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はじめに
ボートライフについて、
海の上でくつろぐ優雅な遊びを想像する人が多い。
しかし実際のボートライフ、とりわけ航海時は、
当事者性100%の没入体験に愉しみの本質がある。
自然条件、船という機械、そして操船に関する判断と技術。
そのすべてを同時に引き受け、
誰かに頼ることなく自分で完結させる行為の連続が、ボートライフである。
本記事では、「ボートライフ=優雅な趣味」というありがちな誤解を整理し、
その実像がどのようなものかを説明する。
第1章
ボートライフにも優雅な場面はありえる
最初に断っておくと、
ボートライフに優雅な時間がまったく存在しないわけではない。
穏やかな海況と天候のもと、
準備が整い、
同乗者も状況を理解している。
そうした条件が揃えば、海の上で静かに過ごす心地よい時間は確かに存在する。
ただし、それはボートライフの常態ではない。
優雅さが味わえるのは、
あくまで条件が揃った「一場面」にすぎず、
ボートライフ全体を代表する姿ではない。
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第2章
ボートライフではほぼ全編で注意力MAXが要求される
航海中のボートでは、
注意を向ける対象は非常に広い。
風や波、潮といった自然条件
- 他の船舶やカヤック、流木や障害物
船体・エンジン・計器類という機械の状態
進路や速度、周囲状況に対する操船判断
これらを同時に、継続して引き受けつづける必要がある。
この注意を切り離すにはどうすればよいか。
答えは単純で、キャプテンやクルーを雇うしかない。
それほどまでに、航海中は注意を自分から切り離すことが難しい。
ボートライフの本質は、
自分の判断と行為の全責任を引き受ける事と引き換えに得られる愉悦である。
第3章
広告で見る「優雅な時間」は、どこで生まれているのか
ボートライフが優雅に見える理由は、
多くの場合、切り取られている場面にある。
広告やパンフレット、写真で描かれるボートの姿。
その多くは、
船がマリーナに係留されている状態だ。
動いていない船。
陸と常につながっている環境。
管理された空間。
そこでは、
航海時に必要な集中や判断から一時的に解放される。
優雅な時間が成立するのも、無理はない。
しかしそれは、
ボートライフの一部であって、
航海そのものではない。
誤解は、この一点から生まれる。
第4章
ボートライフの本質は「当事者性100%の没入体験」である
ここまで整理すると、
ボートライフの本質は自然と見えてくる。
それは、
優雅さでも、贅沢さでもない。
判断と行為と結果責任のすべてを同時に引き受ける、当事者性100%の没入体験である。
誰かが用意したサービスを享受するのではなく、
状況を読み、判断し、行動し、その結果を引き受ける。
この性質ゆえに、
ボートライフは万人向けではない。
集中を要し、気も抜けない。
だが、この没入感に価値を見出す人にとっては、
他に代えがたい体験となる。
おわりに
それでも惹かれる人がいる理由
ボートライフは、
優雅な趣味として始めるものではない。
しかし、
自然と直接向き合い、
自分の判断で世界を動かしている感触を得たい人にとっては、
強く惹きつけられる世界でもある。
誤解を解いたうえで、
それでも惹かれるなら。
その人にとって、ボートライフはきっと意味のある体験になるだろう。
