長続きしない恋愛や人間関係には、ひとつの共通点があるように思います。
それは、相手の好意を「してくれたら嬉しいもの」から「して当然の待遇」として見るようになることです。
もし自分の恋愛や人間関係が、なぜか短い期間で終わることが多いなら、この変化が自分の中で起きているかを考えてみる価値があります。
相手が自分のために時間を使ってくれた。
予定を調整してくれた。
面倒を引き受けてくれた。
お金を使ってくれた。
ある場面で自分を優先してくれた。
こうしたことを好意を持つ人にしてもらったら、嬉しいものです。
ところが、自分の中でいつの間にか、
「してくれた。嬉しい」
だったものが、
「それくらいしてくれるはず」という、少し身勝手な期待
に変わることがあります。
ここで起きているのは、その行動をどう受け取るかという自分の側の基準の変化です。
「してほしい」が「して当然」に変わる
人は、大切にされたいと思います。
好意を持つ相手なら、なおさらです。
「自分を気にかけてほしい」
「自分を大切にしてほしい」
「できれば、自分を優先してほしい」
まず、自分の中にこうした欲求があります。
関係が深くなれば、
「この人なら、自分を大切にしてくれるだろう」
という期待も生まれます。
その期待が強くなると、
「この人なら、こうしてくれるはずだ」
となります。
さらに進むと、
「自分を大切にしているなら、こうするべきだ」
となります。
流れとしては、
してほしい
↓
してくれるだろう
↓
してくれるはず
↓
して当然
です。
出発点にあるのは、自分の欲求です。
自分が望み、自分が期待し、その期待を自分の中で当然のものへ変えていきます。
そして最後には、自分の中で作った基準を使って、相手の行動を評価するようになります。
人間関係の前提と、好意による上乗せは分けて考える
人間関係には、最初から求めてよいものがあります。
約束を守る。
相手を尊重する。
互いの安全を大切にする。
負担を公平に扱う。
こうしたものは、関係を続けるための基本条件です。
その上に、
自分のために予定を変える。
自分を優先する。
時間やお金を多く使う。
面倒なことを引き受ける。
といった、相手の意思による好意が加わります。
今回考えたいのは、この上乗せされた好意まで、自分の中で「して当然」に変わっていく過程です。
上乗せだった行為が、長く付き合ううちに二人の関係の前提へ変わることもあります。
同じことが繰り返され、双方がそれを二人の関係の一部として受け止めるようになれば、それは二人の前提になっていきます。
ここで大切なのは、
前提になるのは互いの了解ができたときであり、自分の期待が強くなったときではない
ということです。
好意が二人の前提へ変わる道と、自分の中だけで好意を当然視する道は、別のものです。
「してくれたら嬉しい」が「してくれて当然」になる
最初は、
してくれた → 嬉しい
してくれなかった → それまで
です。
時間を使ってくれたら嬉しい。
予定を調整してくれたらありがたい。
自分を優先してくれたら、その人の気持ちを感じます。
ところが、
「してくれるはず」
という期待が自分の中で当然になると、
してくれた → 当然
してくれなかった → 不満
に変わります。
つまり、
してもらえればプラスだったものが、してもらえてようやくゼロになる。
自分の中で、相手を評価する基準が上がったのです。
以前なら嬉しかった行動が、
「これくらいは普通」
になります。
そして、自分が期待した行動が得られなかったときに、
「なぜしてくれないのだろう」
という不満が残ります。
ここで見てみたいのは、
自分の期待が、いつの間にかどこまで強くなっていたのか
ということです。
相手からの返信が、自分の「順位」の話に変わる
たとえば、自分は今週末に会いたいと思ったとします。
相手にはすでに予定があり、こんな返信が来ました。
「今週は予定があるから難しい。来週なら会えるよ」
相手が伝えているのは、今週の予定と、来週なら会えるということです。
ところが、その返信を読んでいるうちに、自分の中で話が変わることがあります。
「会いたければ、予定くらい調整してくれるのでは」
