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■序章:男女差という“ひとつの現象”をどう捉えるか
男女の違い――。
私たちは日常の中で、考え方や行動の「男女差」を頻繁に見聞きする。
しかし、これらはどこから生まれるのか。
生まれつきなのか。社会なのか。あるいはその複合か。
若い頃、私はこう素朴に考えていた。
「思考や行動の男女差の多くは、生物学的な違いによるものではないか」
ところが、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの一節――
「女は生まれながらに女なのではない。女になるのだ。」
に触れ、「女性らしさの多くは社会が形づくるのか」という新鮮な驚きを覚えた。
しかし、医療の現場で人体と疾病を扱う立場に就いた私は、
再び考えを深めることになる。
思考や行動の男女差の“下層”には、生物学的な差異が明確に存在している。
そして近年の心理学・行動科学・進化生物学の知見は、
男女差を 性差(生物)とジェンダー差(社会)から成る“二層構造” として捉える視点を標準としている。
■国際標準の3分類(最初のみ英語表記)
● sex differences(性差)=生物学的男女差
遺伝、ホルモン、脳構造、妊娠・出産、身体反応などに由来する差異。
● gender differences(ジェンダー差)=社会的男女差
文化、教育、制度、役割期待など、後天的要因によって形成される差異。
● observed differences(観察される男女差)
心理学・行動科学・文化横断研究などにより、
行動や認知のレベルで再現性をもって確認されている男女差のこと。
※主観的印象としての“男女らしさ”やステレオタイプとは区別する。
以降は、性差・ジェンダー差・観察される男女差という日本語表記に統一する。
■1.男女差は「性差」と「ジェンダー差」の二層構造で生まれる
まず結論を述べると、
観察される男女差(行動・認知レベルの科学的に確認された違い)は、
性差(生物の層)とジェンダー差(社会の層)が“加法的に”合成されて生じる。
本稿の目的は、両者を明確に切り分けて整理することである。
実際には性差とジェンダー差が相互に影響し合う場面も存在するが、
それを説明に含めるとモデルが複雑化し、本稿の趣旨である“切り分け”が不鮮明になる。
したがって、ここでは 相互作用は扱わず、
あくまで 二層構造として整理 することにする。
■2.ボーヴォワールが示した“社会の層”という視点
1949年、ボーヴォワールは次の一文を残した。
「女は生まれながらに女なのではない。女になるのだ。」
当時は、性差(生物)が男女の違いをほぼすべて決めると考えられていたため、
“女性らしさは社会によって形成される”という視点は画期的だった。
彼女は“社会(ジェンダー差)の層”を強調することで、
性差理解の新たな地平をひらいたといえる。
ただし、彼女の時代には現在のような行動科学・脳科学・進化生物学の知見が揃っていなかったため、
生物の層(性差)を十分に扱うことはできなかったという限界もある。
■3.医療現場で明確に見える「性差」の存在
医療では、社会的要因だけでは説明できない差異が日常的に観察される。
●同じ「下腹部痛」でも、医師が想定すべき疾患は男女で異なる
●精神症状や精神疾患の発生頻度には明確な男女差がある
●免疫反応・代謝・痛みの訴え方にも男女において平均差がある
これらは、
性差(生物学的男女差)を前提にしなければ診断が成り立たない
という揺るぎない事実を示している。
医療の現場を重ねる中で、私は次第に確信するようになった。
「行動や思考の男女差にも、性差が深く関わっているはずだ」
■4.最新研究が明らかにする「性差の存在」
以下は、観察される男女差(行動・認知の差)を説明する基層としての性差について、
信頼性の高い研究から得られた代表的知見である。
4-1.妊娠・出産後の脳の反応性の変化
(Hoekzema et al., Nature Neuroscience, 2017)
出産経験女性では乳児刺激への反応性が高まる
扁桃体・前頭前皮質などの活動が変化
母性の中核には、社会だけでは説明できない 神経生物学的変化 がある。
4-2.父性は「経験」で形成される
(Abraham et al., PNAS, 2014)
男性は出産による脳変化は起こらない
育児関与が増えることで父性関連回路が形成される
母性は“身体経験”、父性は“行動経験”によって形成されるという違いがある。
4-3.リスク選好の男女差は文化横断的に再現
(Zuckerman 1994、Byrnes et al., Psychological Bulletin, 1999)
心理学・行動科学のメタ分析では一貫して次が示されている。
男性は平均してリスクテイキングが高い
金銭的・身体的・社会的リスクの多くで同傾向
新奇探索性も男性が高い
女性は「保守的」というより安全を優先する傾向が強い
文化差を超えて再現性が高く、
これは典型的な 性差 といえる。
4-4.ケア関連反応性の男女差
(Swain et al., Human Brain Mapping, 2014)
乳児の泣き声に対する脳反応は女性が平均的に強い
表情変化の認知速度にも平均差がある
個人差は大きいが、分布は女性側に偏る。
■5.ジェンダー差(社会の層):変化しうる領域
性差とは別に、社会的要因がつくるジェンダー差も確実に存在する。
教育機会
家族制度
社会的期待
文化・慣習
職場環境
これらは国や時代によって変化しうる 可変領域 である。
性差(生物)とジェンダー差(社会)を区別して理解することが不可欠だ。
■6.観察される男女差=性差+ジェンダー差
そして説明力は「性差」が大きい
改めて整理すると、
観察される男女差とは、
心理学・行動科学・文化横断研究などによって
行動・認知レベルで確認される男女の違いである。
そしてこの男女差は、
という二層構造で理解できる。
ここで、観察される男女差に対する説明の中心をなすのは 性差(生物学的男女差) である事もわかっている。
ジェンダー差(社会的男女差)は性差の上に積み重なる可変的な層である。
■7.おわりに:男女差は“仕様”として理解する
男女差は様々な文脈において議論になりやすいが、
科学的にはシンプルな構造を持つ。
性差(生物の層)=変えられない基層
ジェンダー差(社会の層)=変えられる上層
観察される男女差=その合成結果
人間は社会的存在である前に、まず哺乳類動物である。
その“生物の層”の上に、“社会の層”が積み重なって男女差が現れる。
男女差を優劣ではなく“仕様”として理解する。
そこから初めて、男女が自然に協力し、無理のない制度や関係性を築く視座が得られる。
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