高級とは何か|エレガンスとラグジュアリーから考える

高級時計、高級車、高級ホテル、高級レストラン。

「高級」という言葉は、ごく普通に使われています。

けれど、高級とは何かと考えてみると、その輪郭は意外にぼんやりしています。

価格、品質、素材、技術、希少性、ブランド、サービス。

どれも関係していますが、それらを並べただけでは、高級という言葉が持つ独特の感じまでは捉えきれません。

私は、高級とは、対象そのものが持つ価値と、それを体験した人々の認識が重なり、その評価が社会の中に積み重なって形成されるものではないかと思っています。

これまで当サイトで考えてきた、エレガンスとラグジュアリーという概念を使うと、その構造が少し見えやすくなります。

高級には、まず対象側の質がある

高級と呼ばれるものには、それなりの理由があります。

素材がよい。

作りが丁寧である。

高度な技術が使われている。

意匠に深みがある。

サービスが洗練されている。

希少性や歴史がある。

それらは、ときに実用上必要とされる水準を大きく超えています。

時計であれば、時刻を知るという目的に対して、複雑な機構を使い、ケースや文字盤や針の仕上げに大きな手間をかける。

ホテルなら、眠る場所を提供するだけでなく、空間、静けさ、照明、香り、接客、食事まで含めて滞在全体を作り込む。

そこには、機能だけでは測りきれない価値があります。

その価値を、人が体験する

対象側にある質は、人が触れることで体験になります。

手に取る。

使う。

身につける。

泊まる。

食べる。

眺める。

そのとき、

「これはいい」

「美しい」

「心地よい」

「大切にしたい」

という感覚が生まれることがあります。

こうした体験が一人の中だけで終わらず、多くの人に繰り返されると、その評価は次第に共有されていきます。

「あそこは高級ホテルだ」

「あれは高級時計だ」

という言葉が自然に通用するようになる。

高級という位置づけは、人々の体験と評価が社会の中に積み重なった結果として形成されていくように思います。

高級は、社会の中に形成される

ここが、高級という言葉の面白いところです。

商品やサービスを作る側は、素材を選び、品質を高め、価格を決め、店舗を整え、ブランドの物語を語ります。

一方、そこに実際に価値を感じるのは体験する側です。

作りがよかった。

接客が心地よかった。

長く使っても満足が続いた。

次に触れた製品にも同じ質が感じられた。

そうした経験が蓄積すると、商品名やブランド名そのものに一定の期待が宿るようになります。

ブランドとは、過去の体験と評価が名前の中に蓄積されたもの、と見ることもできそうです。

売り手も「高級」の形成に参加する

現代では、この評価の形成を売り手も積極的に設計しています。

商品の置かれる空間。

広告の写真。

店舗の立地。

接客の方法。

供給量。

価格の付け方。

ブランドが語る歴史や思想。

どのような人に使ってほしいかというメッセージ。

こうした要素は、その商品を人がどのように受け取るかに影響します。

つまり高級という社会的評価は、

対象そのものの質
→ 売り手による意味づけ
→ 体験者の感応
→ 評価の共有と蓄積

という循環の中で形づくられていきます。

長い時間をかけてこの循環が続くと、「高級」という位置づけそのものがブランドの一部になります。

エレガンスは対象の在り様にある

以前、

エレガンスとラグジュアリーの関係性|構造と感情の交点

で、私はエレガンスを対象側の在り様として考えました。

形、配置、動き、振る舞い、構造。

そこに調和や節度、美しい秩序があるとき、人はエレガンスを感じ取ります。

それは建築にも、日用品にも、人の振る舞いにも現れます。

対象の中にある、美しいまとまり。

私はエレガンスをそのようなものとして捉えています。

ラグジュアリーは心の中に立ち上がる

一方、

ラグジュアリーとは何か|プレミアムやゴージャスとの違いからたどる上質の核心

では、ラグジュアリーを体験者側に生じる感覚として考えました。

対象に触れたとき、その背景、歴史、技術、美しさ、時間などに感応し、自分の内側に特別な感覚が立ち上がる。

それがラグジュアリーです。

だから、

