モテる方法」コンテンツが薄い理由|人は「その人がいる未来」に惹かれる

最近YouTubeを見ていると、「40代、50代の男性が若い女性にモテる方法」というジャンルをよく見かけます。

元No.1キャバ嬢や恋愛カウンセラーなどの肩書を持つ、比較的若く、見栄えのよい女性がカメラに向かって、

「年下女性にモテるオジサンには共通点があります」

「女性が色気を感じる中年男性はここが違います」

「これを知らない男性は、いつまでたってもモテません」

と語ります。

そして本題に入る前に、

「ほとんどの男性がここを間違えています」

「これを知らないことが、あなたがモテない原因です」

「最後まで見れば女性からの見られ方が変わります」

と、これから出てくる情報がどれほど重要なのかが長く説明されます。

ところが、ようやく出てくる答えは、

清潔感を持つ。

女性の話をよく聞く。

自慢しない。

余裕を持つ。

若作りしない。

といった内容だったりします。

もちろん、どれも完全に間違っているとは思いません。

不潔な人より清潔な人の方が好まれやすいでしょうし、自分の話しかしない人より、相手の話を聞ける人の方が人間関係はうまくいきやすいでしょう。

しかし私は、こうした動画を見るたびに思います。

それは本当に、人が誰かを好きになる理由の中心なのでしょうか。

細分化されているようで、同じ話が再包装されている

このジャンルでは、一人の発信者が「モテる方法」という一つの問いについて、何十本、場合によっては何百本もの動画を公開しています。

清潔感。

服装。

LINEの返し方。

女性の褒め方。

色気。

聞き上手。

余裕。

女性が冷める行動。

女性が密かに見ている部分。

いくらでも細分化できます。

動画の本数が多いこと自体は、答えが存在しない証明にはなりません。

医学でも、一つの病気について何百本もの解説が成立します。

ただし医学の場合には、病態、生理、診断、治療、予後など、それぞれ別の知識が積み上がっていきます。

一方、この種の恋愛ノウハウは、題名こそ違っていても、中身を縮めてみると、

相手を不快にさせない。

相手を尊重する。

自信のない振る舞いをしない。

自分ばかり話さない。

といった、かなり似た原則へ戻ってくることが多いです。

新しい仕組みが次々に発見されているというより、同じ原則が細かく分けられ、別の情報として再包装され続けているように見えます。

私は、この語り方にスピリチュアル系コンテンツと少し似たところを感じます。

似ているのは、その世界観ではありません。

「あなたがうまくいかないのは、まだ知らない大切な法則があるからです」

という構造です。

「心理学」「経験」「成功例」が合理性らしさを与えている

しかも、この種の恋愛コンテンツでは、

「心理学ではこう言われています」

「多くの男性を見てきた経験から分かります」

「これまで多数の恋愛相談を受けてきました」

「実際にこの方法で交際できた人がいます」

といった説明が添えられることがあります。

そのため、単なる個人の感想よりも、少し学問的な話に見えます。

しかし、

たくさんの人を見てきたことと、そこから一般法則を導けることは別です。

どのような人が相談に来たのでしょうか。

うまくいかなかった人は何人いたのでしょうか。

相談を受けなかった似た人と比較して、本当に成功率が高かったのでしょうか。

そもそも何を「成功」と呼んでいるのでしょうか。

交際が始まったことでしょうか。

復縁したことでしょうか。

結婚したことでしょうか。

その後も双方が満足する関係が続いたことでしょうか。

それが分からなければ、

「私の相談を受けた人はうまくいった」

という話は経験談にはなっても、それだけで恋愛についての一般法則にはなりません。

3年後、5年後はどうなったのか不明

ここで特に重要なのは時間です。

仮に恋愛相談を受けた男性が、数か月後に意中の女性と交際できたとします。

それを「成功例」と呼ぶことはできます。

しかし、その二人は3年後にどうなっているのでしょうか。

5年後はどうでしょうか。

まだ一緒にいるのでしょうか。

一緒にいるとして、双方がその関係を望んでいるのでしょうか。

ノウハウとして教えられた振る舞いと、本人の本来の性格や生活が食い違ってはいなかったのでしょうか。

恋愛ノウハウで紹介される「成功例」では、交際成立や復縁といった短期的な結果は語られても、その後を数年単位で系統的に追跡した資料まで視聴者に示されることは一般的ではありません。

