「ただ言っただけ」なのに叱られる理由 ──世代間のことばのズレ

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■ はじめに

昔は普通に言っていたことばが、いまでは相手を怒らせてしまう──。
「ただ聞いただけなのに、なぜ不機嫌になるのか?」
と戸惑う高齢世代の方は少なくありません。

その理由は、現代では“属性語”(性別・年齢・学歴・職業など)が、
相手の内側にいきなり踏み込む“急接近のことば” として扱われるようになったからです。

属性語は、本来はその人の複雑な人間性をほとんど反映しない
“通り一遍の情報” にすぎません。
しかし、この浅い情報を前提にして個人に踏み込むと、
相手は「ズレた理解で核心を触られた」と感じ、強い拒否反応につながります。

しかも、この反応には
昭和の「属性語を乱暴に使ってきた文化」や、
平成で進んだ「属性とは無関係な能力差の可視化」といった歴史も影響しています。

では、どうすればよいのでしょうか。
本記事では、まず“なぜ怒られるのか”の構造を説明し、
最後に 摩擦を減らすための具体的な話し方の工夫 を示します。


■ 第1章 属性語とは何か:その本質は“通り一遍の表層情報”

属性語とは、性別・年齢・学歴・職業など、
一見すると相手を把握するうえで便利な言葉です。

しかし、これらはその人の人生・価値観・経験・個性といった
99%の複雑性を切り落とした“表層のラベル” にすぎません。

つまり、属性語は
「相手個人を見ている」のではなく、
「相手が所属する“カテゴリ”を当てはめているだけ」
という扱いになりやすく、ここに 通り一遍の危うさ が存在します。

現代の若い世代が属性語に敏感なのは、
この“表層で人を判断される感じ”を嫌うからです。


■ 第2章 昭和:大人数を少ない工程で捌くには便利だったが、乱暴さが内在した

昭和の社会では、属性語は今よりずっと雑に扱われていました。

● 個人情報保護という概念が弱かった

住所・職業・家族構成・学歴を聞くことは当たり前で、
プライバシーという感覚が現代ほど強くありませんでした。

● 属性語で人を“仕分ける”必要があった

高度成長期の社会では、
大人数を効率よく管理・序列化する仕組み が求められました。

そのため、
「男だから・女だから」
「大卒だから・高卒だから」
「若いから・年寄りだから」
といった属性語は、
人を少ない工程で捌くための便利な道具 だったのです。

● しかし、この便利さには“乱暴さ”が内在していた

属性語は本来浅い情報であるにもかかわらず、
昭和ではこれを根拠に役割や序列を押し付けました。

  • 男だから稼げ

  • 女だから家庭に入れ

  • 若いから我慢しろ

  • 年寄りだから引っ込め

  • 高卒だからこの仕事で十分

  • 大卒だから管理職

こうした“乱暴な使われ方”を多くの人が我慢してきました。
この 歴史的スティグマ が、現代の属性語嫌悪の根底に残っています。


■ 第3章 平成:属性とは無関係な“本当の能力”が可視化された

平成になると、昭和で通用していた“属性による序列”が一気に崩れました。

● バブル崩壊で、大企業・高学歴の権威が揺らぐ

「学歴が高い=優秀」「大企業=安心」
という前提が崩壊し、
属性では何も判断できない ことが明らかになりました。

● 現場で“本当にできる人”が目立つようになった

学歴や性別よりも、

  • 実力

  • 適応力

  • コミュニケーション

  • 専門性

こうした 属性と無関係な能力の差が可視化されていった時代 です。

● 人々は属性語への“信頼”を失っていった

平成の社会は、
「属性語を使っても正しく判断できない」
という事例が大量発生した時代でした。

この経験が令和世代の意識を作る基盤になります。


■ 第4章 令和:属性語は“個人の深部に触れる情報”へと変化

令和になると、性別・学歴・年齢・職業などの属性語は
個人の価値観・生き方・自己認識に強く関わるようになりました。

● 性別

→ ジェンダー、自己認識、社会的扱われ方と直結する“深い情報”へ。

● 学歴

→ その人の人生選択・努力・経験の象徴として再解釈される。

● 年齢

→ 差別の温床となりやすい。

● 職業

→ ステータス・価値観・人生観のシンボル。

つまり令和では、
属性語=相手の内側に触れる言葉
という意味に変わったのです。


■ 第5章 通り一遍の属性語が“乱暴な急接近”になるメカニズム

ここが本記事の核心です。

● 属性語は浅い(通り一遍)

→ 個人の複雑性を無視する
→ 「自分を深く見ていない」という軽視感が生じる

● しかし令和では、その属性語が相手の“深い領域”に直結する

→ 性別・学歴・職業は、個人の価値観・自己像・人生観と強く関わる情報
→ 浅いまま深い領域に触る=矛盾した行為が“乱暴”に感じられる

● 昭和の“乱暴な扱い”の記憶が重なる

→ 属性語=危険な言葉、という歴史的印象が残る

その結果、

浅い情報(通り一遍)で、深い領域(アイデンティティ)に触るという
二重のズレが拒絶反応を引き起こす。

属性語は【距離の問題(急接近)】と【方法の問題(乱暴さ)】を
同時に犯してしまう“特異な言葉”なのです。


■ 第6章 距離感だけでは説明できない「作法(プロトコル)」の問題

心理的な領域に踏み込むときは、本来は“手続き”が必要です。

  • 「少し個人的なことを聞いてもいいですか?」

  • 「差し支えなければ教えて下さい」

しかし、日本人は No と言いづらい文化 があり、
形式的には“Yes”と言いながら心理的には“No”の場合があります。

喫煙の例が典型です:
「タバコ吸っていい?」
「どうぞ」
→ でも次は一緒にいたくない。

属性語でも同じ現象が起きます。

  • 表面的には会話

  • 心理的には急接近を拒否

この“形式と内心の乖離”も、摩擦の原因です。


■ 第7章 高齢者がついやってしまう“昭和的属性語”

以下は現代では急接近語になりやすいものです。

  • 「女性なのに」「男なら」

  • 「若いくせに」「年寄りは」

  • 「どこの大学?」

  • 「何の仕事?」

  • 「太った?痩せたね?」

昭和では日常的だったこれらの言葉は、
令和の価値観では
浅い分類×深い領域への踏み込み
となるため、強い拒絶を招きやすいのです。


■ 第8章 では、どうすれば摩擦を減らせるのか(実践編)

● 属性語を使う前にワンクッション置く

「ちょっと個人的なことですが…」

● 理由を添える

「世代の話題として興味があって伺います」

● 先に自己開示する

「私は〇〇大学で…あなたは?」

● 属性語を必要以上に使わない

相手を“カテゴライズする前提”を捨てる

● “相手の物語”に興味を向ける

属性ではなく「その人自身」に近づく

これだけで摩擦は劇的に減ります。


■ 第9章 おわりに

変わったのは人の性格ではありません。
言葉の意味と社会の構造が変わった のです。

昭和の乱暴さ、平成の崩壊、令和の価値観──
これらが重なり、属性語は
慎重に扱うべき“深い言葉” へと変化しました。

この構造を理解して言葉を選べば、
世代間の誤解は大きく減り、
人付き合いはもっと楽になります。


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