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はじめに
持ち家は、長期的にはファイナンス的に不利になりうる。
住宅ローン、固定資産税、修繕費、流動性の低さ、さらには人口分布の変動による土地価格の下落。
冷静に計算すれば、そうした事実を多くの人がうすうす理解している。
関連記事➡持ち家 vs 賃貸論争に、ファイナンスの視点で合理的な結論を出す
それでも人は、持ち家を欲しがる。
それはなぜなのか。
この問いは、「合理か非合理か」という二分法では説明できない。
なぜなら、所有とは単なる経済行為ではなく、
法・お金・そして人の心情が重なり合った、自分を表現する行為だからだ。
本稿では、「所有」という当たり前すぎる概念を、
法的、ファイナンス的、そして生活感覚に近い心情的な視点から整理し直してみたい。
いま改めて「所有」の意味を確認することで、
生き方の選択肢が少し増えるのかを考えるためである。
法的に見た「所有」
所有権とは何を意味するのか
法的に言えば、所有とは「使用・収益・処分」の権利を持つことを指す。
つまり、その対象について最終的な決定権を持つ、ということだ。
自分の家であれば、
住み方を決め、貸すかどうかを決め、売るかどうかを決められる。
この「最終決定権」こそが、法的所有の核心である。
所有は「何でもできる権利」ではない
しかし、所有は万能ではない。
建築基準法、都市計画、消防法、景観条例。
注文住宅であっても、法規の枠内でしか建てることはできない。
すべてを自分の思い通りにした家を建てるのは、まず無理である。
さらに、設計を担う建築士の美意識や、
将来の瑕疵責任を避けようとする職業的判断も加わる。
お金を払えば、何でも自由にできる――
少なくとも住居に関しては、そう単純ではない。
この点については、
別記事「プロに仕事を依頼する時の注意点|人はやりたくないことはやらない」で詳しく述べているので、
関心のある方は参考にしてほしい。
法的所有が与えるもの、奪うもの
法的所有は、確かに関連法規に許容される範囲内で最終決定権を与える。
しかし同時に、制度や責任の束を引き受けることでもある。
所有によってある種の自由を得る代わりに、
別の拘束を引き受け、簡単に撤退しにくくなる。
この両義性は、所有のあらゆる局面に顔を出す。
ファイナンス的に見た「所有」
所有はキャッシュフローを固定化する
ファイナンスの観点から見ると、所有とは
キャッシュフローを長期間固定化する選択である。
住宅ローン返済、税、保険、修繕。
毎月、あるいは毎年、一定の支出が発生する。
流動性を失うという代償
賃貸であれば、環境が合わなければ移ることができる。
しかし所有は、簡単には動けない。
売却には時間がかかり、価格も保証されない。
多くの人は不利になりうることを知っている
重要なのは、多くの人がこの事実を知らないわけではない、という点だ。
「持ち家は必ず得だ」と本気で信じている人は、
実際にはそれほど多くないだろう。
それでも所有を選ぶ人が少なくない理由は、
数字の外側にある。
心情的に見た「所有」①
それでも人が持ち家を選ぶ理由
「ここは自分の場所だ」という感覚
持ち家が与える最大の価値の一つは、
「ここは自分の場所だ」と言える感覚だろう。
誰に許可を取る必要もなく、
誰に説明する必要もない。
この排他性は、心理的な安心を強くもたらす。
排他性と裁量感
自分で決められる範囲がある。
多少失敗しても、それを自分で引き受けられる。
この裁量感は、日常の認知負荷を確実に下げる。
達成感という分かりやすい報酬
持ち家取得は、多くの人にとって長期目標の達成でもある。
「ここまで来た」という実感。
心理学では、こうした感覚を自己効力感と呼ぶことがある。
これは単なる満足感ではない。
自分はこの社会の中で、一定の課題をやり遂げた、という確認でもある。
社会的承認・規範達成のシグナル
日本社会では長らく、
持ち家は「人生を順調に進めてきたこと」の可視的な指標でもあった。
