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「自分が投票しても変わらない」と思っていませんか?
「自分が一票を投じたところで何も変わらない」と考えて、選挙に足を運ばない人は少なくありません。しかし実際には、あなたが投票に行かない事にほくそ笑む人達がいるのです。つまり「変わらない」どころではなく「悪化させる片棒を担いでいる」のです。
低投票率が「声の大きな少数者」に力を与える
民主主義とは、多数決によって物事を決める仕組みです。残念な事に、現在の投票システムは基本的に全員投票を前提としているので、選挙に行かない人はワルモノ扱いです。(私は今の日本の選挙システムには懐疑的です。詳細はこちらのページに記載しました)
でも、しかし本当の問題はその先にあります。
投票率が低ければ、自身を応援してくれる団体の組織票だけでほぼ当選する職業政治家とその周辺の利害関係者です。こうした人達は投票率を低くしたい。投票率が低ければ組織票と動員票でラクに勝てるからでしょう。
実際、2025年参議院選挙の投開票日は7月20日という三連休の真ん中の日に設定されました。この日は、日本で最も働いている層の人達が遊びに出かけるので投票に行かないと見込んだからと言われています。
国会議員を選ぶ選挙の投開票日をもっとも投票に行きにくい日に設定するという、こんな事までして投票率を下げて職業政治家の地位と与党のポジションに恋々とする人達が国益のための仕事をするはずがありません。
そうです。選挙に行かず投票率を低くする事は、こうした人達を喜ばせるだけなのです。つまり、無関心な多数派が沈黙してしまえば、声の大きな少数派──ノイジーマイノリティーが、現実の議題や制度を好き勝手に動かす手伝いをすることになるのです。
今、議論されているのは本当に「喫緊の課題」なのか?
たとえば国会では、選択的夫婦別姓やLGBTQといった問題が大きく取り上げられ話題になりました。もちろん、これらのテーマを議論すること自体が悪いわけではありません。しかし、現代日本の優先課題は本当にそれでしょうか?
少子高齢化、近隣諸国の不遜で理不尽な領土的野心、おそらく核兵器を保有し日本海に向けてミサイルを撃つ隣国、外国人が大量に移民した事による日本国内経済市場の混乱──日々困っている人が多数いる中で、国会の時間や人的リソースが、緊急性では上記の問題に明らかに劣後する選択的夫婦別姓に投入されているのです。
政策の立案者は「立法府に就職した議員と言う名のサラリーマン」
そして、その背後には「職業政治家」という政治に就職した高給取りサラリーマンと、「業界団体」「労働組合」場合によっては「宗教団体」という組織票や動員票を持つ存在があります。
職業政治家らは、自らを議員にしてくれる組織票や動員票を持つ集団の意向に従い、議題を設定し、政策を推進します。そして、その政策を実行するための費用は、全て私たち国民が納めた税金によってまかなわれているのです。
私たちが納付した税金や保険料を、職業政治家達は業界団体や労働組合や宗教団体の言う通りに使います。だから、どんなに私たちが税金を納付しても、この国は全然豊かにならないのです。
経団連や連合の「意見」は誰の声か?
同じ構図は、経済界や労働界にも見られます。経団連や連合といった大規模な団体が、選択的夫婦別姓の導入を推進してるのは、経団連会員企業や労働組合員の意見がありのままに集約されたからではありません。
むしろ、そのような団体内で発言権を持ったごく一部の人たちが、構成員の意見を十分に吸い上げることなく、自分たちの勝手な信条に基づいて議題を押し出しているのが実態です。
「海外では…」という論法の危うさ
こういう人達は「米国では…」、「欧州では…」などと海外を例に出しますが、これが面白いくらい検討外れで、ちゃんと調べてみると全くそんな事実は当該国では見られないというようなハナシばかりなのです。
なぜなら、こうした人達の情報源は、海外の意識高い系グループの噂話程度の内容であり、きちんと精査する事が殆どない人達なのです。
組織の「代表意見」は本来どうあるべきか?
組織が政府に意見を言うときは本来、構成員の意見を丁寧に、満遍なく集約し、代表意見として形にしていくべきものです。
それが、いつのまにか「声の大きい少数者の勝手な思い込み理想の実現プラットフォーム」になってしまっているなら、私たちはその構造にNOを突きつけるべきではないでしょうか?
「日本を変えたい」人々への問い
よく「日本を変えたい」という政治家や活動家がいます。でもこういう人達の言う事を聞くと、だいたい既にどこかの誰かが言った事の寄せ集めであり、日本の何が具体的に問題で、それをどのように変えたいのかというビジョンがありません。
加えて、私はそういう意識高い系の人に問いたいのです。あなたたちのどこに、1億人以上が共有してきた文化や慣習を変えるだけの見識があるのでしょうか?そもそも日本の歴史を知っていますか?とも尋ねてみたくもなります。
私は、浅薄な意識高い系の人々の価値観に基づいて日本を変えられることなど、迷惑千万と感じています。
「変えるな」あるいは「変えるのはあなたではない」と言う権利を行使するために
もしも日本を本当により良くしたいなら、「あなたの都合で変えるな」と言う権利を私たち自身が行使する必要があるのです。新しい日本や日本人などという言葉を個人の思いつきレベルで用いて職業政治家は、その根拠やビジョンを明確に国民に伝えるべきです。
意識高い系や外国に調略された職業政治家にNOを告げる、その最も穏やかで、確実な方法こそが、選挙に行って、自分の一票を投じて組織票は動員票の比率を下げることではないでしょうか。
結語:民主主義の宿痾に沈黙で加担してはいけない
投票しないという沈黙は、思いのほか高くつきます。この数十年、サイレントマジョリティーが気づかぬうちに日本の政治は劣化し、ノイジーマイノリティーの、現実と乖離した“意識高い系”の理想主義に浸透されてきました。
しかし、ノイジーマイノリティーは**民主主義の宿痾(しゅくあ/長年治らない持病のような構造的弱点)**です。歴史観や国家観はないけれど意識だけは高いという人は一定程度存在して、そういう人は自身の正義を確信しています。
だからこそ、サイレントマジョリティーはサイレントのままでは自分達の首を絞める事になるのです。自分達の収めた税金や保険金が、自分とは、場合によっては日本人とも無関係な人に給付されるというおかしな行政を、日本人仕様に方向転換させねばなりません。
あなたの一票が、声の大きな少数者にとっての障壁となることを願って。
どうか、次の選挙には行ってください。
沈黙を続ければ、次の代償もまた、私たちの財布から支払われることになるでしょう。
それでも「自分一人じゃ何も変わらない」と思うのなら、何処かの意識高い系の人の都合で、この国が変えられるのを、ただ見ているしかありません。
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