恒産なければ恒心なし|なぜ資産形成が人生において重要なのか?

“No assets, no peace of mind”という英文とともに、家、コイン、手のひら、瞑想する人物を黒線で描いた線画。資産形成が人生後半の精神的自由を支えることを象徴している。
恒産なければ恒心なし|なぜ資産形成が人生において重要なのか?

人生において資産形成が重要な理由──
それはセカンドライフを自由に、思うまま生きるためです。

ここでいう“自由に生きる”とは、
キラキラした富裕層の暮らしを目指すことではありません。

他者の期待や生活不安から心を曲げず、
自分の価値観という座標軸に従って生きること。
それこそが「思うままに生きる」ことです。

人は職業に就き続けるため、生活のために、
信念を曲げ、やりたくないことをやり、
価値観とは異なる判断をせざるを得ないことがあります。

人生の前半では、それらもまた“人生修行”として大きな意味があります。
しかし後半戦では、
これまでに培った信念・価値観・想像力・危機管理能力を総動員し、
何ものにも縛られず、自分の判断で生きてみたい。

そのためには、
信念や価値観に背く行動をしなくて済む環境に、
自分自身を置く必要があります。

すなわち──
充分な生活基盤を持つことです。

本記事では、私が10代の頃、渡部昇一を通じて知った
「恒産なければ恒心なし」
という言葉を手がかりに、
資産形成が“自分の思うまま生きる自由”をどう支えるのか──
理屈コネ太郎なりの答えを述べてみたいと思います。


Contents

■ 第1章 資産形成とは「自由に生きるための環境づくり」である

資産形成の目的とは、
自分の価値観を守り、外圧に心を曲げなくてよい状態をつくることです。

人は生活のために信念を曲げるとき、大きなストレスを抱え、
時には身体的な不調すら引き起こします。

  • 上司の機嫌を読み取る

  • 組織の論理に合わせて自分の判断を脇に置く

  • やりたくない仕事をやる

  • 本心とは違う意見を場に合わせて述べる

  • 理不尽な叱責に耐える

こうした状況は、人生のある段階では社会人能力涵養のために必要ですが、
人生後半まで続けたいものではありません。

その圧力から自由になるための手段こそが、
資産形成=恒産づくり です。

 

参考記事➡プロに仕事を依頼する時 の注意点|人はやりたくないことはやらない


■ 第2章 前半生は“恒産を作りつつ、信念と価値観を磨く季節”

ファーストライフ(20〜60歳)の目的は、
主に次の二つに集約されます。

2-1 ① 所得・投資・保険を活用して“恒産”を築く

恒産とは、
外圧から自分を守り、
生活不安に心を支配されないための基盤です。

  • 所得:日々の暮らしと信用を支える(毎月少しずつ倹約して生じた余剰資金を投資に回す)

  • 投資:未来の選択肢を増やす(リスク分散と長期複利で資産形成)

  • 保険:破滅的損失を防ぐ

資産形成は、
「自分を曲げずに済むため」に重要なのです。

2-2 ② 人間観・社会観・歴史観の土台を築く

仕事、人間関係、失敗、読書、観察──
これらの経験が、人間観・社会観・歴史観を形づくっていきます。

後半生を思うまま生きるためには、
感情だけで判断しないための“世界を見る視点”そのものが必要です。

この視点は、お金だけでは買えません。
経験と学びの蓄積によって初めて育つものです。


■ 第3章 生活不安は、人の信念・価値観を変形させる

10代の頃、私は「恒産なければ恒心なし」の意味を深くは理解していませんでした。
しかし幸いなことに、この言葉が示す本質を直感的に捉えることができました。

生活が不安定だと、思想も判断も必ず歪む。

  • 生活のために迎合する

  • 場に適応するため本心ではない意見を口にする

  • 不本意な仕事を続ける

  • 自分の意見より他者の評価を優先させる

こうした状態は、誰にとっても苦しいものです。

だからこそ私は、前半生で
「生活に縛られない後半生をつくる」
という目標を持ちました。


■ 第4章 後半生の目的:恒産を土台に“思うままに生きる”

セカンドライフは、強制的な成長の季節ではありません。
むしろこう言えます。

これまでに培った信念・価値観・想像力を総動員し、
他者の期待や経済的外圧から自由になって、
自分の座標軸で生きる時期である。

働きたいなら働く
生活のためではなく、自分の価値観のために働く。

働きたくなければ働かない
“働かない罪悪感”は外圧であって、自分の価値観ではない。
働かなくてよい時間を思い切り思索や行動や検証に注きましょう。

やりたいことには理由はいらない
説明責任を果たす相手が誰もいなくなる。
やりたい事は、ただやればよい。
責任の大きさと所在はもう十分にわかっているから。

正しいと思う選択をする
誰かに認められる必要もない。

渡部昇一が示した「恒産→恒心」という構造は、
セカンドライフでようやく生きた意味を持ち始めます。

恒産があれば心が自由になる。
心が自由であれば判断が自由になる。
判断が自由であれば、人生は“自分のもの”になる。


■ 第5章 恒産があると努力しないという逆説──恒心の成熟とは?

親から受け継いだ恒産がある場合、
人が堕落してしまう例は確かにあります。

しかし自ら働き、倹約し、
投資と保険を駆使し、
数十年かけて複利で大きく育てた恒産を持つ人は、
それを浪費しようとはまず考えません。

彼らにとって恒産とは、
単なるお金ではなく、
人生そのものを支える“自由の装置”です。

そのうえで、
努力するかどうかは本人の価値観に委ねられます。

努力を続けるかどうかが問題なのではなく、

努力の理由が、自分の内側にあるかどうか。

ここに恒心の効果の表れます。


■ 第6章 健康寿命までを“人生の自由期間”として最大化する

健康寿命以降の人生は、
制度や介護形態、社会意識の変化が大きく、
現段階では合理的な設計が難しい領域です。

だからこそ今私たちが注力すべきは、

健康寿命までの“自分でコントロールできる時間”を
いかに自由に生き、自分評価で価値を最大化するか。

ファーストライフで築いた恒産、
そこから生まれる恒心が、
その自由を可能にします。

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■ 終章:資産形成は「自由に生きる後半生」のため

資産形成の目的は、
老後不安をなくすことでも、富裕層になることでもありません。

目的はただひとつ。

自分の価値観を守り、
信念に背かず、
外圧に揺らがずに生きるための自由を手に入れること。

その自由を可能にする基盤が、
渡部昇一の言うところの 恒産 です。

私がファーストライフで資産形成に努めてきた理由は、
まさにここにあります。

そして今、セカンドライフの入り口に立ち、
これからの人生は、
他者の期待でも役割でもなく、
私自身の価値観に従って生きていく時期に入ったことを実感しています。

そのための準備としての資産形成──
これこそが本記事で述べたかった、私の答えです。


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