「日本国憲法の日本語は不自然だ」といった指摘を耳にすることがあります。
前文の「公正と信義に信頼して」や、第9条の「これを放棄する」「これを保持しない」といった表現が、その根拠として挙げられることも少なくありません。
しかし、その違和感は本当に日本国憲法の条文がおかしいからなのでしょうか。
それとも、明治期以降の日本の法令文体に共通する形式が、現代の口語日本語と距離を持っているために生じているのでしょうか。
本稿では、日本国憲法の条文を明治期以降の法令文体と比較し、その日本語が特異なものなのか、それとも法制史の連続性の中に位置づけられるものなのかを検証します。
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前文の表現は文法的に破綻しているか
まず、前文の次の箇所です。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
この表現について、「公正と信義を信頼して」と書くべきではないかという指摘がなされることがあります。
現代口語では、「人を信頼する」「約束を信頼する」のように、「を」を用いる構文が一般的です。そのため、「に信頼して」という表現に違和感を覚える人がいるのは理解できます。
しかし、「信頼する」という動詞は、歴史的には「〜を信頼する」という用法だけでなく、「〜に信頼する」という依拠の対象を示す用法も持っています。
ここでの「公正と信義に信頼して」は、「公正と信義を信じる」というよりも、「公正と信義に依拠して」という意味に近い構造です。
明治期以降の法令文体には、
「〜ニ依リ」
「〜ニ基キ」
「〜ニ従ヒ」
といった依拠を示す構文が多く見られます。
この系譜の中で考えれば、「公正と信義に信頼して」という表現は、法令文体として理解可能であり、日本語として破綻していると直ちに断定することはできません。
違和感があるとすれば、それは現代口語との距離によるものと考えられます。
第9条の「これを」は翻訳調なのか
次に、第9条の次の表現です。
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、永久にこれを放棄する。
陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
「これを」が繰り返されていることを理由に、翻訳調であり不自然だとする指摘があります。
しかし、明治期以降の日本の法令には、
「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
「皇位ハ…之ヲ継承ス」
「権利ノ行使ハ信義ニ従ヒ誠実ニ之ヲ為スヘシ」
といった、「之ヲ(これを)」を用いた受け構文が多数存在します。
名詞句を受けて「これを〜する」と述べる形式は、法令文体における定型的な構文です。
したがって、第9条の「これを放棄する」「これを保持しない」という表現は、日本語の法令文体の系譜に位置づけることができます。
現代の口語日本語とは異なりますが、それをもって翻訳由来の破綻と断定することはできません。
主語と目的語の対応は破綻しているか
第9条第1項は、次の構造を持っています。
主語は
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は」です。
述語は
「放棄する」です。
目的語は
「これ」(=戦争および武力の行使)です。
文法上、主語と述語、目的語の関係は明確であり、日本語として破綻しているとは言えません。
第2項の
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」
も同様です。
ここでの「これ」は「陸海空軍その他の戦力」を受けています。
自己言及的に見えるとしても、法令文体としては不自然な構造ではありません。
違和感の正体
以上を踏まえると、日本国憲法の日本語は、
現代の口語日本語とは距離がある
しかし、明治期以降の日本の法令文体と連続性を持っている
と整理できます。
したがって、「日本国憲法の日本語は翻訳由来で破綻している」という主張は、法制史的検証を欠いた印象論にとどまっている可能性があります。
憲法議論の前提として
憲法の内容を議論すること自体は重要です。
しかし、その議論が「条文の日本語は破綻している」という前提の上に立っているとすれば、その前提自体を検証する必要があります。
日本国憲法の条文は、日本語として法令文体の系譜の中に位置づけることができます。
その点を踏まえた上で、条文の意味や規範構造を議論することが、より建設的ではないでしょうか。