検索意図に擬態する「コレじゃない」記事を、検索エンジンが排除したい理由

検索結果を虫眼鏡で確認している様子。検索ワードには合っていそうだが、内容が期待とずれている記事を示唆している。
一見すると検索ワードに沿っていそうだが、実際には期待した内容ではない検索結果。

検索結果に表示された記事をクリックし、
一見すると検索ワードにきちんと沿っているように見えたのに、
実際に読んでみると
「求めていたのはそれじゃない」
という経験は、多くの人に覚えがあるだろう。

こうした記事は、
嘘をついているわけでもなく、
過激な表現を使っているわけでもない。
それでも、
ユーザー体験は確実に残念なものになる。

本記事では、
検索エンジンが現在、
検索ワードから推定する検索意図に“沿った”体裁を持ちながら、
中身の伴わないコンテンツの排除に、
最も大きなコストを払っているのではないか
という観点から、
検索エンジン企業の合理的な判断構造を整理してみたい。


Contents

1|検索エンジンは、検索ワードから「検索の意図」を推定している

検索エンジンは、
ユーザーが入力した検索ワードを
単なる単語の並びとして扱ってはいない。

それまでに蓄積された膨大なデータから、
その検索ワードが示しているのは、

  • 基本的な説明を求めているのか

  • すでに知っている前提で、一段深い理解を求めているのか

  • 整理された考え方や判断材料を探しているのか

といった、
ユーザーが何を求めているかであると想定し、
検索結果画面を構成している。

この推定があるからこそ、
検索結果は単なる文字列一致ではなく、
「それなりに意味のある並び」として機能する。


2|検索エンジン企業が考える検索サービスの価値と理念

検索エンジン企業が考える検索サービスの価値は、
きわめてシンプルなものだと考えられる。

それは、

  • 検索ワードから、ユーザーの検索意図をできるだけ正確に推定し

  • その検索意図に沿った記事を、検索結果に掲載すること

に尽きる。

検索サービスは、
特定の結論を押しつけるものでもなければ、
新しい価値観を提示する装置でもない。

ユーザーが入力した検索ワードに対して、
「求めているであろう情報」に
できるだけ無駄なく辿り着けるようにすること。
それが、検索サービスの基本的な役割であり、
長年支持されてきた理由でもある。

