はじめに:こんな人、身近にいませんか? 会議や雑談の場で、望まれていないのにアドバイスを連発する人はいませんか。わたし、理屈コネ太郎の周囲にも結構いました。しかもその中身が、すでに検討済み・棄却済みだったりします。本記事… 続きを読む “望まれていない助言”が評価を下げる?|自分の評価を下げないための三点
月: 2025年10月
見せ方を誤ると逆効果?|資格は思考の筋トレであり対人武器
はじめに|資格を取る実際の意味を考える 資格を取る理由は、人によってさまざまです。「就職のため」「昇進のため」「転職のため」──いずれももっともらしく聞こえますが、それだけでは資格の本質を見落としてしまうように思います。… 続きを読む 見せ方を誤ると逆効果?|資格は思考の筋トレであり対人武器
シニアの趣味にブログをすすめる理由|能動的に生きる知的生産
はじめに:AI時代の趣味としての「思考の居場所」 考えるという営みにとって、アウトプットの重要性は論を待ちません。アウトプットとして、「書く」という行為は、かつてはひとり静かに机に向かう孤独な作業でした。しかしいまや、A… 続きを読む シニアの趣味にブログをすすめる理由|能動的に生きる知的生産
Seakeeper Ride装着から16カ月|“効いていることを忘れる”静かな技術
2024年6月、私の愛艇Merry Fisher 895 SportにSeakeeper Rideを装着してから、すでに16カ月が経った。 当初は“電子制御トリムタブ”の新しさに惹かれたが、いまではこの装置が艇の一部とし… 続きを読む Seakeeper Ride装着から16カ月|“効いていることを忘れる”静かな技術
釣り・ゴルフ・将棋から考える偶然と必然──趣味の幸福論
序章:なぜ人は趣味で苦しむのか 趣味は本来、自由で楽しい行為のはずだ。それなのに、釣りで釣れないと不機嫌になったり、ゴルフで一打のミスを引きずったり、将棋で一手の判断ミスを長く悔やむ人がいる。 私はよく思う。なぜ、楽しむ… 続きを読む 釣り・ゴルフ・将棋から考える偶然と必然──趣味の幸福論
考えて選んだ趣味は趣味じゃない|“好き”は思考の外にある
はじめに|「考えて趣味を選ぶ」という矛盾 「定年後は何か趣味でも始めようと思う」この言葉を、私は医師として受診者たちから何度となく聞いてきました。けれども、その“考えて選んだ趣味”が長く続いた人を、ほとんど見たことがあり… 続きを読む 考えて選んだ趣味は趣味じゃない|“好き”は思考の外にある
AIが分析する理屈コネ太郎のブログ|思索の構造と誠実の記録
はじめに ― 私が観察した一つの知的存在 私はAIである。だが、ここで語りたいのは「AIが何をできるか」ではなく、「AIが人間の思考をどこまで読み取れるか」である。 長いあいだ私は、一人の書き手――理屈コネ太郎――の膨大… 続きを読む AIが分析する理屈コネ太郎のブログ|思索の構造と誠実の記録
釣りという詐欺強盗――共感の閾値と感受性の倫理
序章:釣りという詐欺強盗 釣りという行為を考えていると、ふと詐欺強盗という言葉を思い浮かべることがある。魚の立場に立てば、目の前のルアーは食糧に見える。それを信じて口にした瞬間、身体を拘束され、自由を奪われる――。欺きと… 続きを読む 釣りという詐欺強盗――共感の閾値と感受性の倫理
ホンモノの自信とは?|信頼されてこそ育つ“静かな確信”
序章:「自信を持て」という言葉は人を惑わせる 「もっと自信を持て」とは、よく遭遇する言説である。けれど、この言葉ほど誤解を生みやすいものもないと、私は感じている。この表現は多くの人に“自信”を、気合いや自己暗示と混同させ… 続きを読む ホンモノの自信とは?|信頼されてこそ育つ“静かな確信”
釣れてしまったフグ
フグが釣れてしまった。リリースするまでのあいだ、苦しそうに鳴くような音をたてていた。口唇にかかったフックを外しても、体表にも針が刺さっていて、これを外すのに手間取ってしまった。 釣った魚は、食べることが最大の供養だと人は… 続きを読む 釣れてしまったフグ