理屈コネ太郎のバイク遍歴と得た気づき

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■ はじめに:MCという相棒との距離感

まず最初に、本記事では“バイク”という言葉をモーターサイクル(以下、MC)の意味では使わない。
検索した人が自転車と混乱しないための、ささやかな配慮である。

MCという乗り物は、私にとって「憧れ、挫折、回帰」を何度も経験させてくれた存在だった。
手に入れては手放し、離れてはまた戻る。
その繰り返しのなかで、ようやく分かってきたことがある。

それは――
MCという趣味が成立するかどうかは、“情熱”ではなく「3地点の距離」で決まる。
という、ある種の現実である。

3地点とは

  1. 生活拠点

  2. MCの保管場所

  3. 走ったり弄ったりして遊ぶフィールド

この3つが遠いと、どれほどMCが好きでも趣味として続けるのはかなり難しい。
これはMC遍歴を40年近く繰り返した私の、ひとつの小さな“気づき”である。

そんなMCとの歩みを、少し振り返ってみたい。


■ 高校時代:甘さと興奮を同時に与えてくれた最初のMC

私の最初のMCは、高校時代に父親が買ってくれた YAMAHA XJ400 だった。

自分でバイトして苦労して買ったわけではない。
欲しいと言ったら、すんなり手に入ってしまった。
当時の私は、その甘さを当然のように享受していた。
今振り返ると、そこにすでに“人間としての未熟さ”が滲んでいる。

XJ400には、13万キロほど乗った。
若かったから、どこにでも走って行ける気がしていた。いか、パッと思い出せる範囲でのMC遍歴を記述する。


■ CBXと、長い空白の20年

その後、原付を数台乗り継ぎ、何台かの250ロードバイクを中古で乗ったりしたが、あるとき、なぜか突如として ホンダCBX(6気筒) を購入してしまう。
中古で状態は悪く、倉庫で冬眠する期間が長く、やがて縁あって近畿地方のメカニックの元へ引き取られていった。

その後、MCへの興味はすっと消え、20年もの空白期間が訪れる。


■ 再燃:セパハンCB750との出会い

20年ぶりにMC熱が再燃したのは、雑誌で見た埼玉のプロショップで作られる
Honda CB750(RC42)型セパハン・フルカスタム との邂逅だった。

一目見て「これだ」と思った。
いや、思い込んだと言ってよい。
自分の直感はときに鋭く、ときに致命的にはずれる。

カスタム途中のRC42

ロケットカウル、2灯ヘッドライト、コンパクトなフォルム。
まるで旧サイクロン号のようで、心が躍った。
完成した車体は実に素晴らしく、眺めているだけで満たされた。

――しかし、問題は私の腕と体力がこのバイクについていかなかったことだ。
カフェレーサーの乗車姿勢は想像以上にハードだった。


■ スポーツスター1200N:腕の限界と“現実の重さ”

「もっと易しいMCに乗りたい」と思い、知人に相談した。
勧められたのは ハーレー スポーツスター1200N

ハンドルを変え、フォアコンにして、カウルを付けた当時の愛車

重心が低く、足つきも良い。
だが、ハンドルが遠く広すぎた。
ライザー交換、ハンドル交換、ウインドスクリーン装着。
試行錯誤を重ねてポジションは良くなった。

しかしある日――
高速道路で BMW GS1200 に、30km/hほどの速度差であっさり追い抜かれる。
この瞬間、MCの“巡航性能差”という現実を嫌でも思い知らされた。

翌日には、ヤナセ芝浦のBMWディーラーにいた。
勢いでGS1200 Adventureを契約し、所有MCは3台に増えた。


■ GS1200 Adventure:理屈と現実の乖離

巨大で、重く、重心が高く、エンジンは回らず、足つきも悪い。
取り回しは“修行”のようだった。

130km/hを超えるとエンジン音が唸るだけで、恐怖と疲労が勝ってしまう。
そして、やたらとオジサンに話しかけられた。

なにより、公道で転倒させた際の引き起こしがあまりに大変だったことが気楽さや自由を阻害した。

良い思い出も確かにあるが、私には明らかに“向いていない”MCだった。

気が付いてすぐに手放した。


■ Triumph Tiger800:理想形に近づいた1台

次に出会ったのが Triumph Tiger800

3気筒エンジンの滑らかな鼓動。

後年、GRヤリスの3気筒エンジンに全く違和感を抱かない素地を作った素晴らしいエンジンである。詳細はGRヤリス愛好家必見!国内最大級オリジナル記事一覧

取り回しやすく、Uターンも軽快。
高速巡航、積載性、操作感――ほぼ完璧。

そこで私は、気づいてしまった。

私はMCでの長距離移動が、実は好きではなかったのだ。私見であるが、そもそもMCは長距離移動するための乗り物ではない…と確信してしまったのだ。

暑さ寒さに耐え、高速道路に生身で晒される。
それがどうしても“楽しみ”に転換できなかった。


■ トリッカー:軽さと遊び心の回帰

「もっと気軽に乗れるMCを」と考え、近所の店で見つけたのが ヤマハ トリッカー

MC独特の運転感覚を味わうには非常に良い

華奢で軽く、直感的に「これなら遊べる」と思えた。
割引期間だったこともあり、現金で即決。

Tiger800ディーラーに買い取ってもらい、
現在は CB750カフェレーサーとトリッカーの2台体制 へ。

ウィリーの練習などを友人から教えてもらいながら遊んでいたが、
やがてまたひとつの現実に突き当たる。

“練習場所が遠い”という厳しい事実である。


■ トランポ文化の理解と、MCからの一時休泊

遊ぶ場所が遠いと、MCそのもので移動するのは苦痛になる。
このとき初めて、トランポ(MCを積む四輪バン)文化の合理性を理解した。

「移動はクルマで、遊びはMCで。」

それがMCを本気で楽しむ人々の“答え”なのだと分かった。

しかし、私自身にはそこまでのMC愛情はなかった。
トランポを買うには至らず、MC遍歴はここで一旦、フリーズ。トリッカーとCB750Cafeは倉庫で静かに眠っている。


■ おわりに:長い遍歴の果てに見えたもの

こうして自分のMC遍歴を振り返ってみると、
MCという乗り物は、私にとって“自分自身の鏡”のようだった。

体力、恐怖心、生活環境、憧れ、見栄、現実――
その時々の価値観や身体的・技量的な弱さが、選んだ一台一台に反映されていた気がする。

情熱だけでは続かず、
どう乗りこなし、どう向き合うかは、
結局いつも“その時の自分”によって決まっていた。

そして最後に分かったのは――

MCを楽しめるかどうかは、
3地点の距離と、自分の生き方が噛み合っているかどうか。

これが、長い遍歴の果てに得た、ささやかな知見である。


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