Contents
序章
本記事は、
歴史がなぜラグジュアリーとして立ち上がり得るのか、
そしてなぜそれが最上のラグジュアリーになり得るのかを、
感情の構造として整理するものである。
本稿で扱うラグジュアリーとは、
断絶なく継続している文化(=歴史)が、
いまも「ある」という事実に注意が向いたとき、
人の内側に自然と立ち上がる感情を指す。
時間は不可逆であり、
一度断絶した歴史や伝統は二度と戻らない。
この代替不能性ゆえに、
断絶せずに継続してきた歴史は、
種類として最上のラグジュアリーになり得る。
さらに、その歴史の中に
自分自身が内在していると自覚できたとき、
そのラグジュアリーは、
程度として最上のものとなる。
第1章 本稿でいうラグジュアリーの定義
本稿で用いるラグジュアリーは、
価格や希少性、等級を示す言葉ではない。
それは、
外部に存在する価値を評価した結果でも、
説明によって理解された概念でもない。
断絶なく継続している文化が、
いまも「ある」という事実に注意が向いたとき、
人の内側に自然と立ち上がる感情、
その感情そのものを、
本稿ではラグジュアリーと呼んでいる。
ラグジュアリーは、
評価語ではなく、感情名である。
第2章 断絶なく継続している文化と、人の無自覚
断絶なく継続している文化は、
特別な場にだけ存在しているわけではない。
それは、すでに「ある」。
しかし人は、
常にそこにあるものに対して、
ふだん注意を向けない。
空気や水、
日常の安全や秩序と同じように、
継続している文化もまた、
無自覚のうちに背景化されている。
そのため、
歴史は存在していても、
意識されないまま通り過ぎられる。
第3章 古いモノが担う役割
古い建築や道具、
長い時間を経て残ってきた空間は、
それ自体が価値の源泉なのではない。
古いモノが果たしているのは、
断絶なく続いてきた時間を、
象徴的に可視化する役割である。
古いモノに触れたとき、
人の注意は、
個々の物体から、
それを生み、使い、受け継いできた
連綿と続く時間へと向く。
古いモノは、
歴史に注意を向けさせるための
きっかけにすぎない。
第4章 感情が立ち上がる瞬間
古いモノをきっかけに、
注意が時間の連続へと向いたとき、
人の内側に感情が自然と立ち上がる。
それは、
考えて生じる感情ではない。
理解の結果として得られるものでもない。
断絶なく続いてきた文化が、
いまも「ある」という事実に触れたとき、
自然に立ち上がってしまう感情である。
本稿では、
この感情をラグジュアリーと呼んでいる。
第5章 時間の不可逆性と代替不能性
時間は不可逆である。
一度断絶した歴史や伝統は、
どれほどの資本を注いでも、
二度と戻らない。
建物を復元することはできても、
断ち切られた時間そのものを
取り戻すことはできない。
時間は代替不能であり、
この意味において歴史は、
それを理解する人の内側に
特別な感情を立ち上がらせる。
ここで、時間の不可逆性は、
生命の性質とよく似ていることに気づく。
生命は、一度失われたら
二度と元には戻らない。
どれほど技術が進歩しても、
死んだ生命を生き返らせることはできない。
歴史もまた、同じ性質を持っている。
何世代にもわたる無数の人々の関与によって構成される
壮大な叙事詩としての歴史は、
一度断絶した瞬間に、
その連続性を永久に失う。
滅んだ文化を、
仮に形として復興させることはできる。
しかし、その一度の断絶そのものは、
決して取り消すことができない。
この不可逆性ゆえに、
断絶せずに継続してきた歴史は、
生命と同じ種類の重みを帯び、
それを理解する人の内側に、
深いラグジュアリーを立ち上がらせる。
第6章 種類として最上のラグジュアリー
代替不能であるという一点において、
歴史が立ち上げるラグジュアリーは、
他のラグジュアリーと同列に並べることができない。
美的な価値や物質的な価値は、
代替や再生産が可能である。
しかし、断絶せずに継続してきた時間は、
代替することができない。
この代替不能性ゆえに、
歴史が立ち上げるラグジュアリーは、
種類として最上のラグジュアリーとなる。
第7章 程度として最上になるとき
さらに、
その断絶なく継続してきた歴史の中に、
自分自身が内在していると
自覚できたとき、
同じラグジュアリーは、
より深いものとして経験される。
それは、
役割や責任を引き受けることではない。
行動を要請されることでもない。
ただ、
自分がその連綿と続く時間の中で
生きているという実感が、
感情の深さを変える。
このとき、
ラグジュアリーは、
程度として最上のものとなる。
終章
歴史が最上のラグジュアリーになり得る理由は、
古いからでも、珍しいからでもない。
断絶なく継続してきた文化が、
いまも「ある」こと。
そして、時間が不可逆であり、
その継続が代替不能であること。
その事実に注意が向いたとき、
人の内側に自然と立ち上がる感情。
それが、本稿で述べたラグジュアリーである。
そして、
その歴史の中に
自分自身が内在していると自覚できたとき、
そのラグジュアリーは、
最上の形をとる。
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