東京港区新橋にあるタミヤモデルファクトリーにタイレルP34の実車が展示されているので、見に行ってきた。パトリック・デュパイエが操縦し、スウェーデンと米国で2度の2位に輝いた個体。。

サイズは資料により若干の差はあるが、全長4045㎜、全幅2010㎜、全高940㎜、ホイールベース2540㎜、車両重量575㎏(ルール上の最小値)くらい。この頃のDFVエンジンは約500馬力くらいの出力だったそうな。
因みに、GRヤリスの全長は3995㎜である。タイレルP34はGRヤリスより僅か5センチ長いだけだ。
実に小さいマシンだ。
最近のF-1マシンの全長は5500㎜、全幅2000㎜、全高970~1000㎜、である事と比べると、前後にかなり短いのが良く分かる。因みに最近のF-1マシンのシステム出力は推定で1000馬力くらいらしい。


カウルは恐らくFRP製で、強度を持たせるために金属の骨格を内側にグルリと走らせている…と思う。


車体のいたるところに見られるリベットやネジ、コクピット回りの造作の薄さと簡潔さ、このころは樹脂部品といえはFRPであり、カーボン繊維強化樹脂の時代はまだ先の事だったはず。リアウイングステーが恐らく金属の平板で、強度を出すためにボルトを貫通させていたのかな?
全ての関係者がマシンは4輪と思い込み、レギュレーションにすら車輪の数が記載されていなかった時代、デレック・ガードナーによって発想され、試作機で密かに実験を繰り返し、そして実践に投入されて成績を残した6輪車。
複雑な四輪操舵機構を考えると、ハンドル操作が非常に重くなりそうだが、記録によるとドライバー達の印象はそれほど悪くなかったようだ。しかし、ジオメトリー出しが非常にシビアであったらしい。
前四輪の全てに操舵機構と制動機構を備えていたため、アンダーステアにはなりにくく、オーバーステアになりやすい性格であったが、四角形の四隅に車輪が配置されていたのためスピン耐性は極めて高かったと思われる。ジオメトリー出しが困難な事は想像に難くない。しかも誰も正解を知らない手探り状況での実戦だったから、いろいろな意見がぶつかって、チーム運営は大変だったろうなあ…と想像している。
1977~78年は、ブラバムBT45やBT46、ロータス78や79。そしてタイレルP34が実戦を戦った、F-1マシンがとても美しかった時代。今はネットのおかげで、過去の情報を拾えるので、大変に愉しい。
以下にブラバム、ロータスの美しいクルマの画像をお見せしよう。


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