シニアの恋愛があまりおすすめできない理由|「その人がいる未来」を欲することの毒性

シニアになってから誰かを好きになる。

その人と話したい。

一緒に食事をしたい。

また会いたい。

どこかへ遊びに行きたい。

そうした気持ちは、セカンドライフを鮮やかにしてくれます。

好きな人と友人として食事をしたり、遊びに行ったり、同じ活動を楽しんだりする。好意がある以上、少々切ないこともあるでしょう。それでも、その切なさまで含めて人生のよいスパイスになることがあります。

一方、互いの好意を確認して、

「では、付き合いましょう」

という恋愛モードへ入ると、関係の性質が変わります。

ここでいう恋愛モードとは、相手を特別な存在として位置づけ、時間、休日、予定、交友関係、さらには将来についてまで、互いに一定の優先順位を与え合う関係です。

私は、シニアがこの恋愛モードへ入ることをあまりおすすめしません。

恋愛には、人の未来を特定の一人へ強く結びつける力があるからです。

恋愛とは「その人がいる未来」を欲すること

以前、

『モテる方法』コンテンツが薄い理由|人は『その人がいる未来』に惹かれる

という記事を書きました。

そこで私は、

人を恋愛的に好きになるとは、「その人がいる次の時間」を欲することではないか

と考えました。

もう少し話したい。

明日も会いたい。

週末も一緒にいたい。

来年も一緒に旅行したい。

この先も、この人と一緒にいたい。

時間の長さは数時間でも数十年でも構いません。

相手そのものを求め、その人が登場する次の時間まで欲しくなったとき、その人は自分の未来の一部になります。

シニアになると、この恋愛の性質が少し重い意味を持ちます。

シニアにとって、これから自由に使える未来そのものが若い頃より希少だからです。

ここに、シニアの恋愛が持つ毒性があります。

毒性とは、残された未来を一人へ集中させる力

好きになると会いたくなります。

会えば、また会いたくなります。

予定を合わせ、旅行を考え、相手の都合が自分の予定へ入り、やがてその存在が将来の予定へ組み込まれていきます。

恋愛のこの力は、若い頃には人生形成の大きな原動力になります。

若い二人なら、恋愛を起点にして、これからの生活そのものを一緒に作っていけます。

シニアの場合、すでに何十年もかけて築いてきた生活があります。

そこへ強い優先順位を持つ一人が入ることになります。

シニアには、すでに生活生態系がある

ここでは、家族、友人、仕事上のつながり、趣味、地域との関係、学び、遊び、一人で楽しむ活動など、自分と周囲の世界との相互関係全体を生活生態系と呼びます。

その厚さには個人差があります。

ここでいう厚さとは、その人が社会や周囲の世界とどれほど多様な相互関係を持っているか、という意味です。

セカンドライフでは、この生活生態系の作られ方がファーストライフと大きく変わります。

職業人として生きていた頃には、会社へ行けば同僚がいます。取引先があります。仕事上の役割があります。子育てをしていれば親としての役割があります。

社会との関係のかなりの部分が、仕事や家庭を通じて与えられていました。

セカンドライフでは、自分で選べる割合が大きくなります。

誰と付き合うか。

どこへ行くか。

何をするか。

どの集団に参加するか。

どの世界と関わるか。

自分が好きな世界へ、自分から埋め込まれに行くことができる。

ここにセカンドライフの大きな自由があります。

恋愛モードは生活生態系を再編する

そこへ恋愛モードが入ってきます。

恋人は、普通の友人よりも高い優先順位を持ちやすい存在です。

休日を一緒に過ごす。

旅行へ行く。

相手の予定に合わせる。

自分も相手から優先される。

将来の予定にも相手が入る。

こうして恋人が生活の中心へ近づくほど、それまで中心近くにあったものは相対的に外側へ動きます。

友人と過ごす時間。

趣味。

一人で遊ぶ時間。

地域や社会との関わり。

自分で選んで参加していた様々な世界。

恋愛モードは、セカンドライフに現れるプチブラックホールのようなものです。

その重力源は、

「恋人なのだから、この人を優先したい」「自分も優先されたい」

という恋愛モード特有の期待です。

時間だけでなく、注意や感情まで少しずつ吸い寄せていきます。

シニアは、ようやく自分の時間を自分の好きな世界へ配分できる時期に入っています。

そこで一人の相手が生活の中心へ入れば、せっかく能動的に作ってきた生活生態系そのものが再編されます。

これが第一の理由です。

二人を中心とした新しい生活生態系を育てる時間も少ない

若い二人なら、恋愛によって以前の生活が変わっても、その後に二人を中心とした新しい世界を作れます。

一緒に住む。

新しい友人を作る。

新しい土地へ行く。

家庭を作る。

新しい社会的役割を持つ。

そうして何十年もかけて、二人を中心とした新しい生活生態系を育てていけます。

シニアにも、新しい友人や新しい趣味はできます。

ただし、使える暦上の時間と体力には若い頃より大きな制約があります。

恋愛によって既存の世界を縮小し、二人を中心とする新しい世界へ移行するには、それなりの年月が必要です。

その途中で健康状態や体力、生活条件が変わることもあります。

恋愛による再編がうまくいかなかった場合には、以前の人間関係や活動を再び組み立てるためにも時間が必要です。

再編にも時間がかかり、修復にも時間がかかる。その両方に使える未来が若い頃より少ない。

これが第二の理由です。

年齢差が大きければ、二人が差し出す時間の意味も違う

