あなたの感じた人種差別は本当に差別? ――感情と差別を区別する想像力

白地に黒の線画で、数人の人物が感情的に議論する様子を描いたイラスト。タイトル「あなたの感じた人種差別は本当に差別? ――感情と差別を区別する想像力」が上部に記されている。
感情と構造を取り違えない想像力――人間理解をテーマにした理屈コネ太郎の社会エッセイより

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はじめに|SNSにあふれる「被害の空気」

欧米での出来事をめぐり、「アジア人だから差別された」という声をSNSで頻繁に見かける。
しかしその多くは、投稿者自身の無礼や非常識な態度に対する反応である場合もある。
相手はその人を嫌ったのであって、アジア人だから嫌ったわけではないのかもしれない。
仮にアジア人だから嫌われたのであったとしても、それはその人がアジア人嫌いだったというだけで、個人の好みや感情という内心の自由の範疇であり、差別ではない。

欧米に移民したアジア人ならばいざしらず、旅行者や留学生であるアジア人に人種差別するほどの熱意は、現地の人はそもそも抱かないと思う。

それでも、そうした発信が繰り返されるうちに、
「アジア人は欧米で差別される」というイメージだけが独り歩きしてしまう。

実際の出来事よりも、「どう感じ取られたか」が先行する現象である。

の背景には、他者の反応をあらかじめ「差別」として読み取ってしまう、ステレオタイプ的な認知があるのだろう。
(関連記事:「ステレオタイプとは何か? その弊害について」)

この記事では、私自身の経験を通じて、
「異文化の戸惑い」を差別と誤解しないための想像力について考えてみたい。


第1章|17歳の語学留学 ――敵意ではなく“戸惑い”だった

17歳のとき、私は米国中西部の町で語学留学をしていた。
当時の英語は片言で、文法も滅茶苦茶。
それでも、現地の人々は私を拒絶しなかった。

彼らは少し顔を近づけ、私の目を見て、
一生懸命、意味を汲み取ろうとしてくれた。
そして理解できた部分をもとに、ゆっくりと言い換えてくれた。

私の未熟な英語は、彼らにとって認知的負荷が高かったはずだ。
それでも対話を諦めなかったのは、私を「学びに来た他者」として尊重してくれたからだろう。

その後大学に進んでも同様だった。米国留学中、「あなたの英語は話しにならない」と言いたげな態度を取られたり、呆れられたり、突き放された経験は一度もない。間違いを訂正される事は頻繁だったが、それは彼らの言語で会話するうえで避けては通れない儀式だ。

私は米国で、文化的な戸惑いを“排除のサイン”と誤解すると、そこにあった善意や誠実さを見失い、悪意や敵意しか見いだせない事を学んだ。

ただこれはもしかしたら、わたしが留学した時代のその地域の米国の事情であり、今は違うのかも知れないが。


第2章|1982年デンバーのブリザード ――極限下で見た人間の本性

前章で述べた語学留学中の1982年のクリスマス前、ネブラスカ州からコロラド州デンバーへ車で向かう途中、私は記録的なブリザードに遭遇した。(そのブリザードに関しては別記事2024年2月5日  大雪の日のノート4WDの走りっぷりに詳述)
日がまだ残る午後、雪はみるみるうちに積もり、デンバーの一般道に入る頃には視界が白一色になった。

何度もスタックし、タイヤは空転した。
そのたびに、通りかかった車のドライバーが降りてきて、
ロープで引っ張ったり、後ろから押してくれたりした。

思えば、彼ら自身も遭難寸前だった。
いつ自分の車が動かなくなるか分からないなかで、
見知らぬ東洋人の車を助けてくれたのである。

最終的に私は車をその場に置き、近くのホリデイ・インにたどり着いた。
どうやってそこまで行けたのか、今では覚えていない。
ただ、あのとき感じたのは“人間の善意は、余裕から生まれるものではない”という事実だった。

危機の中で、誰もが同じ人間として助け合う。
そこに人種がどうのこうのなんて存在しなかった。


第3章|パリで学んだ「声に出す礼儀」

後年、私はパリに1人で滞在していた。
昼食をとろうと入ったレストランで、店員が少し大きな声で「ボンジュール」と言った。
私は少し驚いて反射的に「ボンジュール」と返すと、彼の表情がふっと柔らかくなった。

翌日、別の店で今度は私の方から「ボンジュール」と挨拶してみた。
店員は笑顔で迎え、ほぼ満席だった店内に席を用意してくれた。

そのとき私は理解した。
パリでは「挨拶」が、相手を人として認める最初の行為なのだ。
日本の「控えめで静かな挨拶」とは異なるが、目的は同じ――相手を尊重すること。

文化の作法を学ぶとは、相手の敬意の形を学ぶことでもある。
それを知らずに「高圧的」「排除的」と感じれば、
ただの文化の違いを「差別」と誤解してしまう。


第4章|嫌悪と差別は違うもの

SNSで「差別された」と訴える人の多くは、
実際には自分の無礼や奇妙な振る舞いに対する個人的嫌悪の反応を、
差別と誤認しているのでは…と私は推測している。

人間は社会的存在であり、秩序を守るための作法を共有している。
その枠を破れば、相手は不快を示す。
それは文化的な防衛反応であって、排除の意思ではない。

私自身、海外で不快な視線を向けられたり不快な態度をとられたことはある。
だがそれを「差別」とは感じなかった。
それは、彼ら彼女らの視線や態度は感情や習慣のレベルのことで、
構造的な不利益を伴うものではないと分かっていたからだ。


第5章|差別が成立する条件を考える

こうして振り返ると、私はこれまで海外で多くの経験をしてきたが、
「差別された」と感じたことは一度もない。
相手の悪感情を“人間的な反応”として理解しているからだ。
怒りや嫌悪は誰の中にもある普遍的な反応であり、
それを「人種への敵意」と決めつけるのは、
人間の心の機微を狭く解釈しすぎている。

差別とは、感情を社会的な行為や制度に変換したときに初めて成立する。
だからこそ、私たちは「感じた不快」を即座に差別と名づける前に、
それが構造か、それとも一瞬の感情なのかを見極める想像力を持たねばならない。


結論|異文化の“戸惑い”を差別と区別する想像力

差別は確かに存在する。
しかし、世界を敵視するレンズを通して見れば、
本来は単なる戸惑いや不慣れも、すべて差別に見えてしまう。

ここで言う“異文化の戸惑い”とは、
現地の人が異邦人に感じる違和感であり、
また、異邦人である私たちがその土地の文化に触れて覚える戸惑いでもある。
どちらの側にも、理解のすれ違いが起こりうる。

その接点で必要なのは、相手を裁く態度ではなく、
反応の背景を考えようとする想像力だと思う。


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筆者紹介は『理屈コネ太郎の知ったか自慢|35歳で医師となり定年後は趣味と学びに邁進』

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