しかし、

人を恋愛関係に入らせることと、よい恋愛関係を続けることは同じではありません。

入口を通過したことだけで、その方法が恋愛を成功させたとまでは言えないのです。

学問は「私はこう見てきた」から離れたところにあります

私は個人の経験を軽視するつもりはありません。

むしろ経験は重要です。

臨床医学でも研究でも、

「何度も見ているうちに、どうもこういう傾向がある」

という気づきから研究が始まることはあります。

しかし、それは出発点です。

学問的な知識として扱うためには、その経験をした本人から離れなければなりません。

別の人が調べても同じなのでしょうか。

対象を変えても成り立つのでしょうか。

反対の結果はなかったのでしょうか。

どんな条件では成立し、どんな条件では成立しないのでしょうか。

成功と失敗を何によって判定するのでしょうか。

他人が検証できる形にしなければなりません。

学問は個人の経験から始まることはあっても、最終的にはその個人から切り離して検証できる形になった知の体系です。

本人がいなくても読めます。

批判できます。

追試できます。

間違っていれば修正できます。

「私は何百人も見てきた」という言葉は、観察経験の多さを示すことはあっても、それだけで心理学にはなりません。

この点については、当サイトの

[関連記事:自分の経験則と統計学の違い、知っていますか?

でも書いています。

今回の話も基本的には同じです。

では、人はなぜ特定の一人を好きになるのか

ここからは私自身の仮説です。

その前に、「好きになる」という言葉を少し限定しておきたいと思います。

美しい人を見て身体が反応する。

声や匂いに性的な魅力を感じる。

瞬間的に強い欲望が起きる。

ここまでは、この文章でいう「好きになる」とは少し違います。

相手そのものをもう少し求め、「この人がいる次の時間」を欲しくなり始めたところから、ここでは恋愛的な好意として考えます。

そのうえで、私はこう考えています。

人は、誰かと接するなかで、その人と一緒にいる未来がなんとなく魅力的に思えたとき、その人に強く惹かれるのではないでしょうか。

ここでいう「未来」は、完成した人生計画ではありません。

むしろ、本人にもほとんど見えていません。

しかし、完全な空白でもありません。

好きになる前から、未来の断片は自分の中にある

人の中には、

こういう場所にいると落ち着く。

こういう暮らしにはなぜか惹かれる。

こういう自分ではありたくない。

こういう時間をもっと持ちたい。

こういう人たちといると心地よい。

という、たくさんの感覚があります。

本人は、それらを一つの人生像として意識しているわけではありません。

ばらばらの断片として存在しているだけです。

しかし、その人がこれからどんなふうに生きたいのかという方向性は、その断片の中にすでに含まれています。

そこへ誰かが現れます。

話をします。

一緒に出かけます。

仕事をしている姿を見ます。

問題が起きたときの行動を見ます。

他人への接し方を見ます。

すると理由はうまく説明できないのに、

「この人と一緒にいるのは、なんだかいい」

と感じます。

もっと一緒にいたくなります。

私は、このとき好きになる側の人の中で、

もともと存在していた無自覚な未来の断片と、その人の存在がどこかで重なっている

のではないかと思います。

本人にも、まだ自分の未来は見えていない

たとえば、都会で普通に働いている女性がいるとします。

本人は地方へ移住したいなどとは考えていません。

しかし休日には海や山へ行きたくなります。

古い家を自分で直して暮らす映像には、なぜか目が止まります。

大勢で騒ぐより、少人数で静かに過ごす方が好きです。

本人は、これらを

「自分は将来こういう人生を送りたい」

という一つの計画として考えたことはありません。

