足病医はなぜ生まれたのか ――Podiatryの成立史から見る日米医療制度の分岐

米国には、日本には存在しない医療資格がある。
所変われば品変わる。国が変われば制度が変わる。合衆国では、MDとは教育体系が異なるが、同一の医師免許として認められるDOという資格が存在するいっぽうで、合衆国にはまた日本には存在しないPodiatry という医療領域がある。

Podiatrist(Wiki英語版を参照)あるいはDoctor of Podiatric Medicineは、足と足関節に発生する多くの疾病の診療を行う医療専門職である。

「足」だけを専門に診る医療資格である。

日本には相当する専門職も資格も存在しない。

医療をどのように分業し、どこで専門職として独立させるかという、日米の制度設計の違いを映している。

その分岐点はどこにあったのだろうか。


Contents

嚆矢は「Chiropody」

Podiatryの前身は、19世紀の英国と米国に現れた**Chiropody(足治療術)**にある。

当初の業務は、

  • 魚の目

  • 巻き爪

  • 角質処理

といった局所的処置が中心だった。
出発点は医学教育を受けた医師ではなく、半ば職人的な存在である。

ここではまだ「医学の一分野」ではない。


都市化と足の慢性障害

19世紀後半、都市化と工業化が進む。

  • 工場労働の増加

  • 軍隊の行軍

  • 革靴の普及

足への負担は増大した。

さらに20世紀に入ると、糖尿病患者の増加とともに足潰瘍や切断の問題が社会的課題となる。

足は単なる角質処理の対象ではなくなった。


医学化という転換点

20世紀初頭、米国で専門教育機関が設立される。
足治療は徐々に外科的訓練を取り入れ、教育制度を整備し、医学的専門職へと変化していく。

決定的だったのは、

足の外科手術を担えるようになったこと

である。

ここでChiropodyは「職人領域」から「医学専門職」へと転換する。

教育機関・専門団体・国家資格制度が整い、Podiatryは独立した医療分野として制度化された。


Dentistryとの類似

歯科医学もまた、かつては歯抜き職人や理髪外科医の領域に属していた。

そこから科学化と大学教育化を経て、Medicineと並立する専門職となった。

Podiatryの成立過程は、規模こそ異なるが、この道筋と類似している。

重要なのは、
一定の需要が存在し、専門技術が体系化され、それを職業として維持できる人口規模があったことだ。


日本ではなぜ分化しなかったのか

日本の近代医学は独逸医学を基盤に導入された。

その構造は、

  • 医師資格の一元化

  • 大学医学部中心の教育

  • 診療科内部での分化

という特徴を持つ。

足の疾患は整形外科や皮膚科、形成外科などに吸収された。
既存診療科の内部で処理可能だったため、独立専門職として制度化される必要が生じなかった。

制度的な「余地」が小さかったのである。


特殊なのはどちらか

世界的に見ると、

  • 米国ではPodiatryが強く制度化されている

  • 英国や豪州では限定的な形で存在する

  • 多くの国では整形外科に内包されている

この比較から見れば、
米国型の強い独立制度の方が例外的と言える。


制度が生まれる条件

医療制度は自然に分化するわけではない。

  • 社会的需要

  • 専門技術の体系化

  • 教育機関の整備

  • 専門職団体の形成

  • 法制度の承認

これらが揃ったとき、はじめて独立した資格が生まれる。

Podiatryは、その条件が揃った結果として成立した。


医療は科学であり、制度でもある

足病医の存在は珍しい制度の話に見えるかもしれない。

しかしその背景を辿ると、
医療をどこまで細分化するかという国家設計の思想が浮かび上がる。

所変われば品変わる。

Podiatryは、医療制度の分岐を示す一つの典型である。


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