日常生活にエレガンスを見つける|心にラグジュアリーを立ち上げるという楽しみ方

では、日常の中にあるエレガンスを見つけることで、心の中にラグジュアリーを立ち上げるという楽しみ方を書きました。

高級・エレガンス・ラグジュアリー

この三つを並べると、それぞれの居場所が見えてきます。

エレガンスは、対象の在り様にある。

ラグジュアリーは、体験した人の心の中に立ち上がる。

高級は、人々の評価が積み重なり、社会の中に形成される。

三つは近い場所にありますが、成立する場所が違います。

上質な対象にはエレガンスが現れることがあります。

それに触れた人の心にはラグジュアリーが立ち上がることがあります。

そして、その価値に対する評価が人々の間で積み重なると、社会の中に「高級」という位置づけが生まれていきます。

宮造り銭湯を考える

以前書いた、

「現代日本に残る退廃的ラグジュアリー ☆ 宮造り銭湯という建築様式と銭湯文化」

を考えると、この関係がよく見えます。

宮造り銭湯には、大きな屋根、高い天井、広い浴場があります。

そこに美しいまとまりを感じれば、エレガンスがあります。

その空間に身を置き、過ぎてきた時間や、失われつつある文化まで感じ取ったとき、心の中にラグジュアリーが立ち上がることがあります。

社会的なカテゴリーとしての銭湯は、一般に高級施設とは位置づけられていません。

ここには、エレガンス、ラグジュアリー、高級が、それぞれ別の場所に成立している様子がよく表れています。

高級時計を見ると、社会的な価値がよく分かる

高級時計も興味深い例です。

時計には、時刻を知るという機能の上に、多くの価値が重なっています。

機械構造。

仕上げ。

素材。

デザイン。

職人の仕事。

ブランドの歴史。

希少性。

所有する喜び。

集める楽しみ。

人生の節目を記憶させる役割。

世代をまたいで受け継ぐという物語。

そして、それらを理解する人々の間で共有されている評価。

人は、その中のどこかに価値を感じて高級時計を選びます。

その価値を深く感じ取ったとき、時計という小さな物体からラグジュアリーが立ち上がることもあります。

そこには、もう少し俗な動機も混じります。

高級時計は身につけて外へ持ち出せるため、所有者の経済力や社会的立場を他者に想像させる記号としても使えます。

実際の経済状態とは別に、「この価格帯の商品を所有できる人間である」という印象を伝えることができる。

これもまた、高級品が持つ社会的な意味の一つです。

高級は、時代や社会によって動く

高級が社会の中に形成される認識だと考えると、もう一つの性質が見えてきます。

その位置は固定されていません。

かつて一部の人しか持てなかったものが大量生産されれば、特別なものではなくなります。

ある国では高級とされるブランドが、別の文化圏ではほとんど意味を持たないこともあります。

同じ商品でも、所得水準や生活環境によって受け取られ方は変わります。

高級という位置づけは、時代、地域、文化、社会階層とともに動きます。

だからこそ、高級という言葉には、いつも少し曖昧な輪郭があります。

高級とは何か

ここまで考えると、私は高級という言葉を、次のように捉えたいと思います。

高級とは、実用を超える品質、素材、技術、意匠、希少性、歴史、サービス、体験などに人々が価値を感じ、その評価が時間をかけて蓄積・共有されることで成立する、社会的な上位概念である。

そこには対象の質があります。

作り手による意味づけがあります。

体験する人の感応があります。

そして、人々の間に積み重なった評価があります。

エレガンスは対象の在り様にある。

ラグジュアリーは体験者の心に立ち上がる。

高級は、それらを含む多くの体験と評価が社会の中に蓄積されたところに成立する。

そして社会そのものが動く以上、高級という概念もまた動き続けます。

その輪郭が少し曖昧なのは、高級という言葉が雑だからではなく、人と物と社会の関係の中に生まれる言葉だからなのだと思います。

作成者: 理屈コネ太郎

元消化器内視鏡医・産業医。現在は社会・人間行動・構造分析をテーマに執筆活動を行う。定年退職後はヨット・ボート・クルマなど趣味と構造研究の日々を過ごす。

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