そこへ、自然の中で過ごすことが好きで、物を自分で直し、知らない場所でも生活を組み立てられる男性が現れます。

女性は、

「この男性なら私の移住計画を実現してくれる」

と考えて好きになるわけではありません。

そもそも移住計画など持っていないからです。

ただ、その男性と一緒にいると妙にしっくりきます。

もっと一緒にいたくなります。

それは男性が女性の中に新しい欲求を植えつけたというより、

女性の中にもともとあった、まだ言葉になっていない生き方の方向と、その男性の存在が重なった

と考える方が自然ではないかと思います。

進学や就職にも少し似たところがあります。

第一志望の大学や会社を強く望んでいても、そこで送る毎日の細部まで知っている人は少ないでしょう。

それでも、

「そこにいる自分」

には強く惹かれます。

恋愛では、それがさらに言葉になっていないのです。

ただし恋愛では、行きたい場所に自分を重ねるのではなく、その人自身が「これから欲しい時間」の一部になります。

まれに、出会った相手が未来そのものを大きく広げることもある

一方、人との出会いによって、それまで自分の選択肢にすら入っていなかった生き方が急に現実味を持つこともあります。

知らなかった仕事。

知らなかった土地。

考えたこともなかった暮らし。

そんな人生を実際に生きている人と出会い、

「そんな生き方があるのか」

「自分も、こんなふうに生きられるのかもしれない」

と思います。

いわゆる、人からインスパイアされるという現象です。

この場合は、好きになられる側の人物が、好きになる側の未来像そのものを大きく広げています。

ただし、それでも完全なゼロからではないでしょう。

同じ人物を見ても、全員が同じようにインスパイアされるわけではありません。

提示された生き方を、

「それはいい」

と感じる何かが、受け手の中にも必要だからです。

多くの場合は、すでにある無自覚な未来と相手が重なります。

まれには、相手との出会いによって、その未来が大きく広がったり組み替えられたりします。

私はそのように考えています。

未来とは、数十年後でなくても構わない

「未来像」という言葉から、結婚、子育て、老後のような長期的な人生設計を想像する必要はありません。

ここでいう未来は、もっと短くても構いません。

この人ともう少し話していたい。

今夜、この人と一緒にいたい。

明日も会いたい。

週末を一緒に過ごしたい。

来年も一緒に旅行したい。

この先ずっと一緒に暮らしたい。

すべて未来です。

時間の窓は数十年でも、数時間でも構いません。

単なる身体的な反応だけなら、そこに未来は必要ありません。

しかし、

その人をもっと求め、その人と過ごす次の時間まで欲しくなった瞬間には、すでにその人が登場する未来を望んでいます。

私はここに、単なる刺激と「その人が好き」の境目があるのではないかと思います。

「好きな理由」は、後から言葉にしているのかもしれない

人は好きになった相手について、

「優しいから」

「話が合うから」

「頼りになるから」

「一緒にいると安心するから」

と説明します。

もちろん、本当にそうなのでしょう。

しかし、それだけでは説明できないことも多いです。

同じくらい優しい人はほかにもいます。

もっと話を聞いてくれる人もいます。

もっと容姿の整った人もいます。

もっと経済的に豊かな人もいます。

それでも、その一人がよい。

だとすれば、

「優しい」

「聞き上手」

「清潔感がある」

といった言葉は、好きになった理由のすべてではなく、本人があとから言葉にできた部分なのかもしれません。

もっと深いところでは、

「この人がいる次の時間を生きたい」

という感覚が先に生まれているのではないでしょうか。

清潔感はそれだけでは恋愛を作れない

