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はじめに|多拠点生活を考える前に
多拠点生活は、それ自体を目的とする暮らし方ではない。
また、多拠点生活それ自体が、生活や遊びを豊かにしてくれるわけでもない。
遊びや仕事、生活を自分なりに深化・拡大させていくと、やがて一拠点の暮らしでは、日帰り往復による体力の消耗が大きくなり、苦痛を感じ始めることがある。
多拠点生活は、そうなったときに、初めて検討対象となる生活形態である。
いわば、理想の暮らし方というよりも、苦肉の策に近い。
本記事では、多拠点生活を「選ぶ順序」と「成立条件」の観点から整理し、冷静に判断するための視点を提示したい。
第1章|多拠点生活と結論づける前に考えること
その仕事や遊びは、本当にその遠隔地が一番あってるのか
多拠点生活を検討する前に、まず立ち止まって考えるべき問いがある。
その仕事や遊び、その暮らしは、本当にその遠隔地でなければ成立しないのかという問いだ。
自宅から十分に日帰り可能な距離で、同等の満足や効用を得られる代替手段がないか。
この可能性を、最初に徹底的に探る必要がある。
日帰りで十分に楽しめるのであれば、多拠点生活はまったく不要である。
たとえば、
夏は涼しい土地で避暑し、冬は暖かい土地で避寒したいという暮らしは、遠隔地でなければ成立しない。
一方、週末に園芸や日曜大工を楽しむために郊外に土地や家屋を借りる場合、都度日帰りでも十分かもしれない。
重要なのは、「やりたいこと」そのものではなく、
それがどこで、どの頻度で行われる必要があるかである。
第2章|日帰り往復が体力的に成立しているか
やりたいことの場所が地理的に拡散してくると、日帰り往復は次第に厳しくなる。
早朝開始、深夜終了、連日の移動。
公共交通機関であれば時間拘束が増え、自家用車であれば運転疲労が蓄積する。
この段階になると、前乗り前泊や現地泊が魅力的に感じられる。
ここで初めて、多拠点生活が現実的な選択肢として浮上する。
判断基準は単純だ。
移動による疲労が、仕事や遊びの質を下げていないか
帰宅後や翌日の生活に、悪影響を及ぼしていないか
「楽しめているか」だけでなく、「無理なく続けられているか」
体力の消耗は、気づかぬうちに生活の持続性を奪っていく。
場合によっては、健康に害を及ぼすことさえある。
だからこそ、都度の移動による体力消耗の兆候が見えたとき、
多拠点生活は初めて検討に値する。
第3章|多拠点生活は支出削減では成立しない
ここで、あらかじめ明確にしておきたい前提がある。
多拠点生活は、ほぼ間違いなく一拠点生活より支出が増える。
拠点を増やせば、賃料や宿泊費、管理費といった固定的支出が新たに発生する。
交通費が減る場合はあっても、その削減分で拠点維持費を完全に相殺できるケースは稀である。
したがって、支出削減を目的とした多拠点生活は成立しない。
それでも多拠点生活が選ばれるのは、
支出増を上回る効用――主に心身の消耗を防ぐ効果――が得られる場合に限られる。
多拠点生活とは、
支出を減らすための工夫ではなく、
支出を増やしてでも心身の消耗を抑えるための選択なのである。
第4章|多拠点生活そのものを目的化する危うさ
多拠点生活には、明確な落とし穴がある。
それは、多拠点生活そのものが目的化してしまうことだ。
拠点を維持するために予定を詰め込み、
拠点のために働き、
拠点のために移動する。
こうした状態は、本来の目的から完全に逸脱している。
多拠点生活は、生活を支える道具であって、主役ではない。
目的化した瞬間、多拠点生活は生活を豊かにするどころか、
生活を消耗させる構造へと反転する。
第5章|仕事を理由に多拠点生活を選ぶ場合の条件
仕事を理由に拠点を増やす場合、因果関係は明確でなければならない。
拠点を構えたことで、仕事にいっそう集中できる。
この関係が成立して、初めて多拠点生活は意味を持つ。
拠点維持のためにさらに働く必要が生じるようであれば、それは破綻である。
新たな拠点が心身の消耗を減らし、その結果として仕事の質や成果が向上しているか。
あるいは、移動回数の減少によって実質的な効率向上が起きているか。
仕事と拠点維持を合わせた収支が、トータルでプラスかどうか。
この点は、とても重要である。
第6章|遊びを理由に多拠点生活を選ぶ場合の条件
遊びを理由に拠点を持つ場合、判断基準はさらに明確である。
その拠点によって、遊びと生活がラクになっているか。
移動疲労が減り、準備や撤収が簡素になり、
「今日は無理をしなくていい」と判断できる余裕が生まれているか。
また、忘れてはならないのが、
遊びの深化と距離の拡張は別物だという点である。
距離を無制限に広げる前に、
自宅から都度往復可能な範囲で、遊びの密度を高める選択肢は十分に検討すべきだ。
第7章|拠点の選択は「形」ではなく「コスト構造」で考える
多拠点生活の拠点には、賃貸、ホテル、会員制リゾート、別荘などの選択肢がある。
重要なのは形態ではなく、コスト構造である。
比較すべき視点は、以下の4つに集約される。
費用(固定費・変動費)
利用頻度
管理負荷
移動コスト
これらを総合的に見なければ、拠点維持の費用は増える一方になりかねない。
第8章|拠点もまた「モノ」であるという現実
モノを持つ悦びは、新品に近い時だけである。
不調や劣化が始まると、モノは重荷へと変わる。
拠点も例外ではない。
建物や設備は確実に劣化し、管理や修繕が必要になる。
その点、賃貸やホテル、会員制リゾートは、
劣化や更新の負担を自分で背負わなくてよい。
生活を軽く保つという観点では、明確な優位性がある。
第9章|ホテルを拠点にするという現実的選択
ホテルは工夫次第で、多拠点生活の有力な選択肢になり得る。
長期滞在を前提に交渉すれば、
清掃やベッドメイクの頻度を調整することで、
宿泊料が割安になるケースもある。
ホテル側にとっても、長期滞在は稼働率の安定につながる。
双方に合理性がある場合、この選択は十分に成立する。
おわりに|多拠点生活をどう位置づけるか
多拠点生活は、憧れて選ぶものではない。
また、支出を減らすための工夫でもない。
遊びや仕事、生活を自分なりに深化・拡大させた結果、
日帰り往復では体力の消耗が無視できなくなったとき、
支出増を承知のうえで、生活の安定を優先する。
多拠点生活とは、
そうした局面で静かに選ばれる、きわめて現実的な生活形態である。
