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はじめに
初めてマイボートを選ぶとき、多くの人は「広くて快適で、しかも航行性能の高い船」を思い描きます。
しかし小型船舶の設計には、物理的な制約と経済的な制約があります。安定した航行性能は波を左右に切り裂くような船首構造が基本です。しかし、船首を鋭くすれば室内は狭くなり、室内を広げれば波切性能は落ちます。これが、室内空間と航行性能のトレードオフです。
つまり、室内空間の広さと航行性能の高さは、構造的に両立しにくい関係にあります。
本記事では、そのトレードオフの構造を分解し、初心者が最初の一艇で何を賭けているのかを明確にします。
第1章|小型船舶には全長という制約がある
小型船舶には様々な理由から全長の制限があります。
特に係留費用は大きな制限の1つで、全長が長くなるほど係留費用や保管費用は増加します。
したがって多くのマイボートオーナーは、予算との均衡の中で全長を抑えた船を選択します。
もし、全長を好きなだけ延ばせるなら、
波切性能と室内空間の両立は理論上可能です。
しかし現実には、
限られた全長の中で波切性能と船首容積を配分する必要があります。
ここが、多くのボート設計者の悩みどころなのです。
第2章|船首形状が航行性能を決める
本記事における航行性能とは、
波に対して船首がどれだけ水を左右に切り裂き、衝撃を分散し、安定して前進できるかという性能を指します。
航行性能は他にも尺度がありますが、本記事ではこの尺度だけに絞ります。
船内を広くするために船首を広く高く設計すると、
船体は波を切り裂かず、波に乗り上げやすくなります。
波に乗りあげると、ドタンバタンと船底が海面を叩きます。
このドタンバタンが、航海中の疲労と不快の最大の原因と言われています。
一方で、
波を左右に切り裂くために船首を鋭く深いV字形状に設計すると、
船は波に乗らずに、波を切り裂いて進みます。
これを波切性能と呼ぶ人もいます。
波切性能が良いと、
船体の上下動は抑制され、波のある海面や外洋での安定性は向上し、乗員の疲労と不快を大きく軽減します。
第3章|波切性能を優先すると室内は狭くなる
波切性能を優先して船首を細くすると、
船首内部の容積が減少し、
船首部分の居住空間は縮小します。
狭い船首区画は天井で外界と遮断されていても、
横になれるスペースもなかったりします。
とうぜん、収納容量も減少します。
テーブルや対面配置の自由度も下がります。
お洒落に過ごすための空間がなくなってしまうかもしれない。
つまり、
波切性能を高める設計は、
室内での滞在快適性を削る構造を持ちます。
第4章|室内空間を優先すると航行は限定される
逆に、
室内空間を優先する設計は、船首容積を増やします。
船首容積が増えると、
キャビンは広くなります。
広いキャビンは、
食事、休憩、宿泊といった「船内での過ごし方」の自由度を高めます。
しかしその設計は、
波の高い海況では波に乗ってしまい、ドタンバタンと衝撃が増えやすくなります。
したがって室内空間重視の船は、
海況が穏やかな日の短時間出航に適します。
第5章|遊び方が設計思想を決める
外洋に出る。
長時間走る。
うねりの中を移動する。
この遊び方を想定する所有者は、
波切性能を優先する合理性を持ちます。
一方で、
アンカリングして過ごす。
家族と食事をする。
海上で滞在時間を楽しむ。
この遊び方を想定する所有者は、
室内空間を優先する合理性を持ちます。
第6章|初心者にとって初艇は賭けになる
自分が船に何を求めるかが分かっている人はとくに問題ありません。
問題は、初心者です。
初心者は、自分がどの遊び方を継続するかをまだ確定できません。
外洋志向になるのか。
滞在志向になるのか。
移動を楽しむのか。
停泊を楽しむのか。
お洒落なマリーナ時間を楽しむのか。
この将来の方向性が未確定であるため、
最初の一艇選択は、
将来の遊び方を「賭ける」ことになります。
船は簡単に買い替えられる価格ではありません。
したがって初艇の設計思想は、
その後の体験の質を大きく規定します。
第7章|理屈コネ太郎のケース
私の愛艇は、フランスのボートメーカー Jeanneau が製造する
Merry Fisher 895 Sport です。関連記事➡愛艇紹介 Jeanneau社製 Merry Fisher 895 Sport
この艇は、万能性を前面に出した広告戦略で販売されています。
実際、釣りもできる。クルージングもできる。宿泊もできる。
だいたいなんでもできる。
非常に高い万能性を持っています。
しかし、どの方向にも少しずつ足りていません。
特に波切性能においては、同程度のサイズでもっと良い船はたくさんある。
船首に独立したキャビン空間を持つため、船首容積が大きく、波に乗り上げやすい構造を持っています。
この欠点は、購入後に体験し、他艇と船首形状を比較して初めて分かりました。
では、後悔したか。
私は後悔しませんでした。
この艇は、私の様々なボート遊びの伴侶になってくれました。
だから私は、欠点を嘆くのではなく、
波切性能の弱さをどう自分の遊び方の中で非問題化するかを考えました。
そして気づきました。
どれほど波切性能が良さそうな船も、
海況の悪い日は出航していません。
風が強く波が高い日は、
プレジャーボート自体が海面にいません。
毎日海を見ている私にはわかるのです。
皆、快適に遊びたいのです。
海という自然の前では、
どれほど巧妙に設計された艇であっても、
プレジャーボートはやはり頼りない存在です。
結論
室内空間と航行性能は、構造的に両立しにくい関係にあります。
しかし、その選択は絶対的な正解・不正解を生むものではありません。
万能艇を選ぶことは、間違いではありません。
波切性能を優先することも、間違いではありません。
重要なのは、
欠点を購入後に理解し、
それを受容し、
自分の遊び方を調整することです。
初心者にとって初艇は確かに賭けです。
しかしその賭けは、
外れることを恐れるものではありません。
賭けてみる。
その結果を引き受ける。
そして、買った艇で愉しく遊ぶ。
それが、プレジャーボートとの健全な付き合い方です。
