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はじめに
フェミニズムは、男女の関係性をフェアに見つめ直す学問なのか。
それとも、科学や現実を無視して男女の対立を煽るイデオロギーなのか。
この二つの理解は、現在の言論空間でしばしば混在している。
その結果、「フェミニズム」という言葉そのものが、賛否や感情を呼び起こす記号のように扱われ、冷静な議論が成立しにくくなっている。
本記事では、学術フェミニズムとは何かを整理し、その到達点と歴史を俯瞰したうえで、近年目立つ言論フェミニズムとの違いを明確にする。
フェミニズムを「分断の道具」ではなく、社会を考えるための思考の道具として捉えることが目的である。
学術フェミニズムの現在地
何が問題で、何が問題ではないのか
学術フェミニズムの中心的関心は、明確である。
それは、
性別を理由に、役割や生き方が慣習的に、不可逆的に、そして思考停止のまま固定化されてきた社会構造
への問いである。
ここで重要なのは、学術フェミニズムが何を批判対象としていないかを理解することだ。
家族そのもの
役割分担そのもの
生物学的差異そのもの
これらは、学術フェミニズムの否定対象ではない。
問題とされてきたのは、それらが
「他に選択肢がありうるにもかかわらず、考えられなくなっている状態」
として制度や規範に固定されてきた点である。
フェミニズムは、男女の勝ち負けを決める思想でも、道徳的優劣を断罪する思想でもない。
前提として固定されたものを、もう一度考え直すための問いの枠組みである。
学術フェミニズムは人文社会系であるが、自然科学を無視しない
学術フェミニズムは、人文社会系の研究領域に属する。
しかしそれは、自然科学を軽視したり、無視したりすることを意味しない。
むしろ学術フェミニズムは、他の社会科学と同様に、自然科学の知見を前提条件として尊重したうえで議論を組み立てる立場を取ってきた。
実際に参照されてきた分野は多岐にわたる。
生物学(性差、生殖、ホルモンの影響)
心理学・発達心理学
社会学・経済学
医学・公衆衛生
学術フェミニズムが問題にしてきたのは、自然科学そのものではない。
科学的知見を装った思い込みや、限定条件を無視した一般化である。
たとえば、
「女性は本能的にケア向きだ」
「男性は競争に向いているから管理職に適している」
といった言説は、科学的事実としては成立していないにもかかわらず、長らく“自然なもの”として扱われてきた。
学術フェミニズムは、こうした疑似科学的常識を問い直してきた。
重要なのは、
事実(what is)と規範(what ought)を分ける
という態度である。
自然科学の知見を否定して規範を作るのではなく、その知見を踏まえたうえで、社会制度や慣習のあり方を検討する。これが学術フェミニズムの方法論だ。
生物学的差異と社会制度
否定ではなく「拡張のされ方」を問う
男女には、生物学的差異がある。
出産や授乳はその代表例であり、これは自然な男女間の差異である。
学術フェミニズムは、この事実を否定しない。
問うてきたのは、その差異がどこまで社会的役割分担へ拡張されてきたのかという点である。
生物学的差異が、
家庭内役割の全体
職業選択
一生の生き方
にまで連鎖的に結び付けられてきた歴史がある。
フェミニズムは、その拡張の論理を精査してきたのであって、生物学そのものを敵視してきたわけではない。
LGBT・性自認はフェミニズムの中でどう位置づけられるか
学術フェミニズムとLGBT運動は、同一ではない。
両者の接点は、
性別二分法を前提とした制度設計への問い
にある。
学術フェミニズムにおいて、性自認は生物学的事象ではなく、内心の自由として扱われる。
性自認の多様性それ自体は、学術フェミニズムにとって解決すべき論点ではない。
それは前提条件であり、是非を判定する対象ではない。
問題になるのは、性自認を基点として、少数において深刻な苦痛が生じる場合である。
その場合の原則は、
医療・福祉による個別対応
一般制度への無限定な拡張を避ける慎重さ
である。
思春期と成熟した大人を混同しない
性的指向や性自認の問題は、発達段階によって次元が異なる。
思春期は、身体・心理・自己像が大きく揺らぐ時期であり、可塑性が高い。
この段階で重要なのは、介入よりも見守りであり、ラベリングや固定化を避けることである。
一方、成熟した大人は、十分な人生経験と判断力をもとに、自らの道を選ぶ存在である。
その私的選択は尊重されるべきであり、国家や教育が介入する対象ではない。
学術フェミニズムは、こうした発達段階の違いを無視する思想ではない。
言論フェミニズムとは何か
なぜ分断の道具に見えてしまうのか
近年、フェミニズムが「分断の道具」に見えてしまう背景には、言論フェミニズムの存在がある。
言論フェミニズムの特徴は、
即時的な政治的発信
道徳的立場表明の強調
善悪二分法
にある。
科学的留保や条件付きの議論は、「逃げ」や「加害」と見なされやすく、その結果、
思考の停止
過剰な一般化
新たな対立
が生まれる。
これはフェミニズム固有の問題ではない。
現代の言論空間全体が抱える構造的問題である。
結論
フェミニズムを「思考の道具」として捉える
フェミニズムとは、
男女の対立を煽る思想でも、科学的事実を無視するイデオロギーでもない。
それは、
考えられなくなった前提を、もう一度考えるための思考の道具として捉えられるべきものである。
少数の深刻な苦痛は、個別に、専門的に守られるべきだ。
しかし、その少数性を理由に、大多数の厚生や社会の安定を損なうことは、学術フェミニズムの目的ではない。
フェミニズムが分断の道具として使われるとき、
それは学術フェミニズムの射程を外れている。
本来のフェミニズムは、社会を理解し、制度を点検するための思考の道具として捉えられるべきだ。
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