周囲への見栄と切り捨てるのは簡単だが、適切ではない。
より正確には、社会的承認や規範達成のシグナルと呼ぶべきだろう。
人は他者からの評価を、思っている以上に気にするものである。
生活感覚としての「所有」②
世界を自分に合わせたいという欲求
人は世界を支配したいわけではない。
多くの場合、ただ周囲の環境や生活空間を、自分に合う形にしたいだけだ。
クルマのカスタム、部屋の配置という行為
シートを替える。
ハンドル径を変える。
家具の配置を工夫する。
これらは、周囲環境や生活空間を、
自分の身体感覚や思考の癖に合わせる行為である。
心理学では、空間や物理環境が思考や感情に影響するという考え方を、
身体化認知と呼ぶことがある。
所有しなくても自分仕様化は可能だが
重要なのは、
この自分仕様化が必ずしも法的所有を必要としない、という点だ。
借り物の部屋でも、
一時的な環境でも、
人は世界を自分に寄せることができる。
ただし、それはどうしても
所有した場合ほどの自由度にはならない。
世界の私有化という衝動
自分仕様化と私有化の違い
自分仕様化が「合わせる」行為だとすれば、
私有化は「支配する」行為に近い。
自分仕様にするには、
私有化が最も手っ取り早く、合理的に見えることもある。
最終決定権を持ちたいという欲求
誰にも口出しされず、
説明責任からも解放されたい。
この欲求は、人間のかなり深いところにある。
持ち家が私有化の入口に見える理由
持ち家は、社会的に許された最小単位の私有化である。
だからこそ、人はそこに強い魅力を感じる。
たとえファイナンス的に不利であっても、
その代償と引き換えに、
周囲環境や生活空間を自分仕様にできる自由を手に入れたと考えることもできる。
所有と世界への作用性
人は世界に作用できている感覚を求めている
人が本当に欲しているのは、
世界を完全に支配する力ではない
(そうした人が独裁国家に存在する可能性は否定しないが)。
多くの場合、人が求めているのは、
世界に対して何らかの作用が及んでいるという実感である。
所有が与える調整力(裁量)
所有は、この作用性を高める。
しかし同時に、行動の自由度を下げる。
なぜなら、健全な社会では、
インフラや建築、所有には必ず法規制が伴うからだ。
社会に対して何らかの作用を与えようとすれば、
多くの場合、何らかの制約や規制と向き合うことになる。
成熟すると所有との距離は変わる
所有が目的ではなくなる段階
経験を重ねると、人は気づき始める。
所有は目的ではなく、手段である、と。
所有によって発生するコストや不自由を何度も経験すると、
所有の意味は大きく変化する。
自由をキャッシュに戻すという選択
とくに、
周囲からの承認や何らかの達成をすでに得ている年齢になると、
所有を手放し、
モノに固定された自由をキャッシュという流動性の高い資産に戻す人もいる。
自分仕様化を持ち運べるようになる
道具、習慣、距離感。
ビジネスツールや生活ツールは、
行く先々のインフラを使うことで、
自分仕様をポータブルにすることができる。
環境に依存せず、
自分仕様を維持できるようになる。
所有は選択肢の一つに戻る
持つか、持たないか。
それは信条ではなく、状況に応じた選択になる。
世間からの評価や達成感のためにモノを所有する年齢も人生にはある。
それがビジネスの原動力になることもある。
一方で、自分の能力や実績に確かな手応えを持つ人は、
そうした外形的なものに頼らない選択をすることもあるだろう。
おわりに
所有は、否定すべきものでも、
神格化すべきものでもない。
それは、人が世界と折り合いをつけるために選んできた、
いくつかの方法の一つに過ぎない。
当たり前だと思っていることを、
ときに疑い、分解し、組み直してみる。
そうした思索は、
自分の知識や思考の癖を棚卸しする良い機会になる。
本稿が、
読者にとってその小さなきっかけになれば幸いである。
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