STAR WARSの面白さと愉しみかたについて『理屈コネ太郎』の私見を述べたい。あくまで私見である事を銘記して読み進めていただきたい。
結論から先に言うと、STAR WARSの面白さは個々の作品の未完全性であり、愉しみ方はその不完全部分に対してファンの一人一人が自由に想像の翼を広げて解釈や予想を持つ事である。
要するに、STAR WARS作品や登場人物について一家言もてば、もう立派なスター・ウォーズファンだってこと。
Contents
スター・ウォーズとは
スター・ウォーズは、遠い昔、はるか彼方の銀河系で起きた、**ジェダイ(Jedi)とシス(Sith)**との間に繰り広げられた権力と思想をめぐる戦争の物語である。
作品群には、映画、連続ドラマ(ディズニープラスのシリーズ)、アニメシリーズ、小説、コミック、ゲームなど、さまざまなメディア形態がある。
完全ではないからこその魅力
STAR WARS作品群の大きな特徴は、その不完全さにある。
普通の映画やドラマは、1作品ごとに完結し、その中に理解や楽しみのための情報が詰まっている。しかし、スター・ウォーズではそうではない。
ある作品を楽しむには、別の作品に散りばめられた伏線や設定を知っておく必要があり、それらが前日譚・後日譚として繋がっていく。
エピソードⅣから始まる混沌と魅惑
最初に公開された映画、現在**「エピソード4/新たなる希望(Episode IV: A New Hope)」と呼ばれている作品は、公開当時はただの「STAR WARS」**だった。
ここでは、フォース(The Force)やジェダイ、シス、**ダース・ベイダー(Darth Vader)**といった物語の中核をなす概念が断片的に登場するが、背景は明かされず、観客の頭にモヤモヤが残った。
モヤモヤがファンを動かした
このモヤモヤ感が、ファンに探究心をかき立てた。
そして**『エピソード5/帝国の逆襲(Episode V: The Empire Strikes Back)』**では一部の疑問が解ける一方、さらなる謎が増えた。
**『エピソード6/ジェダイの帰還(Episode VI: Return of the Jedi)』でベイダーとパルパティーン皇帝(Emperor Palpatine)**が死ぬことで、モヤモヤは一時的に解消したかに見えたが、シリーズの背景や設定には多くの未解決要素が残されていた。
プリクエル・トリロジーでの補完
それから16年後、『エピソード1/ファントム・メナス(Episode I: The Phantom Menace)』が公開され、さらに『エピソード2/クローンの攻撃(Episode II: Attack of the Clones)』、**『エピソード3/シスの復讐(Episode III: Revenge of the Sith)』**が続いた。
これらはプリクエル・トリロジーと呼ばれ、ジェダイ・オーダーや**アナキン・スカイウォーカー(Anakin Skywalker)**の闇落ち、**ルーク・スカイウォーカー(Luke Skywalker)とレイア・オーガナ(Leia Organa)**の出生などが描かれ、旧三部作の疑問に一定の答えを与えた。
シークエルとスピンオフの評価
その後、ジョージ・ルーカスの手を離れたディズニー制作による**シークエル・トリロジー(Episode VII~IX)が制作される。とくに『エピソード8/最後のジェダイ(Episode VIII: The Last Jedi)』**は旧来のファンから大きな批判を浴びた。
一方で、**『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー(Rogue One: A Star Wars Story)』**のように、ルーカスの世界観に理解と愛情を持つ製作陣によって高評価を得たスピンオフ作品も存在する。
不完全性の4分類とファンの反応
このスター・ウォーズの「不完全さ」は以下の4つに分類できるかもしれない:
ジョージ・ルーカスの意図
ルーカス世界を理解し継承しようとする者たちの意図
商業目的だけで関わった人々による結果
単純な脚本ミス・演出ミス
たとえば、旧三部作(Episode IV~VI)やプリクエル三部作(Episode I~III)には1と4が、シークエル(Episode VII~IX)には3と4が混在していた。
Rogue Oneは、2と4が混在していたと感じる。
モヤモヤを愉しむ、それがSTAR WARS
こうした不完全な世界観や説明不足があるからこそ、ファンは自分なりの推理や補完をしながら楽しむことができる。
STAR WARSは、中毒性のあるモヤモヤとその解消の繰り返しによって、ファンを育て、語り合い、作品の世界をより深くする力を持っているのだ。
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