本記事ではピンピンコロリは幻想であることを、人の死は時に苦痛を伴い、時に長い経過をともなうという事実をもって説明します。
「ピンピンコロリで逝きたい」、これは多くの日本人にとって、理想の最期のかたちとして語られてきました。元気に暮らし、誰にも迷惑をかけず、ある日コロリと苦しまずにこの世を去る。
そんなふうに人生を終えられたら本人的には素晴らしいでしょう。しかし、現実にはピンピンコロリとはなかなかいきません。
仮にもし稀な例として本当にピンピンコロリで亡くなった人がいたとしても、その人の家族の立場になって考えてみれば、先ほどまで普通に話していた人が急に亡くなるなど、とうていすぐには受け入れられず、強い悲しみ、愛惜や動揺や戸惑いに襲われのが普通です。
本記事では、日本人の死因統計と医療現場での実際の経過を踏まえながら、「ピンピンコロリ」の限界と、それに惑わされず死への準備すべき理由を考えます。
Contents
日本人の主な死因トップ3──「理想の最期」とは真逆の現実
厚生労働省の統計によれば、日本人の死因トップ3は以下のとおりです:
がん(悪性新生物)
心疾患(心筋梗塞など)
脳血管疾患(脳卒中、くも膜下出血など)および認知症関連死
このうち、「ピンピンコロリ」に近いとされるのは、
心疾患
脳血管疾患
です。これらは突然死の原因となることが多く、たしかに「元気だったのに急に倒れて…」という経過をたどることがあります。
「突然死」には多くの場合激しい苦痛が伴う
ここで見落としてはならないのが、「突然死」が決して“苦しまずに死ぬ”という意味ではないことです。
たとえば:
心筋梗塞では、強い胸痛・圧迫感・息苦しさを伴い、生還した人の多くが「死ぬかと思った」と訴える人もいます。それはそうでしょう。現代医学のおかげで死の淵から生還したのですから。
くも膜下出血は「バットで殴られたような痛み」と形容され、意識を失う直前に強い頭痛と嘔吐を経験することがあります。
つまり、本人は非常に強い苦痛を感じている可能性が高く、後から死亡した方の経過を聞いた人が「コロッと逝ったように」解釈しただけであることも多いのです。
治療によって助かったとしても、ピンピンには戻れないかも
これらの疾患は、発症しても運よく救命されることがあります。現在の医療では、適切な処置を受ければ命をとりとめるケースも増えています。
しかし問題はその後です。後遺症などにより、元のようなピンピンには戻れない事も少なくありません。
心筋梗塞後は心臓の機能が落ち、息切れや疲れやすさが残ることもあります。
脳卒中後には、麻痺・言語障害・記憶障害などの後遺症が残ることが少なくありません。
つまり、たとえ一命を取り留めても「ピンピンと元気に回復する」とはいかず、生活に制限がかかる人が多いのです。
「理想の死」を信じすぎると準備を怠る
「自分はピンピンコロリで逝きたい」と強く思うあまり、現実的な死の在り方を考慮せず、
介護のことを考えない
医療や延命の希望を伝えていない
財産や生活の整理をしていない
といった、ほとんどの人がなした方が残された人が困らない“死に方の準備”を後回しにしてしまいがちです。
人の死は誰にでも訪れるものです。しかも、「どうやって死ぬか」は選べません(自殺という選択肢は本ページでは考察対象から除外します)。
統計的には死因や経過のパターンはある程度予測できますが、自分がどのケースになるかは誰にもわかりません。もしかしたら悪性腫瘍で長い経過をたどる可能性もあります。
だからこそ、明晰に考えられるうちに、「自分の最期」をどう迎えたいのか、そしてそのとき家族や周囲の人に何をしてほしいのかを整理しておく必要があります。
おわりに──幻想より現実に向き合う
ピンピンコロリは、たしかに耳触りのよい理想です。しかしその実態は、ほとんど実現しない“まれな出来事”であり、しかも多くは本人の苦痛や周囲の人の悲しみと動揺を伴います。
「最期は自分らしくありたい」と思うのであれば、必要なのはピンピンコロリのような幻想ではなく、現実的な死に方への備えが大切です。
それは決して暗い話ではありません。自分のことを、自分で考えて決定する、とても前向きな作業なのです。