相談し、目的地でBBQをし、釣果を比べるのも悪くないだろう。

だが、ソロでの航行はそれとはまったく違う時間をくれる。波のうねり、風のうなり、そしてエンジンの規則的な振動音──誰にも邪魔されない音風景が広がる。誰にも“現在地”を報告する義務がないという状況は、現代人にとって非日常であり、ある意味での解放でもある。

自由のなかに潜む孤独。孤独のなかにだけに芽生える自由。この二つは表裏一体であり、どちらか一方だけを得ようとする試みは、どこかで破綻する。

ソロボーティングが教えてくれたこと

ソロ航行は、単に操船技術を磨くだけの行為ではない。むしろ、自己決定力、自己信頼、そして「誰のせいにもできない世界」のなかでどう振る舞うかという、人間としての姿勢を問う体験だ。

何も起こらない航海にも価値がある。何も起こらないことで、自分がどれほど平穏を享受しているかに気づける。誰もいない海の上で、波と風の音を聞きながら、ふと人生を見つめ直す時間──それこそが、現代における“贅沢”なのかもしれない。

おわりに|誰もが一度は“孤独な自由”を生きるべき理由

私たちは、社会的動物であると同時に、1人の個でもある。誰かと共に生きることは重要だが、誰とも交わらず、自分自身の声だけを聞く時間もまた不可欠だ。

ソロボーティングという行為は、物理的な旅であると同時に、精神的な旅でもある。陸上生活ではまず遭遇しない状況に対して、誰にも頼らず、すべてを自分で判断し、結果責任を引き受けるという体験は、老若男女問わず、人生の全体で繰り返し味わっておくべき貴重なプロセスだ。

孤独のなかでしか見えない自由がある。自由のなかでしか得られない責任と成長がある。そしてそのすべては、波の向こうから静かにやってくる。

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