1990年代のバブル崩壊とは何だったのか?

この記事を読むと、バブル崩壊その後30年にわたる日本経済の低成長の理由がわかるようになる。結論から言えば、バブル景気と呼ばれる現象はインフレではなく、不動産・株式市場の局地的急激価格上昇だった。しかし日本政府は、それを過剰インフレと誤認し、金利上昇と総量規制という日本経済全体を冷却する政策をとった事。これにより、不動産・株式市場だけでなく、日本経済全体が過剰冷却されてしまった。以下、詳細に記述する。

Contents

■ 第1章  不動産・株式市場の局地的価格高騰をインフレと誤認

1980年代末、日本がバブル景気にわいていた――。
そう語られると、多くの人は「日本中が熱狂し、すべての物価が上がった時代」を想像するし、当時20代中盤だった私もそう感じていた。
しかしデータを冷静に確認すると、そのイメージは誤っている。

日本のバブルとは、経済全体が炎上していたわけではなく、
“資産市場の一部、不動産・株価が異常に燃え上がっただけ”の局地火災だった。

この点がまず最初におさえておきたい。


● 1. CPIは正常で、インフレは一切起きていなかった

1989年、いわゆるバブル絶頂期の消費者物価指数(CPI)は 前年比 +2.27%
コアCPIもコアコアCPIもおおむね同水準で安定している。CPIは不動産や株価は含まない。

+2%台の物価上昇は、どの国の中央銀行でも「健全」「正常」と判断される。
歴史的にも経済が良い状態のCPIは2~4%、
つまり日本の消費者物価は、バブル期であってもまったく暴走していなかった。

不動産・株価は急騰していたが、普通の市民生活にはバブルはなかった。


● 2. 価格高騰したのは不動産と株式だけ

株式や不動産の価格はたしかに急騰していた。

  • 株価は4年間で3倍に上昇

  • 都市部の地価は年 50〜100% の上昇率を記録

  • 不動産担保融資が過剰に膨張

  • ノンバンクや住専が信用を拡大し続けた(貸出を拡大した)

実体経済の消費物価は静かで、企業業績も安定していた。


● 3. バブルとは「局地火災」だった

いわゆるバブル経済とは喩えてみれば、

「バブルとは、野原の一角だけで燃えていた局地火災であり、
日本経済全体が火事になっていたわけではない。」

にもかかわらず、日銀と日本政府は日本経済に影響が甚だ大きい金利上昇という政策をとる。火災している街だけでなく、日本全国の酸素を奪うという挙に出た。

■ 第2章 日本は日本経済から酸素を奪った

記述したように日本のバブルは「資産市場の局地火災」にすぎなかった。
しかし政策決定者である 日銀と大蔵省は、この火事を“経済全体の炎上”と誤認した。

結果として用いられた手段は、
日本経済全体から酸素を奪う事だった。


● 1. 金利引き上げは日本経済全体から酸素を奪った

1989年、日銀は段階的に公定歩合を引き上げた。
金利という政策ツールは 本質的に“その国の経済全体”に作用する 道具である。

  • 企業の投資計画

  • 個人の住宅ローン

  • 設備投資

  • 個人消費

  • 銀行融資の姿勢

すべてに鎮火作用が及ぶ。

金利引き上げとは、その国の経済全体が過熱して価格高騰を引き起こした際に用いる手段。不動産・株式市場という局地的価格高騰に対する手段ではない。


● 2. ではなぜ、こんな誤った手法が選ばれたのか?

理由は、マクロ経済学的合理性よりも“官庁文化・道徳観”が優先されたからだ。

● 大蔵省・日銀に強くあった価値観

  • 「地価高騰は悪」

  • 「投機を懲罰すべき」

  • 「不動産市場を冷やすには金融引き締めが必要」

といった、
倫理・行政経験・価値判断である。

しかし現実には、

金利は投機経済だけではなく日本経済全体に強く作用する
ため、意図された以上の効果を日本経済に与えてしまった。


● 3. 局所の問題を全体的解で解こうとした理由

政策決定者は、次の二つを区別できていなかった。

  • 「資産価格高騰」(局地的)

  • 「消費物価インフレ」(経済全体)