この前提があるからこそ、
検索エンジンは常に、

  • 検索意図の推定精度

  • 検索結果と検索意図の整合性

に強い関心を払ってきた。

検索意図に沿った記事が検索結果に並び、
ユーザーが「なるほど」と感じる体験が積み重なることで、
検索サービスへの信頼は維持される。


3|問題は、検索意図に沿っているように見える記事である

検索結果に表示される記事の中には、
検索意図に沿っているように見える体裁を
丁寧に整えたものがある。

  • 検索ワードに対応する言葉が並び

  • タイトルも妥当で

  • 本文の見出し構成も一見すると適切

しかし、
実際に本文を読んでみると、

  • 既知の一般論の繰り返し

  • 表層的な説明

  • 新しい整理や視点がない

といったケースも少なくない。

これらの記事は、
検索意図に近い形を取っているが、
ユーザーが本当に求めていた内容は
含まれていない。


4|記事作成者が「検索意図に沿って見せる」戦術を取る合理性

――検索結果とクリックという二つの関門

こうした記事が大量に生まれる背景には、
記事作成者側の合理性がある。

記事作成者にとって、
まず重要なのは
検索結果に掲載されることである。

検索結果に表示されなければ、
どれほど内容に力を入れても、
その記事は読まれない。

そのため記事作成者は、

  • 検索ワードに含まれる語彙

  • 検索結果に並んでいる他の記事の書き方

  • 検索エンジンが好みそうな構成

を研究・模倣し、
検索意図に沿っているように見える体裁を整える。

検索結果に掲載された次に待っているのが、
ユーザーにクリックしてもらうという関門だ。

検索結果に表示されても、
クリックされなければ
記事作成者にとって意味がない。

そのため、

  • 無難すぎないタイトル

  • それなりに期待を抱かせる表現

  • 「役に立ちそうだ」と思わせる言い回し

で、
タイトルや冒頭文が構成される。
いわゆるスニペットを意識した作り方だろう。

こうして、

  • 検索結果には載りやすく

  • ユーザーにもクリックされやすい

記事が量産されていく。

しかしこの段階では、
中身の充実度は
必須条件ではないのが実態らしい。

検索結果への掲載と
クリックの獲得までは、
体裁と表現の工夫で
到達できてしまうからだ。

その結果として、

  • 一見すると妥当

  • しかし内容は一般論の反復と多量の広告

  • 新しい理解や視点の提供がない

という、
「全然これじゃない記事」が
日々多数生産される。

それは、
記事作成者が不誠実だからではない。
二つの関門を効率よく突破しようとすると、
自然に選ばれてしまう戦術なのである。


5|具体例:「正しい減量法」という検索ワード

具体例で考えてみよう。
検索ワードが「正しい減量法」であったとする。

この検索ワードには、
単なる一般論ではなく、

  • なぜそれが正しいのか

  • どこで誤解されやすいのか

  • 通り一遍の方法が通用しない場合はどう考えるのか

といった、
ユーザーのこれまでの理解を
一段更新したいという期待が
暗黙に含まれている。

検索結果画面に
「間違いのない減量法」
というタイトルの記事が並ぶこと自体は、
不自然ではない。

しかし、
記事の内容が
「食べる量を減らして、運動量を増やす」
という誰もが知る説明に終始し、
それ以上の整理や
新しい考え方が示されていなければ、
ユーザー体験は著しく低下し、
残念なものになる。

場合によっては、
一種の怒りすら
生じることもあるだろう。


6|残念なユーザー体験は、検索エンジンへの不信を形成する

このような体験が繰り返されると、
ユーザーの不満は、
個々の残念な記事以上に、
検索エンジンそのものに向かう。

「なぜ、こんな残念な記事を
検索結果に出すのか」

この疑問が積み重なることで、
検索エンジンに対する信頼は、
少しずつ、しかし確実に
削られていく。

検索エンジンのブランド価値は、
「検索すれば、
だいたい納得できる何かに
辿り着ける」
という期待によって支えられている。

検索ワードが内包していた期待に
応えられない記事が
検索結果に増えるほど、
この期待は静かに崩れていく。

それまでGoogleを用いていたユーザーが
Bingに乗り換える動機になるかもしれないし、
その逆もまたあり得るだろう。


7|検索エンジンが最もコストをかけている領域

だから現在、
検索エンジンが最もコストをかけているのは、

検索意図に近い体裁を持ちながら、
実際には内容が大きく乖離している記事を見抜き、
検索結果に掲載しないこと

ではないかと、
理屈コネ太郎は推察している。

なぜなら、
これを実行するためには、

  • 検索ワードが示している検索意図を推定すること

  • 記事が表面だけ整えられたものか、
    内容も伴っているかを識別すること

が、
同時に求められるからだ。

これは、
膨大な学習データに基づき、
膨大な計算によって実装される、
かなりコストのかかる仕組みである。


8|なぜ「完全排除」も「放置」もできないのか

検索意図に沿うかのように見えるが
内容が伴わない記事は、
嘘でも違反でもなく、
検索エンジンが推定した
「検索意図」に
一見すると沿っているように
見えてしまう。

そのため、
判別は極めて困難だ。

一方で、
こうした記事を
検索結果に掲載してしまうと、
残念なユーザー体験の蓄積を通じて、
検索エンジンへの信頼が
中長期的に削られていく。

判別が極めて困難であるがゆえに
完全排除もできず、
ブランド力や
ユーザーからの信頼の低下を考慮すると
放置もできないという、
非常に難しい状況での運営を
続けている。


結び

繰り返して恐縮だが、
問題は、
検索意図に応えるように見せかけて、
実際は応えていない記事が、
日々大量に生産されていることである。

検索エンジンが今、
最も神経を使っているのは、
検索意図に沿っているように見えながら、
実際には応えていない記事の識別と、
検索結果からの排除である。

そして、そのために
日々払われているコストこそが、
検索エンジンという事業の
信頼を下支えしているのだと、
私は考えている。


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