トンデモ健診クリニック勤務体験|医療経営と現場が乖離すると何が起きるか

医療実務を知らない人たちがクリニックを運営するとどうなるのか

『理屈コネ太郎』がこれまで勤務した医療機関の中には、

「これは、なかなか凄いところに来てしまったな」

と思ったクリニックもありました。

今回紹介するのは、企業健診を中心とする、ある健診クリニックでの勤務体験です。

問題だったのは、単に経営者が医療従事者ではなかったことではありません。

医療現場での実務経験をほとんど持たない人たちが実務上のマネジメントを担い、しかも現場の医師、看護師、診療放射線技師、臨床検査技師、医療事務などの助言をあまり聞かなかったことです。

医療には法律や明文化されたルールがあります。

それだけでなく、

  • 誰に何を確認するのか
  • どの情報をいつ伝えるのか
  • 何を記録として残すのか
  • 検査結果をどう扱うのか
  • どの業務を誰に任せてよいのか
  • どの程度の精度を担保しなければならないのか

といった、長年の実務によって形成された大量の手順があります。

それを知らない人たちが、営業会社と同じ感覚で医療機関を動かそうとすると何が起こるのか。

私は、その現場をかなり間近で見ることになりました。


そもそも、なぜ「脱法的」に見えたのか

最初に、日本の医療機関の開設と経営について簡単に整理しておきます。

日本では、医療機関の開設者には非営利性が求められています。

厚生労働省も、医療機関の開設者は原則として営利を目的としない法人または医師個人などであり、開設者自身が実際の開設・経営の責任主体であることを求めています。単に名義だけを持ち、実際には別の第三者が経営するような状態を前提とした制度ではありません。

また、医療法人と関係のある特定の営利法人の役員が、その医療法人の理事長や役員として経営に参画することについても、厚生労働省の運営管理指導要綱では、非営利性の観点から適当ではないとされています。

したがって、

株式会社を作って、普通の子会社と同じように医療法人を支配する

という構造は、少なくとも医療法人制度が想定する典型的なガバナンスとは相性がよくありません。

ただし、ここは重要です。

私は行政庁でも裁判所でもありません。

したがって、これから書く仕組みが法的に違法だった、脱法行為だった、と断定するつもりはありません。

ただ、当時その組織の内部で働いていた私には、

「形式上の医療法人とは別に存在する営利会社が、実務上かなり強い影響力を持っているように見える」

構造でした。

それで当時の私は、

「なんだか脱法の匂いがするなあ」

と思ったわけです。


医療とは別の事業で成功していた「医師社長」

この話には、まず一人の人物が登場します。

以下、「医師社長」と呼びます。

医師社長は、医療とは別の事業を経営する会社――以下「KK」とします――の経営者でした。

KKは営業力、とりわけ架電営業に強く、多数の企業との取引関係を持っていました。

そして興味深いことに、医師社長自身も医師免許を持っていました。

ただし、私が当時把握していた範囲では、通常の臨床医が受ける臨床研修を修了しておらず、臨床医として活動してきた人物ではありませんでした。

現在の医師法では、診療に従事しようとする医師には2年以上の臨床研修が義務づけられています。厚生労働省も、臨床研修を修了せず診療に従事することは医師法第16条の2に反すると説明しています。

