世界の見え方が違うという孤独|個性の核が生む第3層の孤独

世界の見え方が違うという孤独|個性の核が生む第3層の孤独

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■ 孤独の3層構造

人間が抱える孤独には、おおまかに3つの層があると私は考えています。

  1. 人間という存在そのものに付随する“デフォルトの孤独”
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  2. 老年期に経験する喪失や変化に伴う孤独
     関連記事➡中高年になって再び出会う孤独|孤独と共生する訓練

  3. その人がその人であるがゆえに生まれる、個性の核心がつくる孤独

今回は、この3つ目──
もっとも静かで、もっとも深く、そしてもっとも“価値を生む”孤独
について書いてみたいと思います。


■ 個性の核は、その人に「固有」

人には、思考や感性の核心となる 固有の価値観やモラル基準 があります。
これは単なる生まれつきではなく、経験・学習・選択・葛藤、そして思考の積み重ねによって、緩徐に、しかし強固に形づくられていきます。

つまり、価値観や感性の“深い部分”は
人生を通じて自分自身が育てたもの であり、
十人十色、百人百色であるのが自然です。

そこにさらに拍車をかけるのが、次のような 認知特性の差 です。

  • 物事を理解する「認知の速度」や「射程」

  • 新しい情報を取り込み再構成する「可塑性(柔軟さ)」

  • 一つの事象を具体・抽象・主体・客体・主観・客観・定性・定量など、複数のレベル・視点で理解する「認知の多面性」と「認知レベルの多段階性」

これらの差異は、単なる能力差ではなく、
そもそも“世界をどう見ているか”という構造そのものの違い です。

言い換えれば、世界観の差 です。


■ 同じ現実でも、認知の階層が噛み合わないことがある

同じ映画を観ても、同じ出来事を見ても、
人によって思考の階層は異なります。

  • 起きた出来事だけを見る人

  • その背後の構造を見る人

  • さらにその構造を生んだ価値観まで遡る人

こうした階層の違いは、
「理解し合えない領域」 を静かに生み出します。

ここに、
“その人がその人であるがゆえの孤独(第3層の孤独)”
が立ち上がります。


■ 誠実であると、第3層の孤独は避けられない

この孤独は、友人の数やコミュニケーション能力とは無関係です。

自分の思考や価値観に誠実であろうとすればするほど、
他人に理解されない領域が必ず生まれる。

むしろ、
自分に嘘をつける人ほど孤独を感じにくい一方で、
嘘をつけない人ほど孤独を心にまとってしまう。

これは誠実さの代償であり、成熟の兆しでもあります。


■ 他者に理解を求めない、という“静かな知恵”

個性の核心の違いが生む孤独は、他者との隔たりを伴います。
それは誰の責任でもなく、
そもそも見えている世界の構造が違うだけ のことです。

だからこそ、
他者に自分を完全に理解してもらうことを“基本ルール”にしない方が無難 です。
理解されないことは欠陥ではありませんし、
相手の無理解でもありません。

それでも、もしあなたの価値観の深さや思考の階層を共有できる誰かに出会えたなら、
それは人生でそう多くは起きません。
そのときは過度に期待せず、
そっと心の中で感謝するだけで十分 です。
理解が交差する瞬間は、静かな奇跡に近いものだからです。


■ 相手の個性の核心に踏み込みすぎない、という“もう1つの知恵”

もう1つ、対人関係における重要な知恵があります。

自分の見ている世界の構造や思考の階層を、
相手が明示的に求めていないときに語る必要はありません。
なぜなら、

理解できない・理解されないのは、互いの世界の構造が違うだけ なのに、
相手はしばしば、

  • 否定された

  • 圧迫された

  • 自分の価値観を揺さぶられた

と感じてしまうからです。

相手の核心には踏み込みすぎない。
求められたときにだけ語る。
しかも相手の個性の核心に最大限の敬意をもって語る。

これは、第三層の孤独を持つ人が社会の中で静かに生きるうえでの
大切な配慮であり、成熟した距離感 です。

こうした配慮が欠けると、
「メンドクセージジイ」と評価認定されてしまうこともあります。


■ 第3層の孤独は、避けるべきものではなく“育てるべきもの”

老年期の喪失から生じる孤独とは違い、
この孤独は、
あなたの個性の中心を支える“影と光”のようなもの です。

社会生活に深刻な齟齬が生じない限り、

この孤独の本体である個性は、むしろ育ててよい。
それが思考の座りを深くし、人間の核を強めるからです。

孤独は欠損ではなく、
濃度の高い個性が存在する証 でもあります。


■ 結論:自分の思想を育てることは第3層の孤独を引き受けること

価値観・感性・認知の構造が固有である以上、
完全な相互理解はそもそも不可能です。

しかしそれは欠陥ではなく、
成熟した人間の宿命であり、特権 です。

第3層の孤独とは、
他者から離れることで生じる孤独ではなく、
自分自身に誠実であろうとする姿勢そのものが生む孤独 です。

避ける必要はありません。

むしろ、

その孤独を丁寧に引き受けることこそが、
人を強くし、深くし、人生を豊かにする。

私はそう考えています。


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