ダブスタの人が組織でそれなりに出世してしまう理由 ――評価構造が生む、見えない現実

上司には丁寧に振る舞いながら、下の立場の人を踏みつけるような影を落とすビジネスマンの姿を描いた構図
上には従順、下には強硬――ダブスタの人が組織で生き残ってしまう理由は、評価構造そのものにある。

Contents

はじめに|長年、誰もきちんと答えてこなかった疑問

ダブルスタンダードという言葉から、多くの人が思い浮かべるのは
「自分に甘く、他人に厳しい人」
「都合のいい二枚舌」
といった、分かりやすくネガティブな人物像だろう。

たしかに、その理解は間違ってはいない。
しかし、それだけでは説明できない現象がある。

それは――
なぜダブルスタンダードな人が、組織の中でそれほど問題なく生き残り、
ときには“それなりに”出世してしまうのか

という疑問だ。

もしダブルスタンダードが単なる不誠実さや人格的欠陥であるなら、
組織の中で早晩、信用を失って淘汰されそうなものだ。
だが現実は、そうなっていない。

この点について、理屈コネ太郎も長年、腑に落ちない感覚を抱えてきた。
そして最近になって、ようやく一つの答えにたどり着いた。

本稿では、一般に**ダブルスタンダードな人(以下、ダブスタの人)**と呼ばれる人物を扱うが、
その意味を通俗的な理解から一段更新したうえで議論を進めたい。


ダブスタの意味を更新する

一般的に語られるダブルスタンダードは、
「自分に甘く、他人に厳しい」
という構図で説明されることが多い。

しかしこの定義では、
なぜダブスタの人が組織の中で破綻せず、
むしろ適応してしまうのかを説明できない。

そこで定義を更新する。

ダブスタの人とは、
自分と他人を分ける思考を持つ人ではない。
上下関係によって、適用するスタンダードを切り替える思考様式を持つ人である。

この視点に立つと、
これまで説明不能だった現象が、構造として見えてくる。


ダブスタの人の二つの振る舞い

ダブスタの人は、常に二つの振る舞いを使い分けている。

上に対して

評価権を持つ上司や権限者に対しては、極めて一貫している。

  • ルールを守る

  • 反省的に振る舞う

  • 責任を自分の中に引き取る

  • 「自分の至らなさです」と言える

上から見れば、
理屈が通り、空気も読め、扱いやすい人物に見える。

下に対して

一方、評価権を持たない相手、つまり下流に対してはどうか。

  • ルールを恣意的に運用する

  • 責任を外部化する

  • 問題を人格や能力のせいにする

  • 理不尽な圧力や切り捨てを行う

ここでは、同じ人物とは思えないほど
野生的で、支配的で、責任回避的な振る舞いが現れる。

重要なのは、
この切り替えが偶然でも無自覚でもなく、
評価構造に対して極めて合理的に行われている

という点だ。


なぜ上からはダブスタが見抜けないのか

ここから、演繹が始まる。

ダブスタの人が
「上下関係によってスタンダードを切り替える思考様式」
を持つ存在であるならば、
上からの視点では、ダブスタは原理的に見抜けない
という結論が導かれる。

なぜなら、評価権を持つ上司の視界に入るのは、

  • 自分に向けられた態度

  • 会議での発言

  • 報告内容

  • 表向きの反省や忠実さ

だけだからだ。

その範囲において、
ダブスタの人は一貫型の人とほとんど区別がつかない。
むしろ「分かっている部下」「空気が読める人」に見えることすらある。


下流で起きているミゼラブルな現実

一方で、ダブスタの人の下流では、別の現実が進行している。

  • 責任の押しつけ

  • 恣意的な評価

  • 人格否定へのすり替え

  • 心身をすり減らす現場

しかしこれらは、

  • 会議室に持ち込まれない

  • 評価シートに記録されない

  • KPIや数値に反映されない

つまり、評価構造の外側で起きている。

結果として、
どれほどミゼラブルな事態が発生していても、
上流から見れば「存在していないのと同じ」になる。

これは、上司が冷酷だからでも、無能だからでもない。
構造的に、見えないものは理解できない
というだけの話だ。


なぜダブスタは蔓延するのか

ここでもう一段、視点を上げる必要がある。

ダブスタの問題は、
当人一人の資質に還元できるものではない。

評価者や上位者自身が、

  • ダブスタの人である場合

  • あるいは、下流の悲劇を知りつつ見ないふりをする場合

も、現実には少なくない。

下の現実を直視すれば、

  • 自分の判断責任が問われ

  • 組織の問題として扱わざるを得ず

  • 余計な摩擦や不利益を招く

だから、見ない方が合理的になる。

こうして、
評価権が上位者に限定された組織では、
ダブスタの人が是正されるどころか、合理的に増殖する。

ダブスタの蔓延は、
個人の資質の問題ではない。
評価構造が生む、避けがたい帰結なのである。


若い社会人への現実的な示唆

ここまで読んで、
「では、ダブスタの人になれという話なのか」
と感じた人もいるかもしれない。

そうではない。

ここから導かれる、
現実的で最低限のアドバイスは二つだけだ。

第一に、
自分の職業人としてのスキルは、
社内評価ではなく、社外で通じるかどうかで測ること。

今やっている仕事や積んでいるスキルは、
会社の外に持ち出したとき、
他人がお金を払ってくれるだろうか。
この問いに耐えられる限り、
組織の歪んだ評価に魂まで預けずに済む。

第二に、
社内では、ダブスタの人が偏在している現実を前提に、
振る舞いに濃淡をつけること。

思考を捨てる必要はない。
ただし、誰に・どこまで差し出すかは選ぶ。
これは迎合ではなく、自己分断を避けるための距離調整だ。


おわりに|それでも考えてしまう人へ

ダブスタの人が出世してしまうのは、
あなたが未熟だからでも、
社会が単純に腐っているからでもない。

評価構造が、そうした振る舞いを不可視化し、
報酬を与えてしまうから
だ。

社会は、空気に従う人によって維持される。
だが、更新は別の場所で起きる。

もしあなたが、
違和感を覚えてしまう人間で、
引っ込められない思考を持ってしまった人間なら、
その生きづらさは欠陥ではない。

ただ、場所選びを誤ると消耗する
というだけの話である。


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