ミッシェル・フーコー著『臨床医学の誕生』

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本書との出会いと読書体験

もう30年くらい前、臨床医学の誕生という本に出会った。
何度挑戦しても途中で挫折する本だ。正直に言うと、まだ通読できた事は一度もない。

ミシェル・フーコーについては
『ミシェル・フーコーの“問いの様式”とは何か|届かなかった理由と残された思考』
に詳述しています。ご興味あれば参照下さい。)


フーコーのキャリアへの個人的評価

関心の射程と思考スタイル

フーコーは徹底して自分と自分周囲の事象、また自身のセクシュアリティーに関心を絞った思考の人である。
彼の思考は世の中の構造や権力(いわゆる権力とは違うらしい)を、彼のアタマと文献を用いて解析し、それが社会にどのように影響を与えたか…みたいな内容らしい。

表現の難解さと一般性の欠如

彼の著作中の表現は難解で、思索をまとめてより次元の低い表現にして一般にも分かり易くする前に、彼は次の興味にとりかかり、その意味で彼は難解で一般的な教養を持つ人が理解できる次元にまで言葉を落とさなかった。

極論すれば、フーコーの業績は1人よがりであり、彼の業績を評価判断するには、彼の文章は極めて多義的な理解が可能で、正直、何を言っているか全く分からない…というのが殆どの読者の思いだろう。


医学側から見た『臨床医学の誕生』の位置づけ

そしてなにより、「臨床医学の誕生」という本は、医学側の人々には殆ど一顧だにされていないと言ってよい。
それはちょうどほぼ同世代のジョルジュ・カンギレムの「正常と病理」と同様に、医学側の人々にはほぼ何のインスピレーションも与えなかったこととよく似ている。


臨床医として到達した理解

フーコーが「臨床医学の誕生」で述べた内容は、彼の時代のフランスでの出来事であり、それは医学の文脈においては世界的な潮流が現象としてフランスでも起きていた…というそれくらいの意味しかないように、かれこれ20年フーコーの著作と悪戦苦闘してきた臨床医の私が到達した知見である。


方法論上の限界と検証不能性

彼は性や監獄や医療などの構造を彼独自の言葉で分析したが、その内容は既述した通りその当時のフランスでの事に限定していて、北米の事情には全く無関心であった。

そして彼は殆ど統計を用いなかった、推計統計は勿論、既述統計すら用いなかった。
膨大な言葉を重ねて定性的な記述を重ねたが、その言葉の難解さと多義性ゆえに後進が検証する困難な状況である。


後継者不在という事実

そして興味深いのは、彼のあとを継ぎ、彼の手法を用いて彼が構築した知の地平を拡張した後継者がほぼ一人もいない事です。

すくなくとも臨床医である私が理解するかぎり、「臨床医学の誕生」は彼のナラティブであり、学問ではないのでしょう。
その根拠の一つとして、近接領域の知見とまったく接合できていないのです。

後継者不在で隣接領域との接続もできない学問などあり得るでしょうか。


コレージュ・ド・フランス就任という事実

そしてもうひとつ彼の興味深いところは、人文社会学者としてフランスアカデミズムの頂点である
コレージュ・ド・フランス
「思考の体系史」の教授に1970年に就任したことです。
時にフーコー43~44歳でした。


そこからの推察

ここから推察すると、彼は「思考の体系史」に関する知識は当時フランスの誰よりも深く高く広く、当該領域での第一人者であった可能性があることです。

彼の著作があまりに有名になり、その著者がフランス最高頭脳の1人であるとなれば、彼の著作が難解で意味不明である事よりも、難解で意味不明なままありがたがる人が存在しても不可解ではありません。


フーコーを研究対象とするなら

彼をもし研究対象にして彼の思索を追体験するのなら、
コレージュ・ド・フランスでの彼の講義内容を渉猟するか、
あるいはそれ以前の彼のもっと小さな研究、あるいは学位論文当たりを研究するのが適切かもしてません。

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