したがって、元の記事で私が書いた、

「医師免許はあるが、注射一本打てないし、処方箋一枚書けない」

という表現は少し雑でした。

正確には、

医師免許は持っているが、少なくとも私が通常イメージする臨床医としての研修と実務経験を持つ人物ではなかった

ということです。

なお、公的医療保険による診療を行うには、医師免許とは別に保険医登録も必要です。


医師社長が考えた健診クリニックの仕組み

医師社長が考えた事業モデルは、発想としては非常に分かりやすいものでした。

KKには多数の取引企業があります。

ならば、

その企業の従業員健診を自前の健診クリニックで引き受ければよい。

営業会社が既に持っている顧客ネットワークへ、医療サービスを追加するわけです。

これがうまくいけば、健診クリニックの集客コストはかなり下げられるでしょう。

企業側も、

「いつも取引している会社から健診までまとめて案内してもらえる」

のであれば便利かもしれません。

私は、このアイデアそのものを聞いたときには、

「なるほど。これは賢いかもしれない」

と思いました。


医療法人を用意し、医師を理事長にする

しかし、KKそのものが普通の事業会社と同じように医療法人を経営するわけにはいきません。

そこで既存の医療法人――以下「医療法人A」とします――を利用し、新しく健診クリニックA´を開設するという形になっていました。

医療法人Aには、資格要件を満たす別の医師が理事長として置かれていました。

形式上は、

医療法人A

健診クリニックA´

という通常の医療法人と診療所の関係です。

ところが、私が実際に働いて感じた組織の指揮命令関係は、それほど単純ではありませんでした。


KKの人材がクリニック運営の中枢に入ってきた

医師社長は、KKやその関係会社で働いていた自分の部下たちを、医療法人Aや健診クリニックA´のマネジメント担当者として配置していました。

つまり、現場では、

  • 人員の手配
  • 医師の手配
  • 看護師等の配置
  • 備品購入
  • スケジュール管理
  • 健診業務の設計
  • 関係企業との調整

などに、医療法人の外側にあるKK出身のスタッフが深く関与していました。

彼らの人事や経済的な基盤も、もともとの所属会社や医師社長との関係に強く依存しているように私には見えました。

そうなると当然、

形式上の医療法人理事長やクリニック院長と、実務上強い影響力を持っている人物が一致しない

状況が生まれます。

私が「脱法の匂い」と感じたのは、まさにこの部分でした。

繰り返しますが、この構造が法的にどのような評価を受けるかを私は判断できません。

ただ、厚生労働省が医療機関について、名義上ではなく、誰が実際の開設・経営の責任主体なのかを確認する考え方を示している理由は、この経験をすると非常によく分かります。


問題は「巧妙な仕組み」より、現場運営だった

ところが、私が本当に驚いたのは、このガバナンス構造そのものではありませんでした。

もっと身近な問題でした。

現場マネジメントのクオリティーが低かったのです。

当時クリニックの実務を取り仕切っていた担当者たちは若く、活動的で、第一印象ではいかにも「仕事ができそう」に見えました。

ところが一緒に仕事を始めると、私が経験した範囲では、

  • 約束した時間に遅れる
  • 必要な伝達を忘れる
  • 必要書類を用意しない
  • 誰に何を伝えたのか記録していない
  • 事実認識が関係者ごとに違う
  • 問題発生時に責任の所在が分からない

