釣りに正解はない|文豪たちが釣りを人生にたとえた理由

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釣りに「正解」があるのか?ボート釣りから得た気づき

最近ボート釣りをするようになって、「釣り」とは魚を「攻略」する行為ではないということに気が付いた。釣りとは、竿と糸を介して、自然界にいる魚と戯れるあるいは対決する行為なのではなかろうか。だから釣りに正解はなく、むしろアングラーが自分なりの楽しみ方や戦い方を見つける営みこそ釣りである。

そして釣れる、釣れない…は、結局のところ確率的な事象に過ぎないのではないか。ここでいう“確率”とは、偶然が結果を大きく支配する領域、という意味である。丁度人生における幸や不幸が努力ではどうにもならないように。


サーキットのタイムアタックと釣りの違い

たとえばサーキットのタイムアタックには、必ず「正解に近い攻略法」が存在する。条件さえ整えば、技量のあるドライバーは再現性高くベストラップを刻める。

しかし釣りは違う。釣れる/釣れないは、定石や経験則に従っても確実ではない。

  • 「この場所には魚がいる」

  • 「ベイトの周囲には捕食者がいる」

  • 「捕食行動を促せばヒットする」

こうした言説は多いが、魚の行動を人間の視点で推測したに過ぎない。


魚の行動は不可解|釣れる理由は誰にも分からない

人間の赤ちゃんや長年一緒に生活している犬や猫ですら、その行動意図を正確に理解することは難しい。ましてや魚がなぜそのルアーに食いついたのか、なぜそこに居たのかは誰にも分からない。

魚探に映った魚影やベイトの存在を確認できても、実際に釣れることは少ない。これは「魚がいる」ことと「釣れる」ことが別の現象だからである。


釣れる瞬間は稀な出来事|再現を試みる人間の営み

鳥や獣がそこら中に存在しても、狩られることは稀である。魚も同じで、無数に存在する魚体のうち、釣り上げられるのは極めて少数である。

その稀少な現象を、人間の恣意で都合よく再現しようとしているのが、釣りという行為なのである。


釣りの歴史と「釣られにくい魚」

リリース前提の釣りは残酷か?自然界との比較で見える視点の記事で詳述したが、人類の釣りの歴史は数万年単位に及ぶ。現存する海棲生物はその歴史を生き延びた「釣られにくい生き物たち」の末裔であり、我々はそうした相手に挑んでいる。

これは思うにまかせない人生を生きることと重なって見える。


文豪たちが語った「釣りと人生」

歴史上の文豪たちもまた、釣りを人生になぞらえてきた。

アーネスト・ヘミングウェイ

『老人と海』で釣りを「孤独と挑戦の象徴」とし、大魚との格闘に人間の尊厳と敗北を重ねた。
📖 出典:小説『老人と海』(1952年)

アイザック・ウォルトン

『釣魚大全』で釣りを「人生修養の道」と説き、自然との調和と心の安らぎを人生に重ねた。
📖 出典:随筆『釣魚大全(The Compleat Angler)』(1653年 初版)

夏目漱石

釣りを「無為の楽しみ」と捉え、川辺で過ごす時間を人生の余白や心の潤いとして描いた。
📖 出典:随筆『草合』(明治40年頃)ほか

志賀直哉

釣りを「自己との対話」とし、自然の中で過ごす静かな時間を人生を見つめ直す機会に重ねた。
📖 出典:随筆『釣りの話』(大正期)ほか

幸田露伴

釣りを「人を律する修行」とみなし、忍耐や節度を学ぶ営みとして人生の縮図にした。
📖 出典:随筆『釣竿』(1891年)

開高健

『オーパ!』などで釣りを「人生の冒険」とし、大魚との出会いを運命との格闘や生の証しに重ねた。
📖 出典:紀行文『オーパ!』(1979年)、『オーパ、オーパ!』(1987年)


人生と釣りの共通点 ― 成功と失敗を受け入れる

人生は無限の小さな決断の連続であり、その成否は本人の意思や努力だけでなく「運」によっても大きく左右される。成功の4割は偶然に左右される、と言っても過言ではない。

釣りも同じである。狙った魚を釣り上げた成功もあれば、まったく釣れず疲労だけが残る失敗もある。文豪たちが釣りを人生になぞらえたのは、まさにこの「思い通りにならない“失敗”」の側面を人生と重ねたからである。

「稀少な出来事を人間の恣意で再現しようとするのが釣り」という見立ては正しい。しかしもっと重要なのは「思い通りにいかなかった現実を受け入れ、次の一手を考える」ことだ。たとえその次の一手の根拠がアングラーの推測に過ぎなかったとしても。


結論:釣りは人生を映す鏡

結局のところ、釣りに“正解”はない。
戦略やテクニックで釣果を近づけることはできても、自然と魚の側には無限の未知の要素があり、それが人間の思惑を超えてしまう。

釣りは、思うにまかせない人生の縮図であり、偶然を受け入れながら次の一手を考える練習の場である。

だからこそ、釣りは釣果を競うだけではなく、釣れない現象も含めて愉しむ姿勢が相応しい。人生もまた、常に真剣で肩肘張っていては息がつまる。失敗も成功も、すべて楽しんでこそ、釣りも人生も豊かになるのだと思う。


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筆者紹介は『理屈コネ太郎の知ったか自慢|35歳で医師となり定年後は趣味と学びに邁進』からどうぞ。

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