ミランダ・ホッブスという人物|知性と自己決定の旗を掲げ、揺れながらも歩き続ける女性

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はじめに|自分の人生を自分で選ぶ──だが、すべてが自分の意志だったのか?

『Sex And The City』の4人の女性たちのなかで、ミランダ・ホッブスは常に“自立”の象徴である。ハーバード・ロースクール卒、企業弁護士、シングルマザー。だが、そんな「自己決定」の履歴の裏側には、偶然と状況に揺られながらも“自分を失わない”という頑強な意志が潜んでいた。『And Just Like That…』において、その一貫性は揺らぎ始める。だがそれもまた、“人が変わること”そのものを引き受ける彼女の生き方だった。


第1章:ペンシルベニアからNYへ──地方出身者としての出発

ミランダはペンシルベニア州の地方都市の出身で、4人の中で唯一、ドラマ中で家族が描写されたキャラクターである。とりわけ母親の死と葬儀の回は、彼女のルーツと感情の内奥を垣間見せる重要なエピソードとなっている。

保守的な家庭に育ち、自分の生き方を見出すためにNYへ出てきた彼女は、「家族と距離を置きながらも、他者に頼らない自分」を構築していく。


第2章:ハーバード・ロースクール卒──知性と自己管理による武装

ミランダの武器は、知性と合理性だ。切れ者揃いの企業法務の世界で生き抜くため、彼女は「甘さ」や「隙」をすべて封印した。ハーバード・ロースクール卒という学歴も、その徹底した自己管理の表れである。

キャリアとは「好きだからやる」ものではなく、「生き残るためにやる」もの。ミランダはそうして、人生を計画と努力で築き上げようとした。だがこの姿勢は、しばしば彼女を孤独にし、人間関係において感情の表出を困難にした。


第3章:「女らしさ」や「甘さ」から距離をとるという態度

ミランダは“女らしさ”に象徴される言動──外見的な愛らしさ、従順さ、感情の豊かさ──にあえて距離を置いてきた。ドレスよりもパンツスーツ、甘い言葉よりも皮肉、恋愛相談よりも訴訟戦略。

これはフェミニズムというより、「自分が戦うために取った防衛的態度」と見るべきかもしれない。恋愛にも幻想を抱かず、情熱に溺れるキャリー、結婚に理想を投影するシャーロットとも対照的に、ミランダは“好きだから付き合う”“条件が整えば続ける”という冷静な選択モデルを基本としていた。


第4章:スティーブという“予定外の幸福”との出会い

スティーブ・ブレイディとの出会いは、ミランダの合理性に穴をあけた最初の出来事だった。学歴も収入も低く、感情豊かで、優しいが計画性のない男。ミランダにとってスティーブは、「理想」から最も遠い存在だった。

だが彼の“人としての誠実さ”に、彼女は何度も立ち戻ってしまう。別れては再会し、距離を取りながらも心が戻っていく。その関係は、ミランダにとって“感情の抗えなさ”を教える学びの連続だった。そして、予定外の妊娠と出産が、彼との結婚という決断へと彼女を導いていく。


第5章:出産と育児──母になることもまた予定外だった

ブレイディの妊娠が発覚したとき、ミランダはスティーブと別れていた。にもかかわらず、彼女は産むことを決意する。これは、「女としての役割に従った」行為ではなく、「選ばなければならないから選ぶ」という実践的な決断だった。

その後の育児は、弁護士としてのキャリアとの両立を求められる厳しい挑戦となる。自分の母親を失った直後に母になるという体験は、彼女の中にあった「感情の抑制装置」に少しずつ亀裂を入れていく。


第6章:マンハッタンを離れブルックリンへ──“譲歩”ではなく“再構築”

マンハッタンに生きるキャリアウーマンとしての自負を持っていたミランダにとって、ブルックリンへの引っ越しは生活水準を落とす事だった。だがこれは、“譲歩”ではなく、“再構築”である。

スティーブとブレイディと3人で生きていく空間を整えること。それは、キャリアよりも生活を優先するという価値観の転換ではなく、複数の価値の併存を受け入れるミランダなりの戦略的着地点だった。


第7章:AJLTにおける“再びの転機”──感情の解放と自己像の崩壊

『And Just Like That…』において、ミランダはかつての理性的な自分を捨てるような行動に出る。ノンバイナリーのスタンダップ・コメディアン、シェとの出会いは、彼女の中の何かを劇的に揺さぶった。

この関係は衝動的で、非合理で、若い頃のミランダならば決して許さなかったような感情の飛躍に満ちている。しかしこれは、「理性の鎧を着てきた人生」に対して、“感じるままに動くこと”を自らに許した初めての行動だったとも言える。


第8章:スティーブとの別離──誠実だった人への“誠実でない選択”

ミランダがシェとの関係にのめりこむ中で、スティーブとの距離は決定的に広がる。彼女は、長年自分を支えてきた誠実なパートナーを“置き去り”にした形となった。

だが彼女にとってこれは、「自分の感情に忠実であること」と「誠実な関係を続けること」が両立しない場面だった。どちらかを選べば、どちらかを傷つける。それでも彼女は、「自分がこれからどう生きたいか」を基準に選んだのだ。


第9章:自分をつくりなおすということ──50代で揺れるアイデンティティ

ミランダの人生は、一見すると“自分で選びとってきた人生”のように見える。だが、その選択の多くは、状況に押し出されるようにして「選ばされた」ものでもあった。偶然、妊娠、別離、引っ越し、再婚、別離──どれも完全に自分がコントロールしたものではない。

それでも彼女は、その都度“最適と思える形”を模索し続けた。50代になってなお、自分をつくりなおそうとする彼女の姿は、「人は未完成のままで生きていてよい」ことを体現している


終章:決して完成しない人間として──歩きながら、考え続けるミランダ

ミランダ・ホッブスという人物は、強く、理性的で、自立していた。だが同時に、傷つきやすく、不器用で、揺れ続けている。『SATC』では“自分の人生を切り拓いた女性”として描かれた彼女が、『AJLT』では“揺れ動く中年の女性”として新たな試練に立ち向かう。

それは退行でも裏切りでもない。むしろ、人生に「変わる自由」と「迷う権利」があることを示す勇敢な選択である。

キャリーやシャーロットが“落ち着いた答え”に辿り着いているように見えるのに対し、ミランダは今もなお“問いの中に立っている”。それこそが、彼女という人物の最大の魅力と言えるだろう。


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