「暇つぶし」と聞くと、多くの人は“時間の浪費”を思い浮かべる。
だが、私はむしろその逆だと思っている。
人は、暇の過ごし方によって、人生の香りと厚みを育てていくこともできる。
暇を、少しだけ意外な方向に、そして少し典雅に使う。
それだけで人生の密度は驚くほど変わる。
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人の厚みを決めるのは、何を嗜むかだ
暇つぶしの対象は、ほんの少し型破りで、どこか趣きのあるものがいい。
その時間は、将来の役に立つとか、効率がいいとか、そんな尺度とは無縁であってよい。
ただ、「語るとしたら、ほんの少し香りが残る」ような対象――それが、良い暇潰しだと思う。
たとえば、日本舞踊の流派の違いを調べてみる。
フランスワインの「テロワール」という思想を、
アメリカやオーストラリアの造り手がどう受け止めているのかを覗いてみる。
あるいは、ある時代の音楽家や作家たちの交友関係を調べて、
思想と手法のせめぎあいを探ってみる。
どれも、何の役にも立たない。
しかし、こうした些細な暇潰しを積み重ねることで、人の語りには奥行きが生まれる。
それは、他者があなたに抱く印象を変える。
「この人、少し面白い」と思われた瞬間、会話の空気が変わり、世界が少し広がる。
また、嗜みの対象だけでなく、その手法にも美しさは宿る。
たとえば、ちょっと興味をもった事を少し深掘りして調べ、
「ふうーん」「へえ~」と思った事をメモに残し、
あとで自分の言葉で整理してみる。
それだけで、暇の過ごし方そのものが、上品な遊びになる。
手間を惜しまず、知的好奇心を静かに形にしていく行為――
その方法論こそ、成熟した暇潰しの真骨頂かもしれない。
鑑賞を「理解」に変えるという嗜み
たとえば、絵画を鑑賞するという行為。
多くの人は「美しい」「有名だから」と感じるままに眺めるが、
その作品が“なぜ”素晴らしいのかを知ると、鑑賞の厚みがまるで変わる。
ゴッホが何に苦しみ、同時代の画家たちとどう関わり、
どんな絶望や希望のなかで筆を執りそれまでにない画風を獲得していったのか。
そうした背景を思いながらキャンバスを見つめると、
絵の中に、時代の空気と人間の息づかいが見えてくる。
絵画を“感性で味わう”のではなく、
理解によって味わう――これこそが、深く静かな愉しみである。
こうした“ちょっと深く覗いてみる”暇の使い方は、
どんな分野にも応用できる。
ほんの少し調べ、考え、想像する。
それだけで、世界との関係が一段深くなる。
教養は滲み出てしまう
人は未知の領域の案内係的な立場の人には、一種の敬意を覚えるものである。
さりげなく語る蘊蓄や、生活の中の選択の一つ一つに、その人の“思想の香り”がにじむ。
そこに特別な努力や戦略はない。
むしろ、楽しんで掘っていたら、結果的に他人が尊敬してくれた――そのくらいの軽やかさでいい。
教養とは、プロセスとして積み上げるものだが、結果として滲み出てしまうものだ。
滲み出るには、少しの“無駄”が要る。
その無駄は、暇の中にしか存在しえない。
暇潰しが経済的厚生をもたらすこともある
興味深いのは、上質な暇潰しが、時に経済的な豊かさにも繋がることだ。
人は、厚みのある人物にチャンスを与えたくなる。
似たような実績の二人なら、人間性の“厚い”方にチャンスが与えられることが多い。
その“厚み”は、知識や地位よりも、暇の過ごし方から滲み出る。
つまり、上質な暇潰しは、意図せずチャンスを拡張する可能性も秘めている。
それが回り回って経済的な厚生に繋がることもあれば、
単に人生を少し愉しくしてくれるだけのこともある。
どちらでもいい。
そもそも暇つぶしなのだから。
成果も大切だが、薫風にも目配りを
多くの自己啓発書が“成果”を求めるように促す。
しかし、世の中の殆どは確率論的な運で決まってしまう。
努力しても、成果が出ないこともある。
それでも、薫風の香りが残せる人の評価はあまり下がらない。
なぜなら、周囲の人はその人の厚みを知っているからだ。
上質な暇潰しとは、成果を積むことではなく、香りを醸す土壌を作ることだ。
人は、その香りに惹かれ、あなたという存在に信頼を寄せる。
それは経済的にも心理的にも、最も確実で静かなリターンをもたらす。
結び──若い頃の暇潰しが、いまの自分を作っていた
思い返せば、私がこのサイトで表現しているような考えを持つようになったのは、
若い頃の“暇潰し”のおかげかもしれない。
当時は何の目的もなく、ただ興味の赴くままに調べ、
トリビアとトリビアをつなげて「ふうん」「へえ」と思っていただけだった。
けれど、そうやって拾い集めた断片が、
いつの間にか人間観や世界観、歴史観を形づくっていたのだ。
結果として、今の自分にはわりと満足している。
効率や成果を追わず、暇を“香る土壌”にしてきたことが、
私に思考や行動の深さを与えてくれたように思う。
もし今、あなたが何かに少し興味を持ったなら、
それはきっと、未来のあなたの香りになる。
上質な暇潰しとは、将来の自分に贈る静かな贅沢である。