好きだけど、やらない──理屈コネ太郎がゴルフを敬して遠ざける理由

ゴルフバッグとクラブが手前に置かれ、夕方のゴルフコースを静かに眺める人物の後ろ姿
好きでも、すべてを選ばなくていい。 ゴルフ場に立ちながら距離を保つという在り方。

Contents

はじめに

わたし理屈コネ太郎はゴルフを嫌いなわけではない。
むしろ、たぶん好きである。
コースに出れば気持ちがいいし、面白さも分かる。
むしろ、じぶんの趣味がゴルフだけで迷いがなければ幸せだろうな…と思う。

芝生の感触。
空気の匂い。
うまく当たったときの球の飛び。

「なぜ多くの人がゴルフを好きになるのか」は、体感として理解している。

それでも私は、ゴルフをやらないでいる。
万が一誘われても、余程の理由がないかぎりまず行かない。
正確に言えば、敬して遠ざけている

なぜなら、ゴルフという遊びの構造と、自分の性格・人生設計が、どうにも噛み合わないからだ。


第1章|人数の問題

まず「ゴルフは複数人でラウンドする前提」

理屈コネ太郎が好む遊びは、ちょっと頑張れば、1人で完結するものが殆ど。

クルマの場合、ワインディングなら思ったときに出かけられるし、サーキットならアプリでポチっとやれば枠に入れるので、現場に行って没頭するだけである。

ボートもヨットも関連する技術に習熟すれば一人で出かけて、1人で遊んで、1人でかえって来られる。

SUP-FOILも慣れれば1人で遊べる。

ブログ運営も、ChatGPTを伴走者に、GA4やGSCデータを分析しながら執筆投稿管理運営ができる。

一方、ゴルフは違う。

  • メンバーを集める

  • 日程を合わせる

  • 予約を入れる

  • 集合時間に縛られる移動時間もけっこうある

  • そして大抵の場合、ドライバーは私が引き受ける事になる

こんな感じで、ゴルフは、遊びの入口に、他人との調整が組み込まれている。

一人ラウンドという選択肢もあるが、少なくとも「気軽に」「いつでも」というものではないし、そもそもゴルフ場に喜ばれないようだ。

ゴルフは、「誰かとやること自体が楽しい」人には魅力だろう。
しかし、基本的にソロ行動を基準に生きている理屈コネ太郎にとっては、入口が重い。


第2章|ゴルフの奥深さ

技術的に深すぎるという問題

ゴルフは、技術的に非常に奥が深い。

心技体、全てに奥深い。

ゴルフの魅力に少しでも触れればわかるが、
「ほどほど」で止めるのが難しい遊びだ。

技術的に奥深く再現性が高いのがゴルフなので、運の影響が釣りほど大きくない。うまい人はうまいし、そうでない人はそうでないと、ほぼ確実にわかるのがゴルフである。

そして技術というものは、正しく練習すればほぼ必ず上達するものなのだ。

ここがゴルフの面白さであり、恐ろしさでもある。

この魅力に嵌ってしまうと、

  • 練習場に通う

  • 道具を研究する

  • スコアを気にする

  • フォームを修正する

と、時間も思考も持っていかれる。ゴルフは一時期ほどではないにせよまだまだ競技人口の多い遊びで、それゆえに流通する情報も多く、その中には「正しい」とは言えない理屈や理論も混入している。

私が最初にコースを回ったのはもう40年近く前だが、その時のゴルフ理論と今日のそれでは全く違っていて、過去の理論は経験値があまり多くない人の、それなりの分析結果が多かったのだろう、歴史の評価に残れなかったものが少なくない。

そういうものに、理屈コネ太郎は惑わされたくない…という心理もある。これもまたゴルフに対して距離を取る理由の一つだ。

こうした技術に関する情報量の多さはゴルフの欠点ではなく、当然に長所だ。

長所なのだけれど、釣りと同じで、釣りそのものよりも道具や技術の蘊蓄語りに軸足が移ってしまう人も多い。

それはもはや釣りやゴルフではなく、釣りやゴルフを題材にしたお喋りサークルであり、それはそれで楽しそうだが、お喋りはソロではできないのが根本的に問題で歯がゆいところである。


第3章|ゴルフ場のマナー感

ゴルフ場には、私が勝手にマナー感とよぶ独特の空気がある。

服装。
立ち居振る舞い。
暗黙の了解。

もちろん、すべてのゴルフ場が同じではない。
だが、一定以上の「気遣い」が求められるのは事実だ。

私は、

  • 人に迷惑をかけない

  • 公共のルールは守る

ことに関しては意識の高さで人後におちないと自負しているが、それはあくまで実害を他者に与えないという文脈での最高度の気配りにおいてである。

日本のゴルフ場は伝統的にマナーや服装に拘る人達が集まるので、彼ら彼女らに失礼のないように振舞うとすると本当に気づかれしてしまう。

どんなスゴイ船が並ぶマリーナも、どんな宝石のようなクルマが走るサーキットでも、服装は自由だし、実質的な迷惑を他人に及ぼさなければ何でもアリがデフォの世界。そんな気楽な世界で遊ぶ私にはゴルフ場はちょっとピリつく場所なのだ。

気のせいかもしれないが。

ゴルフ場には、実害の有無とは無関係に様式美としてのマナーがあるように思われる。白状すると、若いころ、父親に連れていかれたゴルフ場で、そこのマナー規約に抵触したことでスタッフにこっぴどく怒られた経験も、私がこのマナー感にビクつく理由である。


第4章|時間構造の問題

「パッと行って、サクっと遊んで、パッと帰れない」

ゴルフは、時間の塊である。

  • 半日〜1日が前提

  • 天候に左右される

  • 進行は自分だけでは決められない

思い立って30分だけ、という選択は存在しない。

私は、
「今日はここまで」
「今日はやめておこう」
と、自分で区切れる遊びが好きだ。

ゴルフは、
始めた瞬間に、その日の時間構造をすべて預けることになる。

だからだろう。私が現役で医者をやっていたころ、夏の暑い日には熱中症で救急車でゴルフ場から私が当時勤務していた病院に運ばれる患者の数が、他の遊興施設からのそれと比べて明らかに多かったように感じていた。


第5章|理屈コネ太郎の選択

「敬して遠ざける」

私はたぶんゴルフを遊びとして好きだし、挑戦し甲斐のある運動だと思う。

好きな人が多いのも理解できる。

ただ、
自分の性格・時間感覚・遊び方とはほとんど噛み合わない。

愉しいからと言ってゴルフに時間とエネルギーを割けば、他の遊びが出来なくなるストレスがたまるに違いない。

それなら、距離を取るしかない。

それが、
ゴルフに対しても、自分に対しても、誠実だと思っている。


おわりに

距離感もまた、成熟である

「好きだけど、やらない」
という選択は、若い頃にはなかなかできない。

つい、

  • やるか

  • 否定するか

の二択にしてしまう。

人生の後半になると、
距離を選ぶという選択肢が見えてくる。

合わないものを攻撃しない。
合わない自分を責めない。

ゴルフとは、
そのくらいの距離感が、今の私にはちょうどいい。


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