「予定を変えてまで会いたい相手ではないということか」
そして最後には、
「自分はこの人にとって、どれくらい優先順位が高いのだろう」
という問題になります。
同じことは、行きたい場所についても起こります。
自分が、
「ここに一緒に行きたい」
と誘った。
相手から、
「そこはあまり好みじゃないから、今回はいいかな」
と返ってきた。
すると、
「自分を本当に大切に思っているなら、それくらい合わせてくれてもいいのでは」
という気持ちが浮かぶことがあります。
さらに強くなれば、
「私を本当に大切に思っているなら、それくらいしてくれるはずでしょ」
という言葉になります。
このとき、自分の関心は、相手の予定や好みから、
相手が自分のためにどこまで予定や好みを変えるか
へ移っています。
そして、その変化量を使って、
自分が相手の中で何番目なのかを測る
ようになります。
相手の返信を読んでいたはずが、いつの間にか自分の順位表を読んでいるのです。
「自分はそこまで大切ではない」が「相手は自分を大切にしていない」に変わる
人は、いろいろなものを大切にして生きています。
仕事、家族、友人、自由、趣味、信念、時間、お金、自分自身の生活。
その中に、自分もいます。
ある場面で相手が自分の希望より別のものを優先したなら、その場面では、その人にとってそちらの方が大切だったということです。
自分の価値を相手の行動で確かめていると、
「自分は、その人に予定や好みを変えさせるほど大切ではなかった」
と感じます。
これは少し傷つきます。
すると自分の中で、
「自分はこの人にとって、そこまで大切ではなかった」
という受け止め方が、
「この人は自分を十分に大切にしていない」
へ変わることがあります。
自分が相手の中でどの位置にいるかという問題が、相手の愛情の問題へ置き換わります。
自分の中で起きた落胆を、相手の愛情不足として受け取るようになります。
ここで、
「自分は何を期待していたのか」
を見ると、自分の中で起きた変化が見えやすくなります。
自分は相手を見ているのか、それとも相手の中の自分を見ているのか
愛されたいと思えば、
「相手が自分をどう扱うか」
が気になります。
どれくらい優先してくれるか。
どれくらい時間を使ってくれるか。
どこまで自分に合わせてくれるか。
一方で、相手を大切に思っているときには、
「この人は何を大切にしているのだろう」
ということも気になります。
何を望んでいるのか。
何を守りたいのか。
どう時間を使いたいのか。
どう生きたいのか。
ここには、かなり大きな違いがあります。
自分は相手そのものを見ているのか。
それとも、相手の中に映る自分を見ているのか。
自分を優先してもらい、そのことで自分の価値を確かめたくなったとき、自分の関心は少しずつ、
「この人は何を大切にしているのだろう」
から、
「この人は自分をどれくらい大切にしているのだろう」
へ移ります。
相手を見ていたはずが、いつの間にか相手の中に映る自分を見続けるようになります。
好意を「当然の待遇」として見ると、感謝が減る
相手が自分のために何かをしてくれたとき、
「自分のためにしてくれた」
と思えば、嬉しいし、感謝します。
そして、
「自分も何かしてあげたい」
という気持ちも生まれます。
ところが、
「自分を大切にしているなら、これくらいしてくれるはず」
と思っていると、その行動は、
自分の期待どおりのことをしてもらった
と評価されます。
さらに、
「これくらいして当然」
まで進むと、
相手の好意を、自分が本来受け取るべき待遇として見る
ようになります。
以前なら、
「ここまでしてくれた。ありがたい」
と思っていたことが、
「これくらいは普通」
になります。
だから、
相手の好意を、自分が本来受け取るべき待遇だと思った瞬間、その好意に対する感謝は消えていきます。
感謝が減れば、「自分も返したい」という気持ちも弱くなる
相手が自分のために何かしてくれた。
それをありがたいと思えば、
「今度は自分も何かしてあげたい」
と思います。
大切にされたことが嬉しいので、自分も相手を大切にしたくなります。
ところが、
「してもらって当然」
