釣り・ゴルフ・将棋から考える趣味の幸福論 ☆ 偶然と必然の割合

序章:なぜ人は趣味で苦しむのか

趣味は、本来自由で楽しい行為である。

それなのに、釣りで魚が釣れないと不機嫌になり、ゴルフで一打のミスを引きずり、将棋で一手の判断を長く悔やむ人がいる。

私はよく思う。

なぜ、楽しむための趣味で人はここまで苦しむのだろうか。

その理由のひとつは、プレイヤーが想定しているゲームの構造と、実際のゲーム構造がずれていることにあるのではないか。

本記事では、結果にどれだけ運が入り込むかを「偶然」、プレイヤーの技量や判断が結果へ反映されやすい度合いを「必然」と呼ぶ。

平たく言えば、どれくらい運が勝敗や成果に入り込むかという話である。

釣りは運の影響が大きい。

ゴルフにも運は入り込むが、技量の影響は釣りより大きい。

将棋では、基本的に自分と相手、盤と駒だけでゲームが進み、外部から入り込む運の影響はかなり小さい。

この違いを理解して趣味と付き合うことが、趣味を長く楽しむひとつの鍵になると私は考えている。


第1章:趣味との相性は、ゲーム構造への期待で変わる

どんな趣味にも、その遊び固有の構造がある。

努力した分だけ結果が変わりやすい遊びもあれば、どれだけ工夫しても最後に運が大きく入り込む遊びもある。

プレイヤーがその構造を自分の感覚に合ったものとして受け入れられるとき、趣味は軽やかに楽しみやすくなる。

一方、ゲームに期待する構造と実際の構造がずれると、遊びなのに苦しくなる。

努力しただけ結果が返ってくると思って釣りを始めれば、釣れない日が許せなくなる。

気軽な偶然を楽しむつもりでゴルフを始めれば、練習しなければ上達しない現実に退屈する。

相性とは、その趣味が持つ偶然と必然の割合を、自分が心地よく感じられるかどうかなのだと思う。

さらに深く楽しみたいなら、自分が動かせる部分を磨いていく。

運の大きな遊びでも、技術や判断で変えられる部分はある。

そこへ時間と創意を注ぎ、自分なりの上達を感じた瞬間には、気軽な楽しさとは別の達成感が生まれる。

自分と相性のよい構造を持つ趣味は自然に楽しみやすい。さらにゲーム構造を理解し、自分の構えを合わせられれば、楽しめる趣味の範囲はもっと広がる。


第2章:釣り──運の影響が大きいゲーム

釣りは、自然という膨大な変数の中で行う遊びである。

潮、風、水温、光量、濁り、ベイト、魚群の位置、魚の活性。

プレイヤーが直接動かせない条件が、釣果へ大きく影響する。

もちろん技術も重要である。

魚がいそうな場所を探し、仕掛けを選び、適切なレンジへ入れ、魚からの小さな反応を拾う。

経験や技量によって、魚と出会える可能性は高められる。

それでも、その日の自然条件と釣果の関係を一人の釣り人が支配することは難しい。

上手な人が必ず釣り、初心者が必ず釣れないという構造にはならない。

だから釣りには、運を受け入れられる人が向いているのだと思う。

今日は魚がいなかった。

今日は自分の仕掛けに反応しなかった。

そんな日も含めて水辺で過ごした時間を楽しめる。

魚が掛かったときには、自分の工夫とその日の自然条件がうまく重なった瞬間として喜べる。

釣りは、自分では動かせない運と一緒に遊ぶ趣味である。


第3章:ゴルフ──技量が結果に反映されやすいゲーム

ゴルフでは、釣りよりプレイヤー自身の技量が結果へ表れやすい。

練習によってスイングの再現性を高める。

飛距離を伸ばす。

方向性を安定させる。

アプローチやパットの精度を上げる。

そうした積み重ねは、スコアへ比較的分かりやすく現れる。

だからゴルフは、練習による上達そのものを楽しめる人と相性がよい。

一方、コースには風、気温、芝、傾斜、ライ、バウンドといった条件がある。

同じショットを打ったつもりでも、ボールが毎回まったく同じ結果になるわけではない。