いわゆるバブルとは前者であり、
後者にはほとんど波及していなかった。それは当時のCPIをみればわかる事である。


● 4. 金利上昇だけなら…

金利上昇は不動産・株式市場の高騰を鎮静化させたが、経済全体も沈静化させてしまった。

それでも金利上昇だけなら、その後の景気沈滞は30年も続かなかっただろう。

しかし、次章で述べる総量規制と組み合わさることで、局地火災は日本全土を巻き込む“大災害”へと変質し拡大することになる。

■ 第3章 総量規制が日本経済の酸素不足を決定的にした

前章で述べたように、日銀はバブルを「経済全体の火事」と誤認し、
全国一律の利上げ=国中から酸素を取り上げることを始めてしまった。
これだけでも局地火災への対処としては誤りだったが、
致命的だったのは 大蔵省が1990年3月に踏み切った総量規制である。

この瞬間、日本は
「軽い酸素欠乏」
から
「窒息死寸前」

へと状況が一変した。


● 1. 総量規制とは、金融の“酸素供給バルブを突然閉じる”ような政策だった

総量規制とは、全ての不動産向け融資を「前年並み以下に抑えよ」という強権的な命令である。

これにより、

  • 銀行は不動産業者への融資を一斉に停止

  • ノンバンク・住専への資金供給も急激に縮小

  • 不動産取引が突然ストップ

  • 地価が急落し担保価値が崩壊

  • 銀行バランスシートに巨額損失が発生

という連鎖が一気に全国へ波及した。

これはまさに、

酸素供給バルブホースの出口を閉じて、
金利上昇で酸欠になっていた日本経済全体を、
窒息死寸前にまで追い込む

ような行為だった。


● 2. 局地火災が日本全土窒息死寸前になった決定的瞬間

地価が下がると、銀行が持つ担保価値も同時に下がる。

担保価値の喪失 → 貸し渋り → 投資停滞 → 雇用悪化 → 景気後退
という信用収縮の連鎖が全国に広がった。

不動産・株式市場を鎮火させる目的で金利上昇によって、
不動産・株式市場の鎮火と同時に日本全国が低酸素状態になったが、
総量規制に端を発する金融の連鎖で、日本全国が窒息死寸前となった

のである。

局所火災に対処するつもりが、
全国規模の第災害を政府自ら引き起こしてしまったと言える。


● 3. 総量規制は「最悪のタイミング」で実施された

  • 株価は1989年末をピークにすでに下落していた

  • 地価も天井圏で伸び悩み、勢いが弱まっていた

  • バブルは自然にピークを越えつつあった

そこに 急激な信用の蛇口閉鎖を行ったことで、
本来は“緩やかに収束していくはずの局地火災”が、
政策によって“瞬時に全国災害”へと変質した。

これは経済政策の世界では、
「誤った場所・誤ったタイミング・誤った強さ」
の三拍子が揃ってしまった典型である。


● 4. この局地火災 → 全国窒息死寸前の変化は、後の不良債権問題の根っこになる

地価の急落により、銀行の貸付金の多く担保が土地だったため、担保のない貸付残高が発生した。
その結果、

  • 銀行は貸し剥がし・貸し渋りを開始

  • 企業は資金繰りに苦しみ倒産

  • 失業が増え、消費が冷え込む

  • 投資も停滞し、名目GDPが下落

  • デフレ圧力が慢性的に発生

こうして日本は、
“信用収縮の長いトンネル” に入ってしまう。

これは自然現象ではない。
完全な政策ミスによって発生した人災である。

■ 第4章 では、どうすれば良かったのか?

前章までで明らかになったように、
日本の政策決定者は “局地火災”に対して“国土全体から酸素を奪う” を行ってしまった。

しかし、マクロ経済学的に正しい対処はまったく逆である。

「火事が起こっている場所だけにピンポイントで消火剤を撒く」

つまり資産市場だけを冷ます政策を採用すべきだった。

では、どのような政策を選べばよかったのか。
世界各国ではすでに常識として行われている“局所鎮火型の対策である。


● 1. 短期売買益に対する重課税(キャピタルゲイン税の強化)

バブル期に最も過熱したのは 短期の転売(フリップ) による値上がり益である。
この火点(ポイント)だけから酸素を奪えばよかった。以下に具体策を提示する。

● 正しい対処の例

  • 1年未満の売買益は 50〜70%課税

  • 保有期間が長いほど税率を下げる(長期優遇)