と思えば、その行動は自分への好意として大きく評価されません。
当然の待遇を受け取ったという感覚になるからです。
たとえば、その場の会計を相手が持ってくれたとします。
「ありがとう。次は自分が出そう」
と思えば、自分は相手の行動を好意として受け取っています。
一方、
「自分を大切に思っているなら、払ってくれて当然」
と思えば、相手が払ったことは自分の中の基準を満たしただけになります。
そして、払ってくれなかったときだけ不満が残ります。
もし自分の人間関係で、
相手がしてくれたことより、してくれなかったことばかりが目につく
ようになっているなら、自分の中で「してくれるはず」が増えているのかもしれません。
「優先された嬉しさ」と「思ってくれていた嬉しさ」
人間関係には、もうひとつ別の嬉しさがあります。
相手の何気ない仕草や行動の中に、自分への配慮を感じたときです。
以前話したことを覚えていた。
自分が困らないように、自然に少し動いてくれた。
何かを見て、自分を思い出してくれた。
本人には、配慮したという意識すらないかもしれません。
それでも、
「この人の頭の中に、自分の存在があったんだな」
と感じると嬉しいものです。
そこで感じているのは、
相手の日常の中に、自分が自然に存在していた
という嬉しさです。
人間関係の嬉しさには、
優先された嬉しさ
と、
思ってくれていた嬉しさ
があります。
前者では、自分が相手の中でどの位置にいるかを意識します。
後者では、自分がその人の中に存在していること自体を嬉しく思います。
相手には仕事もあり、家族もあり、友人もあり、趣味もあります。
その中に自分もいる。
それを嬉しいと思えるなら、自分が何位なのかを何度も確かめる必要は小さくなります。
自分の中の基準を、ときどき確かめてみる
相手が自分を優先してくれた。
時間を使ってくれた。
予定を調整してくれた。
面倒を引き受けてくれた。
こうしたことを好意を持つ人にしてもらったら、嬉しいものです。
その嬉しさは、
相手が自分の意思でしてくれた
ことから生まれます。
ところが、
「してくれたら嬉しい」
が、
「してくれるはず」
に変わり、
さらに、
「して当然」
に変わることがあります。
そのとき、自分が見直したいのは、
自分の中にどんな期待ができているか
です。
以前は嬉しかったことを、今は当然だと思っていないか。
相手がしてくれたことより、してくれなかったことばかり数えていないか。
自分が望んだことを、いつの間にか相手がするべきことに変えていないか。
相手から返信を受け取ったとき、自分は書かれている内容を読んでいたのか。
それとも、その文章から自分の順位を読み取ろうとしていたのか。
ここに気づくだけで、人間関係の見え方はかなり変わります。
まとめ
人は、大切にされたいと思います。
好きな人なら、自分のことを大切に思ってほしいとも思います。
そこから期待が生まれます。
そして、その期待が強くなると、
「してほしい」
↓
「してくれるだろう」
↓
「してくれるはず」
↓
「して当然」
と変わることがあります。
この過程で、
してもらえれば嬉しい
だったものが、
してもらえて当然
になります。
そして、
してもらえなかったことだけが不満として残る
ようになります。
ここで起きているのは、
相手の行動を評価する、自分の基準の変化
です。
相手の好意を、自分が本来受け取るべき待遇として見るようになれば、その好意への感謝は小さくなります。
感謝が小さくなれば、自分も相手に何か返したいという気持ちも育ちにくくなります。
そして自分の関心は、
「この人は何を大切にしているのだろう」
から、
「この人は自分をどれくらい大切にしているのだろう」
へ移っていきます。
もし恋愛や人間関係がいつも似たところで苦しくなるなら、自分の中にある「してくれるはず」を探してみると、見えてくるものがあるかもしれません。
自分の中に相手がいて、相手の中にも自分がいる。
そのこと自体を嬉しく思える。
人間同士の好意や愛情は、そういう関係の方が育ちやすいのだと思います。
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