第0章|本記事の位置づけ
本記事は、持ち家 vs 賃貸論争に関する四部作の第四部です。
第一部では、総支出額の比較という問題設定そのものが、なぜ腑に落ちないのかを整理しました。
第二部では、ファイナンスの視点から議論の解像度を上げ、多くの場合に賃貸を基準に考えることが合理的である、という結論を示しました。
第三部では、それでも人が持ち家に心を傾ける理由を、心理と体験の側から確認しました。
ここまで来ると、
もはや「どちらが正しいか」という問いは意味を持ちません。
残るのは、
自分はどの幸福を選び、
そのために、どのコストを引き受けるのか
という問いだけです。
本記事では、この地点から、持ち家 vs 賃貸論争を静かに終わらせます。
Contents
第1章|幸福は、コストのない場所には存在しない
どのような選択にも、必ずコストがあります。
金銭的な負担
流動性の低下
不確実性
判断を続ける負荷
幸福とは、こうしたコストを排除した先に現れるものではありません。
むしろ、
どのコストを引き受けるかを選び取った結果として、
立ち上がってくる感覚
に近いものです。
賃貸には、未決定であり続ける負荷があります。
判断を更新し続けること自体が、認知的なコストになります。
一方、持ち家には、流動性の低下や資産リスクといった、
明確なファイナンス的非合理性があります。
重要なのは、
どちらが「得か」ではなく、
自分は、どの種類のコストを引き受けられるのか
という点です。
第2章|合理性は基準にひとつにすぎない
第四部で扱っているのは、
合理性を否定する態度ではありません。
合理性を理解し、
ファイナンス的な結論を把握したうえで、
それでもなお別の選択を引き受ける、という姿勢です。
知らずに支払うコストと、
理解したうえで引き受けるコストは、
心理的な意味がまったく異なります。
理解したうえで引き受けた非合理性は、
後悔になりにくく、
選択への納得感として回収されやすい。
第3章|「引き受ける」という態度がもたらす自由
ファイナンス的に自由とは選択肢が多い事を示しますが、
人生という大きな枠においては選択肢が多い状態そのものは必ずしも自由ではありません。
第三部で見たとおり、
持ち家は不確定要素を閉じ、
判断を終わらせる装置として機能します。
それは、
未来の可能性を最大化するための選択
ではなく迷いを終わらせ、認知負荷を下げるための選択
です。
不確定要素を閉じることは、
自由を失うことではありません。
思考のエネルギーを、
より重要な領域に振り向けるための自由を生みます。
これは、人が不確実な環境を生き抜く過程で獲得してきた、
ごく基本的な生存戦略の一つだと考えられます。
第4章|持ち家を選ぶ人、賃貸を選ぶ人
持ち家を選ぶ人は、
安心
裁量
自己定義
「素敵」と感じられる生活感覚
を得る代わりに、
流動性の低下
資産価値変動のリスク
ファイナンス的な非合理性
を引き受けています。
賃貸を選ぶ人は、
自由
変化への耐性
合理性
を得る代わりに、
未決定であり続ける負荷
判断を更新し続ける疲労
を引き受けています。
どちらも、逃避ではありません。
引き受けているコストが異なるだけです。
第5章|失敗と後悔の扱い方が幸福への鍵
仮に、非合理性を理解したうえで選んだ幸福が、
期待どおりには実現しなかったとしても、
その経験は単なる失敗には終わりません。
判断の所在が自分にある限り、
なぜそう選んだのか
何を大切にしていたのか
どこに限界があったのか
を、あとから自分で回収できます。
その失敗や後悔は、
教訓として血肉となって成長や進歩となり
時間が経つにつれて、
ときに愛おしい経験にすら変わります。
一方で、判断を外部に委ねた結果の失敗は、性質が異なります。
誰かに勧められたから
多数派だったから
専門家がそう言ったから
そうした理由で選び、うまくいかなかった場合、
残るのは納得ではなく、
虚無に近い怨嗟の感情であることが少なくありません。
そこには、成長も更新も、ほとんど残らない。
第6章|この論争を終わらせるために
持ち家か、賃貸か。
この問いに、万人共通の正解はありません。
しかし、
合理性と心の作用の両方を理解したうえで、
非合理性を幸福のコストとして引き受ける
という態度は、
住宅に限らず、人生の多くの選択において有効です。
それは、
社会を生き抜く者としての、
基本的なスタンスだと思います。
結び
引き受けた選択の結果がどうであれ、
教訓と納得が時間をかけて昇華した姿が、幸福なのだと思います。サイト内他の記事への移動は下記より