● 効果

  • 不動産転がし、株の短期回転売買が瞬時に沈静化

  • 実需(住むため、長期保有の投資)は守られる

= 投機だけ狙い撃ちして火を止められる。

これは香港・シンガポール・カナダ・英国などが採用しており、世界標準の方法である。


● 2. 不動産保有税(固定資産税)を地価に連動させて強化する

日本の固定資産税は「地価が2倍になっても税金はほぼ同じ」だった。
これが土地の“塩漬け投機”を生み、地価高騰につながった。

● 正しい対処

  • 地価の上昇率に応じて固定資産税を連動上昇させる

  • 高額土地には追加サーチャージ(追加課税)

● 効果

  • 持っているだけで儲かる状況が消える

  • 投機的保有が減り、市場が沈静化する

= 火元となる“土地の保有インセンティブ”を直接冷ませる。


● 3. 不動産担保融資のLTV規制(Loan-to-Value 規制)

バブルは「地価が上がる → 担保価値が上がる → さらに融資が増える」という悪循環で起きた。

● 正しい対処

  • 土地価値の 一定比率額 までしか貸さない(LTV 60%規制)

● 効果

  • 地価上昇が融資拡大につながらず、信用バブルを防止

  • 不動産融資の暴走をピンポイントで止められる

= 火事の“燃料供給”を止める方法である。


● 4. ノンバンク・住専への監督強化(外周から火を消す)

バブルの外周を支えたのは、銀行の外にいたノンバンク・住専業者だった。

● 正しい対処

  • レバレッジ規制

  • 資本要件の引き上げ

  • 審査基準の厳格化

● 効果

  • 過剰融資が自然に減少し、局地火災が拡大しない

= 火が燃え広がる「周囲の下草」を先に取り除く方法。


● 5. 都市計画改革で不動産供給を増やす(構造的な火点の除去)

供給が少なすぎたため、地価が上がりやすい構造になっていた。

● 正しい対処

  • 容積率の合理化

  • 再開発許可の迅速化

  • 地方と都市部の土地利用の最適化

● 効果

  • 供給増により価格上昇圧力が自然に沈静化

  • 価格が吊り上がりにくい市場構造へ

= 火が自然に広がらない都市設計へと改善する。


■ まとめ:本来選ぶべきだったのは“精密消火”だった

ここまで述べた政策には、ある共通点がある。

● すべて

「資産市場=燃えている場所だけを鎮静化する」
ための精密かつ限定的な手段である。

金利のように、

  • 正常に動いている企業

  • 家を買おうとしていた若者

  • 消費者

  • 地方の製造業

  • 輸出企業

まで巻き添えにする必要はまったくなかった。

■ 第5章 崩壊後の処理も誤って30年の停滞

総量規制によって局地火災は日本全土の洪水に変貌した。
だが、災害そのものよりも深刻だったのは、
その後の政策対応がことごとく遅れ、誤り、逆効果を生んだことである。

