政治家に完璧さを求める必要はありません。人間である以上、誰にでも弱さや過ちがあるものです。
けれどもその弱さが、特定の思惑を持つ勢力(たとえば外国の情報機関など)に利用されるようなものであれば、話はまったく別です。個人の弱みが、国家の問題に直結するおそれがあるからです。
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「弱み」には危険な種類がある
政治家にもさまざまな弱点がありますが、なかでも特に注意が必要なのが、次のようなものです。
不正なお金のやり取り(裏金や違法な献金など)
不適切な男女関係(不倫やスキャンダルになりうる関係)
こうした事柄は、言いようによっては「プライベートな問題」として扱われることもあります。
しかしそれでも、これらが「弱み」として悪意ある他人に知られ、利用される状況になれば、事態は急変します。特に、外国の組織や情報機関、政治的な工作グループなどに知られてしまった場合、本人の意に反して「言うことを聞かされる」状況に追い込まれることになりかねません。
一度つけ込まれると、ずっと支配される
さらに深刻なのは、「一度でも言うことを聞いてしまったら、それが続いてしまう可能性が高い」という構造です。
たとえば、ある政治家が過去に裏金を受け取り、その件を黙ってもらう代わりに、外国勢力の都合に沿った判断をしたとします。
そのことを表沙汰にされるのを恐れるあまり、次も、またその次も、同じ勢力の意向に従わざるを得なくなる。
こうして、一度でも操られた人は、そこから先もずっと、自由に政治判断を下すことができなくなるのです。
外からは見えない、だからこそ危うい
こうした関係の厄介な点は、それが外からはほとんど見えないことです。
ある政治家の判断が、自分の意思によるものなのか、それとも誰かの誘導によるものなのか、私たちには判断がつきません。
しかも、当の本人が「実は脅されている」などと告白することはまずありえません。
だからこそ、有権者としては「どんな人に票を託すか」を考えるとき、その人の性格や人生の歩み方、過去の言動などを手がかりに、**“つけ込まれにくい人物かどうか”**を見極める必要があります。
自分の欲に甘い人には、票を入れるべきではない
この話は、「過去の過ちを許すかどうか」という道徳の問題ではありません。
もっと単純に言えば、「自分の欲望に甘い人は、国益よりも私欲を優先してしまう」という種類の問題です。
自分に甘い人、誘惑に弱い人、ルールを都合よく解釈してしまう人――
そういうタイプの人は、政治の世界、特に国の方向を決める立場には向いていません。
なぜなら、そのような性質が、どこかの時点で「つけ込まれるきっかけ」になるからです。
一度でもそのような弱みを握られれば、本人の意志にかかわらず、その後の政治判断はしばしば歪められてしまいます。
それは、本人のためにも、国のためにも望ましいことではありません。
経歴の立派さだけでは判断できない
政治家に完璧な人間性を求めるのは非現実的かもしれません。
けれど、その人の過去の言動から「他人には厳しいが自分には甘い」という印象を持ったなら、その人物に投票するのは避けたほうがいいかもしれません。
たとえその人がどれほど優秀で、どれほど立派な経歴を持っていたとしても、国会での一票を託す相手として適しているとは限りません。
むしろ、そういった人材は、議員という立場よりも、政策コンサルタントや評論家として、その能力を十分に発揮できるはずです。
「議員であり続けたい人」のリスク
一方、議員という職に就き続けること自体が目的になってしまっている人もいます。
特に、議員でなければ生活が立ち行かないような人の場合、議員であり続けることそのものが“最大の目標”となりがちです。
そのような人が自分の欲に甘ければ、自分を支援してくれる勢力に依存し、その影響から抜け出そうとするよりも、むしろその支援を“ありがたいこと”として受け入れる可能性すらあります。
そうなれば、国益よりも私益が優先され、特定勢力の意向に沿った言動が常態化することも否定できません。
結論:欲望に寛容な人物に、一票を与えてはならない
結局のところ、自分の欲望に寛容な人物を、議員、特に国政の議員にして良いことは、ほとんどありません。
そういう人に国会での一票を与えるということは、将来的に国策を誤らせ、国益を損なうことにつながる可能性があるのです。
誰に投票するかは自由ですが、その選択の影響が国家全体に及ぶことを忘れてはなりません。
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