赤ひげは町医者ではない|山本周五郎『赤ひげ診療譚』を考察

山本周五郎著『赤ひげ診療譚』、赤ひげの想像肖像画
山本周五郎著『赤ひげ診療譚』、赤ひげの想像肖像画

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赤ひげは開業医ではない

唐突だが、赤ひげは「個人経営の開業医」ではない。
個人経営の開業医とは、自らの資金繰り・経営責任を背負いながら、地域に根ざして医療サービスを提供する立場である。

だが、『赤ひげ診療譚』に登場する新出去定(にいで きょじょう)こと赤ひげは、小石川養生所という公立医療機関に所属する勤務医だ。しかも彼はそこで多数の部下を統率する立場にある、いわば診療部門長や病院長クラスの人物である。


巷間に流布する「赤ひげ像」とは異なる

いわゆる“赤ひげ先生”のイメージといえば、多くの人がこう思っているだろう。

徒手空拳で病気や貧困と闘う、厳格だが寛容で崇高な人格の医師――
いわば「医は仁術なり」を体現した孤高の開業医。

この像は、戦後日本における理想的なヒューマニズムの象徴として半ば神格化された通念であり、メディア作品などを通して定着してきた。

しかし、山本周五郎が描いた赤ひげ像はもっと複雑で現実的かつ老獪な人物像である。


周五郎が描く赤ひげは、老獪な現場の指導医

文豪・山本周五郎の手による赤ひげは、善意だけではとても務まらない現実を知り抜いたタフでストロングな男だ。

清濁併せ呑みながらも、自らの理想を見失わず、
社会の不条理を直視しながら、患者と向き合い続ける。

彼は理想主義者でありながら、現場の実務責任者としての判断力・包容力・実行力を兼ね備えた人物として描かれている。

厳しさと慈悲、沈黙と情熱――その両面を併せ持つ赤ひげは、決して単なる“崇高な仁医”ではなく、「組織と現実を背負う職業人」としてリアルなのだ。


医療のリアリティは60年経っても色褪せない

本書で描かれる医療や福祉の現場、そこにある人間模様や社会構造は、驚くほど現代にも通じる。

  • 患者の貧困や無知

  • 無力な制度

  • 医師の苦悩と信念

これらのモチーフは、現代の医療従事者にも身に覚えがあるはずだ。
『赤ひげ診療譚』が描いたテーマの骨格は、まったく古びていない。

ちなみにこの作品が発表されたのは1959年頃。つまり、もう60年以上前の作品なのだ。


山本周五郎、脂の乗った50代の筆力

山本周五郎は1903年生まれ。ということは、『赤ひげ診療譚』執筆当時は50代後半。
まさに作家としての筆致が最も冴えわたっていた時期と言えるだろう。

本作では、その成熟した筆力が余すところなく発揮されている。
登場人物の造形、社会への視線、そして医師像の描写――どれをとっても切れ味と深みが共存している。


読む価値ある一冊。再評価の時かもしれない

赤ひげをただの“理想医”として語るには惜しい。
山本周五郎の赤ひげは、今なお医療者、そして社会人としての「背中」を我々に見せてくれる。

古典ではあるが、今こそ読む意味がある。
読む価値のある一冊である。


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