この誤った後処理こそが「失われた30年」の本体となった。


● 1. 利下げが遅れ、経済の呼吸が止まったまま放置された

本来であれば、バブル崩壊後には迅速な利下げによって
信用収縮を防ぎ、経済の“呼吸”を回復させる必要があった。

しかし、日銀が利下げに転じたのは 1991年7月
株価がピークから半減し、地価下落も始まり、
企業倒産が増加し始めた“後”である。

● この遅れが致命的だった理由

  • 銀行は貸し渋りを強化

  • 企業は投資計画を停止

  • 家計は将来不安から消費を控制

  • 経済全体が縮み始める

= 窒息寸前の日本経済の中に窒息死してしまった箇所が出現。


● 2. 不良債権処理を7年間も放置し、“泥濘地(ぬかるみ)経済”をつくってしまった

1990年代前半、日本の金融機関には巨額の不良債権が積み上がっていた。
しかし政府・日銀・大蔵省はいずれも本格的な処理を先送りした。

● 放置の結果

  • 銀行は自己資本を守るため融資を削る

  • 新規事業への資金供給が止まる

  • 景気が悪化してさらに不良債権が増える

  • 銀行はますます貸せなくなる

  • デフレ圧力が高まり、名目GDPが落ち込む

悪循環の連鎖がここでも固定化に作用した。

不動産・株式市場の火事は消えたが、日本経済全体が酸素不足で、一部には窒息死も起きた。

ここで大多数が窒息死せずに済んだのは、日本人の強靭で勤勉な国民性ゆえだろう。

これが“失われた10年”が“失われた30年”へと延びた核心である。


● 3. デフレが始まっても金融緩和を行わず、低酸素状態を拡大させた

1990年代後半にはすでに日本はデフレに入りかけていた。
しかし日銀は本格的な金融緩和を拒み続けた。

● デフレ放置の結果

  • 名目GDPが縮小し続ける

  • 借金の実質負担が増加

  • 企業倒産・銀行の資本不足が慢性化

  • 若者の雇用不安・給与停滞

  • 消費が減り、さらなるデフレ圧力

デフレは酸素欠乏状態の人は日常生活すら困難な事によく似ている。
これが日本経済の動きを根本から鈍らせた。


● 4. 他国は同じ失敗をしなかった(日本だけが泳げないまま沈んだ)

バブル崩壊後の国は世界にいくつも存在する。
しかし、その後の政策対応が迅速だった国は軒並み数年で回復している。

例:米国S&L危機

  • 不良債権を即処理

  • 政府が銀行資本を直接支援

  • FRBは即利下げ

  • 景気は数年で回復

日本は真逆だった。

火事は消えたのに、ずっと低酸素状態のままに放置した

これが日本独自の長期停滞を生んだ。


● 5. まとめ:後処理の失敗がバブル崩壊を“30年間の災害”にした

本来、局地火災で済むはずだった問題が、
過剰消火(利上げ)と急ブレーキ(総量規制)によって全国窒息死寸前になり、
さらに後処理の失敗(利下げ遅延・不良債権放置・デフレ容認)によって窒息死が一部に起き、
日本経済は30年間、酸素不足のまま回復できない状態に置かれた。

これは偶然ではなく、
政策ミスによって引き起こされた“人災”である。

■ 第6章

平成は“エリート神話が崩壊した時代”だった

バブル崩壊後の経済停滞は、単なる景気循環の悪化ではなかった。
もっと深い次元では、日本社会が長く信じてきた 「官僚エリートは優秀で正しい判断をする」
という前提が静かに、しかし確実に崩れ落ちた時代だった。

幻想が崩れた時代である。

平成の30年間とは、

“優秀だと信じられてきた人々が、実は構造的に正しい判断を下せない”
という現実が国民に露呈した時代である。


● 1. 官僚エリートの中心は「マクロ経済学を扱えない」構造にあった

日本の政策エリートの多くは、主に 制度運営・法令執行・行政調整 の任に就いている。彼らには経済政策決定の根拠となるマクロ経済学の知識は重要ではないのだろう。

一方で、バブル崩壊後に必要だったのは、

  • マクロ経済

  • 金融政策

  • 不良債権処理

  • デフレ対策

  • 期待形成のコントロール

  • 信用収縮のメカニズム

といった「経済全体の動態を扱う学問」である。

ところが、この領域に精通した人材は政策決定層にほとんど存在しなかった。


● 2. 官庁文化が「道徳的判断」で政策を決めてしまった

1980〜90年代の日本の政策決定には、
マクロ経済学よりも 道徳観や行政文化が優先される傾向 があった。

  • 「地価高騰は悪だ。懲罰的に抑えるべき」

  • 「投機的な行動は許されない」

  • 「秩序を乱す行為は行政として迎撃すべき」

これらは一見正しいように聞こえるが、
「経済をどう動かすべきか」という科学的議論とは異質である。

結果として、
本来は資産市場のみに作用させるべき政策手段を、
経済全体に適用してしまう致命的な誤りにつながった。


● 3. 国民は“なんとなく”エリートの力不足を察知し始めた

平成のはじめ、国民の間に言語化されてはいないものの
「何かがおかしい」という直感的な違和感が広がり始めた。

  • 企業は投資しない

  • 給料は上がらない

  • モノはデフレで安くなる

  • 若者の将来不安は高まる

  • 国は「景気対策」を繰り返すが、何も良くならない

  • 説明責任は曖昧なまま

この30年間の空気の中で、
人々は静かにこう思い始めた。

「偉い人たちは、本当に優秀なのだろうか?」

その疑念は、政治不信、官僚不信、そして日本社会全体の閉塞感へとつながっていく。


● 4. エリート神話が崩壊した理由は“能力の欠如”というより“構造の欠陥”だった

重要なのは、

個々のエリートが無能だったのではなく、
正しい判断ができない制度構造になっていた

という点である。

● 構造的欠陥の例

  • マクロ経済学の不在

  • 金融危機への経験不足

  • 官庁間の縄張り意識

  • 決定プロセスが閉鎖的

  • “失敗を認めない文化”

