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第1章 相談の構造と心の機微
1. 相談の出発点
人は、相談することで解決へのステップを一歩すすめられるように思う。
多くの場合、相談する側の人は、自分の中におおまかな解決策を持っているが、その中の特定の部分について知識や判断材料が不足している。
これらを補うことで、全体の解決策を修正することも視野に入れている。
したがって、相談に的確に回答してもらうことが、相談の直接的な目的である。
その目的のため、相談相手には通常、相談者よりも経験や地位が上の人物、すなわち目上と言ってよい立場の人が選ばれる。
目上の立場であるため、相談の目的が「部分的な確認」であっても、相談された側の人は、自身の責任意識から相談者の問題意識と解決策についての全体像を把握したいと考える傾向が強い。
また、相談内容に関する知識を十分に持ち合わせていなくても、それを明言しにくい立場にあることも多い。
ここに、目上の人に相談することのリスクが潜んでいる。
2. 相談された側の人の行動原理
経験や知識をもつ人ほど、問題の背景や全体像を把握したうえで助言を行うことを重視する。
そのため、相談された側の人は、相談する側が提示した部分的な情報だけでは判断が難しいと感じる。
結果として、「そもそも何を目指しているのか」「全体としてどうしたいのか」といった質問を相談者に返すことになる。
また、次のような状況も少なくない。
相談された側の人は立場が上であるため、「それは自分には分からない、別の人に聞いてみたら」とは言いにくい。
そのため、自分の自尊心を守るために、質問者の意図を理解するフリの会話を続けて、相談内容を別の問題にすり替えることがある。
最悪のケースだと、問題意識を変に解釈してお説教を始めたりもする。
前者は善意によるリスクであり、後者は保身によるリスクである。
しかし、相談する側の人にとっては、前進できなかったという点で同じである。
どちらも、提示された相談内容への解にはならず、相談に費やした時間が無駄になる点で共通している。
ただし、お説教されてしまった場合は別だ。この場合、本当に相談者の気持ちが萎える。人によっては、社会人としての可能性が委縮してしまう場合すらある。
結果として、相談する人の解決策は実現に近づかず、むしろ遠のく場合すらある。
3. 相談する側の制約
相談する側の人は、全体の構想を明確に説明できる段階にいないことが多い。
構想の解像度がまだ粗い場合もあれば、前例に比べて破天荒であるため、あるいは反対されるおそれがある場合もある。
そのため、相談相手から全体像に関する質問を受けても、十分に説明できない。
加えて、相談相手が目上であれば、その回答に対して反論や訂正を控える心理が働く。
相談の場には実質的な上下関係があるため、会話の主導は相談される側の人が握りやすい。
この結果、相談する人は、本来確認したかった「一部分の具体的課題」について十分に掘り下げられないまま、会話が終了することがある。
さらに、相談相手の知識不足に気づいても、会話を自分の判断で打ち切ることが難しい。
繰り返して恐縮だが、お説教でもされようものなら、言葉に出来ないほどイヤ~な気分になる。
4. すれ違いの構造
相談する人と相談された人は、いずれもそれぞれの立場から問題解決を目指している。
しかし、両者の関心の範囲が異なるため、焦点が一致しにくい。
相談する側の人:部分的な課題の確認を目的としている。
相談された側の人:問題全体の整合性を確認しようとしている。あるいは、自身の不見識を隠そうとしている。
両者は同じテーマを扱っているように見えても、実際には異なるレベルの課題を前提に言葉を交わしている。
このズレが、目上の人に相談する際に生じる主なリスクである。
5. まとめ
相談の場では、情報の範囲と目的の認識に非対称がある。
相談する側の人は「部分的な助言」を求め、相談された側の人は「全体的な再構成」を試みたり、自分の不見識を糊塗しようとする。
両者ともそれぞれの立場で合理的に行動しているが、立場と気持ちの違いによって、望ましい結論に到達しない場合が多い。
本記事では、相談という行為に内在するリスクを構造的なずれとして整理した。
そこにあるのは、立場とそれによる心理から生じる現実的なリスクである。
この構造を理解しておくことが重要だ。
それを知っているだけでも、相談という行為に対する見方は大きく変わるだろう。