さらに実力が伯仲すれば、一打のわずかなズレが勝敗を分ける。

そこで働くのは、コース条件だけではない。

「外したらどうしよう」という一瞬の迷い。

いつもなら入る距離で生じた身体のわずかな緊張。

人間自身の揺らぎも結果に入り込む。

ゴルフは、釣りよりも実力が結果へ反映されやすい。

それでも最後まで、運と人間の揺らぎが残るゲームである。

ゴルフは、努力による上達を楽しみながら、最後に残る運とも付き合う遊びなのだと思う。


第4章:将棋──運の影響がかなり小さいゲーム

将棋では、自分と相手、将棋盤と駒によってゲームが進行する。

潮も風も芝も魚群もない。

対局の結果を左右する要素の大部分が、両対局者の知識、読み、判断、経験、集中力の中にある。

そのため同じ二人が多数回対局すれば、実力差は勝敗にかなり鮮明に現れる。

強い相手には何度も負ける。

自分が上達すれば、以前は勝てなかった相手にも勝てるようになる。

プレイヤー自身の実力が結果へ帰属しやすいゲームである。

ところが、実力が近づくほど一局ごとの差は小さくなる。

同じような局面でも、今日はこの手を選び、別の日には違う手を選ぶことがある。

読み落としもある。

集中力にも波がある。

その日の心理状態も判断へ影響する。

運の介入がかなり小さいゲームでも、最後にはそれを指す人間自身の揺らぎが残る。

その揺らぎまで自分の実力として受け止めるのか、運のようなものとして感じるのか。

そこにも、その人なりの将棋との付き合い方が現れるのだと思う。


第5章:偶然と必然の割合が、趣味との相性を作る

釣り、ゴルフ、将棋を並べると、三つの遊びの違いが見えやすい。

趣味運の影響実力・判断の結果への反映楽しみ方の重心
釣り大きい見えにくい偶然を受け入れ、過程を楽しむ
ゴルフ中程度比較的大きい上達を楽しみながら運とも付き合う
将棋小さい大きい読み・判断・上達そのものを楽しむ

この表は、私が趣味をしていて感じる、おおまかな構造の違いである。

重要なのは、自分が何を心地よいと感じるかだ。

結果を自分の努力で変えていくことが好きな人は、実力が成果へ表れやすいゲームを楽しみやすい。

何が起きるか分からない状況そのものが好きな人は、偶然の大きなゲームを楽しみやすい。

そして最も自由なのは、そのゲームの構造に合わせて自分の重心を変えられる人かもしれない。

運の大きい場所では、おおらかに構える。

自分で変えられる部分では、真剣に考え、練習し、工夫する。

その切り替えができれば、楽しめる趣味の範囲はかなり広がる。


終章:偶然の場ではおおらかに、実力が反映される場では真剣に

釣りでは、運を受け入れる。

その中で自分なりの工夫を楽しむ。

ゴルフでは、技術を磨く。

そして、コース条件や一瞬の揺らぎも含めてラウンドを受け入れる。

将棋では、読みと判断を磨く。

勝敗に現れた実力差と向き合う。

三つの遊びは、運と実力が結果へ入り込む割合がそれぞれ違う。

しかしどの趣味にも、自分で変えられる部分がある。

そして人間が遊ぶ以上、自分自身にも揺らぎがある。

運の大きい場ではおおらかに。
実力が結果へ表れやすい場では真剣に。

ゲームの構造を知り、自分が動かせるところへ力を使う。

それだけでも、趣味で苦しむ時間は少し減り、楽しめる時間は増えるのではないだろうか。

私は、その偶然と必然のちょうどよい距離感の中に、趣味を長く楽しむ知恵があるように思う。


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作成者: 理屈コネ太郎

元消化器内視鏡医・産業医。現在は社会・人間行動・構造分析をテーマに執筆活動を行う。定年退職後はヨット・ボート・クルマなど趣味と構造研究の日々を過ごす。

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