  • 政策検証の仕組みが弱い

この構造は、優秀な個人がいても改善されない。
そして平成30年の長期停滞は、まさにその構造の欠陥が生み出したものだった。


● 5. 平成とは、「エリートの限界」が露呈した時代だった

バブル崩壊後の政策ミスは、
単なる判断の間違いではない。

それは、

「昭和型エリートの正解パターンが通用しなくなった」
ことを日本社会が痛感した歴史的瞬間
だった。

  • 高学歴=正しい判断ができる

  • 官僚=最適解を知っている

  • 国家の中心は常に合理的に動いている

こうした前提は平成の30年で崩れ去った。

国民はようやく理解したのである。

エリートだから正しい判断ができるわけではない。
制度が誤れば、エリートも誤る。”

■ 第7章 中国が“日本化”しつつある理由──失われた30年は政策ミスによる人災だから

これまで見てきたように、日本のバブル崩壊とその後の長期停滞は、
市場の失敗ではなく、政策の失敗によって生まれた「人災」だった。
しかもその失敗は、官僚制度・道徳観・政策文化といった深い構造的問題に根ざしていた。

興味深いことに、現在の中国経済には、
この日本の構造と驚くほどよく似た兆候が表れ始めている。


● 1. 中国の不動産バブル処理は、日本の総量規制に酷似している

中国政府は2020年前後から、
不動産企業の財務を制限する「三道紅線」政策を急に導入した。

これは、

  • 銀行融資の急停止

  • 不動産企業の資金繰り崩壊

  • 住宅価格の急落

  • 地方財政の悪化

を招き、信用収縮へと直結している。

これはまさに 日本の総量規制の再演 である。

「局地火災に対して、国全体に水を撒いてしまう」という誤りが中国でも起きている。


● 2. 中国の政策決定者も“経済学より政治・道徳”で動く構造にある

中国の政策判断は、

  • 党の意向

  • 政治的安定

  • 社会秩序

  • 投機への道徳的非難

といった要素が優先されやすい。

これは1980〜90年代の日本と極めて似ている。

類似点

  • エリートの専門性が政治・行政に偏っている

  • マクロ経済を体系的に扱う文化が弱い

  • 市場の動態より“正しい行動”を求めようとする

  • 突然の規制強化で信用を壊してしまう

違う国で似た構造が生まれれば、当然似た結果が生まれる。


● 3. 中国経済が長期低迷する“日本化リスク”は高い

中国は今後、以下の状態に直面すると多くの国際機関が指摘する:

  • 不動産バブル崩壊

  • 家計資産の目減り

  • 信用収縮

  • 地方政府の債務危機

  • 成長率の長期低下

  • 消費不振・失業増加

  • 企業の投資意欲の減退

これらはすべて、
1990年代の日本が経験した経路と驚くほど一致している。

つまり中国が“日本化”するというのは、

「バブル崩壊ではなく、その後の政策対応を誤ることで、
長期低迷を自ら作り出してしまう」という意味である。


● 4. 教訓:国家は“間違った手段”で自壊する

日本の失われた30年、中国の危機的状況に共通するのは次である。

● 誤診

  • バブルを「経済全体の火事」と誤解

● 誤治療

  • 経済全体を冷やす利上げ

  • 信用を破壊する急激な規制

  • デフレや信用収縮への無理解

● 結果

  • バブル崩壊そのものよりも、
    政策ミスが国家の経済基盤を破壊する

国家の経済は、災害ではなく“人災”で崩壊する。
日本はそれを世界に先駆けて経験してしまった。


● 5. 結論:失われた30年は政策ミスによる人災であり、中国も同じ轍を踏みつつある

まとめると、

バブルは経済全体の火事ではなかったのに、
日本国全土を低酸素する政策を選び、
局地火災を日本全土の窒息死寸前状態と変えてしまった。

その後の誤った後処理が窒息死寸前(一部窒息死)状態を30年間も引き延ばし、
平成の停滞を固定化した。

そして今、同じ構造が中国で再び生まれつつある。

この歴史が教えるのは、

「国家は市場ではなく、政策ミスによって衰退する」

という、重く深い教訓である。


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