そう考えると、恋愛ノウハウで頻繁に語られる「清潔感」の位置づけも変わります。

現代社会では、不潔な人は多くの場合不利です。

しかし、

不潔さは恋愛を壊せても、清潔さだけでは恋愛を作れません。

話をよく聞くことも同じです。

自分の話しかしない人より、相手の話をきちんと聞く人の方が好まれやすいでしょう。

しかし、世界一聞き上手になったからといって、世界一モテるわけではありません。

清潔感や聞き上手は、多くの場合、

恋愛対象から外されにくくする条件

なのであって、

特定の誰かに強く惹かれる中心原因

とは限りません。

しかも、同じ性質でも環境によって意味が変わります。

ある環境では洗練された会話が大きな魅力になります。

別の環境では、判断力や行動力の方が重要になります。

属性そのものに絶対的な「モテ点」があるのではありません。

その属性が、相手のまだ言葉になっていない「これから」とどう結びつくかによって意味が変わるのです。

美貌に強烈に反応する人もいれば、反応しない人もいる

美貌について考えると、この構造は分かりやすいです。

非常に美しい人を見たとき、強烈な官能を感じる人がいます。

一方、

「確かに美しい人だ」

で終わる人もいます。

美しいと認識することと、その美しさによって強く心や身体を動かされることは同じではありません。

しかし、美貌に強く反応する人にとって、美しい人は圧倒的な魅力になり得ます。

もっと見たい。

近くに行きたい。

話してみたい。

触れたい。

自分を好きになってほしい。

単に「美しい」と感じた段階なら、まだ視覚的な快楽だけかもしれません。

しかし、

「もう少しこの人を見ていたい」

「この人と話したい」

となった時点ですでに、

その人が登場する次の時間

を欲し始めています。

その欲求がさらに大きくなれば、

「この人を愛しながら暮らす人生」

まで欲しくなることもあります。

一方、美貌への官能的な反応が弱い人には、美貌はそこまで大きな力を持ちません。

ここでも、魅力は属性だけでは決まりません。

受け取る側との組み合わせによって変わります。

キャバクラやクラブの「良客」と、女性が素で好きになる男性は別

この種の恋愛コンテンツで、私が特に気になることがあります。

キャバクラやクラブなどで働いた経験をもとに、

「女性から好かれるオジサンには、こういう特徴があります」

と語る場合です。

キャバクラやクラブで女性から「素敵なお客さん」と思われる男性像には、ある程度の共通点があるでしょう。

たくさん利用してくれる。

指名してくれる。

無理な要求をしない。

説教しない。

会話が楽である。

女性や店に面倒を起こさない。

こうした男性が接客する女性から好感を持たれるのは、むしろ当然です。

しかし、ここで注意しなければならないことがあります。

キャバクラやクラブで「良い客」として好かれる男性と、その女性が私生活で素の状態になったときに恋愛相手として好きになる男性は、同じではありません。

キャバクラやクラブは、女性が客に快適な時間を提供する仕事です。

その場では、

「この男性と接していると仕事がしやすい」

「この男性は自分の売上にも貢献してくれる」

「この男性なら安心して接客できる」

という評価が、「素敵なお客さん」という感覚につながります。

それ自体は本物の好感でしょう。

しかし、その好感がそのまま、

「休日にも会いたい」

「触れたい」

「恋人になりたい」

「この人がいるこれからを生きたい」

という恋愛感情を意味するわけではありません。

違いは、代わりが利くかどうかを考えると分かりやすいです。

非常に感じがよく、よく店を利用してくれる客が来なくなったとしても、同じように感じがよく、同じように店を利用してくれる別の客が現れれば、仕事上の役割はかなり代替できます。