シニア男性の恋愛話では、

「若い女性にモテたい」

「若い彼女が欲しい」

という願望もよく見かけます。

年齢差の大きな恋愛には、もう一つの時間問題があります。

たとえば65歳の男性と30歳の女性が5年間交際すれば、暦の上では双方が同じ5年間を使います。

しかし、

65歳から70歳の5年間と、30歳から35歳の5年間では、人生の中で持つ意味が違う場合があります。

30代前半には、人によっては結婚、出産、仕事、住む場所など、その後の人生を大きく左右する選択が集中します。

さらに、同じ

「この先も一緒にいたい」

という言葉でも、65歳の人が思い描く未来と30歳の人が思い描く未来では、その時間幅や内容が大きく違うことがあります。

年長者との恋愛に使う数年間は、若い側にとって別の人生を選択できた数年間でもあります。

だから年齢差の大きな恋愛では、自分が得る幸福だけでなく、相手が自分との未来へ差し出している時間の意味まで考えた方がよいと思います。

これが第三の理由です。

恋愛は時間だけでなく、注意まで占有する

第四の理由は、恋愛そのものの消費量です。

恋愛モードでは、会っている時間だけが使われるわけではありません。

次にいつ会うかを考える。

連絡を待つ。

相手の予定を気にする。

旅行を計画する。

相手の感情を考える。

嫉妬する。

喧嘩したことを考え続ける。

恋愛は、予定だけでなく注意を持続的に占有する活動です。

一方、セカンドライフには恋愛以外にも使い道があります。

海へ出る。

山へ行く。

クルマを走らせる。

スポーツをする。

旅をする。

新しい技術を覚える。

文章を書く。

友人と遊ぶ。

一人で何かに没頭する。

ファーストライフでは十分に使えなかった自分の時間を、ようやく好きなものへ振り分けられる時期です。

その限られた時間、体力、注意を、恋愛へどこまで配分するのか。

私はここをかなり重く見ています。

恋愛しないことにも機会費用はある

残された時間が少ないからこそ、好きな人と一緒に過ごした方がよい。

そう考える人もいるでしょう。

実際、恋愛しなかったために失われる未来もあります。

「あの人と一緒に過ごしていたら、もっと楽しかったかもしれない」

という未来です。

シニアの恋愛には、両方向の機会費用があります。

恋愛すれば、ほかの未来を使います。

恋愛しなければ、その人と過ごせた未来を使わずに終わります。

シニアでは、その選択のあとに残される時間そのものが短くなっています。

だからこそ、恋愛によって得られる楽しさだけでなく、そのために再編される自分と相手の未来まで見た方がよいと思っています。

好きになったあとにも、いくつかの関係の置き方がある

誰かを好きになる。

その人と食事へ行く。

一緒に遊ぶ。

同じ趣味を楽しむ。

そんな関係にも十分な喜びがあります。

好きなまま友人でいることには、切なさもあります。

相手が別の人を好きになれば嫉妬するでしょう。

友人という立場が、いつか恋人になるための待機場所になれば、双方の時間を拘束することもあります。

一方で、恋人でありながら、それぞれの生活を大きく混ぜずに付き合う形もあります。

恋愛感情を持ったあと、相手を自分の未来のどこへ置くかには複数の選択肢があります。

感情が生まれた瞬間から、相手を人生の中心へ置くところまでを一気に進める必要はありません。

シニアでは、この間に一度立ち止まって考える価値があります。

相続や年金など、さらに現実的な問題もある

シニアの恋愛には、今回扱ったものとは別に、さらに現実的な問題もあります。

交際が結婚へ進めば、

財産。

相続。

住居。

年金。

介護。

双方の子どもや親族との関係。

など、二人だけでは完結しない問題が生じます。

今回の記事では、その手前にある、

恋愛モードそのものが、自分と相手の未来をどう再編するか

に論点を絞りました。

制度的な問題まで重なれば、シニアの恋愛が人生へ与える影響はさらに大きくなります。

シニアの恋愛があまりおすすめできない理由

恋愛には、大きな楽しさがあります。

好きな人がいるだけで、日常が少し鮮やかになります。

その一方で恋愛モードには、残された未来を特定の一人へ集中させる力があります。

既存の生活生態系が再編される。

二人の新しい世界を育てるために時間を使う。

年齢差があれば、相手の未来にも大きく入り込む。

そして恋愛そのものが、時間、体力、注意を継続的に消費する。

シニアでは、こうして再編した人生をもう一度組み直すために使える未来も若い頃より少なくなっています。

恋愛の楽しさに対して、残された未来を一人へ集中させる毒性と、その後の再構築に使える時間の短さを、私はかなり重く見ています。

だから私は、シニアが恋愛モードへ入ることをあまりおすすめしません。

シニアの恋愛は、

「楽しいから、まあいいや」

で踏み込むには少し大きすぎる出来事です。

それでも恋愛モードへ入るなら、

この人を、自分の残された未来のどこに置くのか。

そこまで考えてからでも遅くない。

私は、そのくらい慎重でちょうどよいと思っています。


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作成者: 理屈コネ太郎

元消化器内視鏡医・産業医。現在は社会・人間行動・構造分析をテーマに執筆活動を行う。定年退職後はヨット・ボート・クルマなど趣味と構造研究の日々を過ごす。

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