必要なのは、その男性本人だけではなく、「良客」が果たしていた機能だからです。

恋愛では、しばしばここが変わります。

同じくらい優しく、同じくらい経済的に余裕があり、同じくらい会話が楽しい別の男性が現れても、

「では、この人でいい」

とはならなくなります。

その男性本人がいる次の時間、その男性本人がいるこれからを欲しくなります。

もちろん、キャバクラやクラブで知り合った客を女性が本当に好きになり、交際や結婚へ進むこともあります。

人間にはばらつきがあります。

最初は「良い客」だった男性が、やがて

「この人がいるこれからを生きたい」

と思う相手へ変わることもあるでしょう。

しかし、それは、

「良客として好かれること」と「恋愛対象として好きになられること」が同じだからではありません。

前者から後者へ変化したのです。

したがって、キャバクラやクラブで多くの中高年男性を接客した経験があったとしても、

「店で女性から好かれる中高年男性」と「若い女性が私生活で恋愛相手として選ぶ中高年男性」を同じものとして扱うことはできません。

ここを混線させたまま「女性心理」や「モテるオジサンの特徴」を語れば、観察している現象そのものが違ってしまいます。

では「モテる人」とは何なのか

ここまで考えると、「モテる人」という言葉の意味も少し違って見えてきます。

清潔感。

容姿。

会話力。

経済力。

服装。

聞き上手。

そうした要素に点数を付け、その合計点が高い人がモテるわけではありません。

私は、

モテる人とは、多くの人の中にもともとある「こんなふうに生きたい」という未来の断片と、自分の存在が結びつきやすい人ではないか

と考えています。

本人が意図的に何かを提示する必要はありません。

むしろ普通は何も提示していません。

接した相手の側で、

「この人と一緒にいるのは、なんだかいい」

「もう少しこの人と一緒にいたい」

「この人がいるこれからを生きてみたい」

という感覚が立ち上がります。

それを多くの人に感じさせる人を、私たちは「モテる」と呼んでいるのではないでしょうか。

「役に立つ人」と「好きな人」は違う

ここは誤解しやすいところです。

未来と結びつく人を好きになると書くと、

「役に立つ人間を選んでいるだけではないか」

とも読めます。

しかし、そうではありません。

第一志望企業への入社を助けてくれる非常に優秀な就職エージェントがいたとします。

そのエージェントは、学生が望む未来を実現するうえで極めて有益です。

しかし学生が望んでいる未来は、

「そのエージェントと一緒に生きる未来」

ではありません。

エージェントは未来を実現するための手段です。

恋愛では違います。

好きになった人は、

未来を実現するための道具ではなく、その人自身が欲しい未来の一部になります。

だから簡単には代わりが利かなくなります。

「モテるために○○する」は、そもそも操作

この仮説を逆向きに使えば、理屈の上では「モテる方法」も作れます。

気を引きたい人が、

何をしているときに楽しそうなのか。

どんな生活に惹かれているのか。

何を見たときに心が動くのか。

何を嫌っているのか。

本人にもまだ十分には見えていない未来の断片を探ります。

そして、

「この人がいれば、その未来を生きられそうだ」

と思わせるように振る舞います。

強力かもしれません。

しかし、それは操作です。

そもそも、

「モテるために○○する」

という時点で、相手の反応を変えることを目的に、自分の行動を設計しています。

身だしなみを整える程度なら、ごく普通の自己呈示です。

しかし、相手の夢、不安、孤独、承認欲求まで読み取り、

「その未来には自分が必要だ」

と思わせるように自分を演出すれば、かなり強い対人操作になります。

しかも、入口だけを操作できても、実際の本人が演出した人物と違えば、その矛盾はいずれ現れます。

強く惹かれることと、その関係が実際にうまく続くことも別です。

だから恋愛ノウハウの「成功」を語るのであれば、本来は3年後、5年後まで見なければ分かりません。

結局、

その人の未来に自然に結びつくかどうかは、最後にはテクニックより、その人が実際にどんな人間で、どんな人生を生きているかで決まります。

「モテる技術」を高度化し続けると、結局また恋愛の入口だけを最適化する話へ戻ってしまうのです。

この考えに近い心理学はある。しかし同じ理論ではない

心理学には、人が「将来なり得る自分」「なりたい自分」「なりたくない自分」といった未来の自己像を持つという possible selves の考え方があります。

また恋愛研究には、パートナーとの関係を通じて本人が理想とする自己へ近づいていく過程を扱った Michelangelo phenomenon という研究もあります。

今回の仮説と、まったく無関係な話ではありません。

しかし、これらの研究が、

「人は、自分の中にある無自覚な未来の断片と重なる人物を好きになる」

と証明しているわけではありません。

今回書いているのは、既存研究と接点はありますが、私自身が人間を見ながら考えた仮説です。

だから、

「心理学的に証明されています」

とは書きません。

自分の経験に心理学の用語を添えただけで、自分の仮説を学問的な一般法則へ格上げしてしまえば、この記事の冒頭で批判したことを自分でやることになります。

人はスペック表に恋をするのではない

清潔感。

聞き上手。

服装。

経済力。

容姿。

LINEの返信速度。

褒め方。

どれにも意味はあるでしょう。

しかし、それらを一つずつ積み上げれば「モテる人」が完成するとは、私は思いません。

人の中には、本人にもまだ言葉になっていない、

「こんなふうに生きたい」

「こんな時間をもっと生きたい」

という未来の断片があります。

その時間の長さは数十年かもしれません。

数時間かもしれません。

誰かと出会ったとき、その人の存在がその未来と重なります。

ときには、その人との出会いによって、未来そのものが大きく広がります。

そして、

「この人がいる次の時間を生きたい」

と思います。

自分の中にまだ言葉になっていない未来があり、そこにその人が自然に登場したとき、人はその人を好きになるのです。


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▶筆者紹介は『理屈コネ太郎の知ったか自慢|35歳で医師となり定年後は趣味と学びに邁進』

作成者: 理屈コネ太郎

元消化器内視鏡医・産業医。現在は社会・人間行動・構造分析をテーマに執筆活動を行う。定年退職後はヨット・ボート・クルマなど趣味と構造研究の日々を過ごす。

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