といったことが頻繁に起こりました。

当然、

「言った」
「聞いていない」

という論争も増えます。


医療現場では「ホウレンソウ」が安全管理そのものになる

普通の会社でも、報告・連絡・相談は重要です。

しかし医療現場では、それが単なる仕事の効率の話で終わりません。

誰かが伝達を忘れる。

検査条件が違う。

患者情報が正しく伝わらない。

必要な準備が行われない。

こうした小さなミスが、医療では受診者の安全や検査結果の信頼性に影響します。

つまり、

医療現場では事務能力も医療の品質の一部

なのです。

医師だけ優秀なら医療機関が動くわけではありません。

看護師、検査技師、診療放射線技師、医療事務、受付、総務などが、それぞれの仕事を正確にこなし、情報を受け渡して初めて医療機関は動きます。

この当たり前のことを、私はこのクリニックで改めて思い知らされました。


現場の医療従事者を信用していなかった

さらに問題だったのは、マネジメント担当者たちが、医療職からの助言をあまり信用していないように見えたことです。

ある担当者から、

「医療業界の人間は資格があるから、それにあぐらをかいている」

という趣旨の話を聞いたこともあります。

もちろん、資格を持っているだけで努力しなくなる人は、どの職種にもいるでしょう。

医療従事者だから無条件に優秀だという話でもありません。

しかし、

自分たちが経験していない領域の専門職を、最初から「非効率な旧来産業の人たち」と見なしてしまう

と、かなり危険です。

医療現場に残っている手続きには、たしかに非効率なものもあります。

一方で、一見面倒に見える手順が、事故や見落としを防ぐために存在していることもあります。

それを理解するには、ある程度現場を経験する必要があります。


「検査の質を落としてでも件数を」という発言への違和感

象徴的だった出来事があります。

ある日、医師社長が現場を視察した際、胃のX線検査について、私の記憶では、

検査のクオリティーを多少落としてでも、もっと多くの件数をこなしてほしい

という趣旨の発言をしました。

私は非常に驚きました。

もちろん経営者が検査件数を気にすること自体は当然です。

健診クリニックも組織ですから、採算を無視して運営することはできません。

しかし、

「品質を下げることで処理件数を増やす」

という発想には、医療者として強い違和感があります。

医療現場で考えるべきなのは、

品質を必要な水準に保ったまま、どうすれば効率を上げられるか

だからです。

検査時間を短縮したいのであれば、

  • 導線を変える
  • 人員配置を変える
  • 前処理を改善する
  • 機器を改善する
  • 予約方法を変える
  • 重複業務をなくす

といった方法を考える。

診断に必要な品質そのものを先に削ることは、最後まで避けたい。

この感覚の違いは、単なる経営方針の違いではなく、医療実務経験の有無から来ているのではないかと私は感じました。


医師免許と臨床医としての能力は同じではない

この経験を通じて、もう一つ改めて感じたことがあります。

医師免許を取得することと、臨床医として仕事ができることは同じではありません。

医学部を卒業し、医師国家試験に合格する。

これはもちろん大変です。

しかし、その時点ではまだ、

患者を相手に、一人の臨床医として安全に仕事を回せる

ところまでは完成していません。

そのために臨床研修があります。

厚生労働省も、臨床研修の基本理念を、一般的な診療で頻繁に遭遇する疾病などへ適切に対応できる基本的診療能力を身につけることとしています。

学生時代とは違い、研修医になると、自分の判断や行動が実際の患者へ影響します。

そこで、

  • 患者との接し方
  • 他職種との連携
  • 医療安全
  • 診療記録
  • 上級医への相談
  • 自分の能力の限界を知ること

などを身につけます。

この過程には大きな意味があります。


医療現場は医師一人では動かない

健診クリニックの話へ戻ります。

その後、現場の医療職は次々と入れ替わっていきました。

私が働き始めた頃のメンバーも、短期間でかなり少なくなりました。

後には、外部の大学医局などから医師を確保する仕組みも作られたようです。

ただし、医師を確保すれば医療機関が完成するわけではありません。

医療機関を動かすには、

  • 医師
  • 看護師
  • 診療放射線技師
  • 臨床検査技師
  • 医療事務
  • 受付
  • 総務
  • 人事
  • 清掃や設備担当者

など、多数の人間が必要です。

そして、それぞれのタスクが正しい順番でつながらなければなりません。

医師が診察室に座っているだけでは、健診は一件も完結しません。


営業力と医療機関を運営する能力は別だった

KKの営業力は、少なくとも私が見た範囲では強力でした。

顧客企業を獲得し、仕事を持ってくる能力はあった。

これは立派な能力です。

しかし、

仕事を取ってくる能力と、その仕事を安全かつ確実に遂行する組織を作る能力は別物

です。

これは医療に限らないでしょう。

営業が非常に優秀な会社でも、

  • 現場管理
  • 品質管理
  • 総務
  • 人事
  • 法務
  • 経理

が弱ければ、組織全体としては不安定になります。

医療では、そこへさらに医療安全や専門職間連携が加わります。

だから難易度は一段上がります。


「医療業界の常識」を全部古い慣習として捨てるのは危ない

私は医療業界にも改善すべき部分が山ほどあると思っています。

古い慣習もある。

意味のない上下関係もある。

非効率な手続きもある。

「昔からこうしているから」というだけで残っている業務もあります。

だから、外部の人間が入って改革すること自体には私は賛成です。

むしろ必要でしょう。

しかし、

知らないことと、不要であることは違います。

なぜその手順が存在するのかを理解してから捨てる。

そこが重要です。

医療実務を知らない人が、

「こんな手順は非効率だ」

と言って削ったものが、実は患者安全のために長年積み上げられてきた仕組みだった、ということは十分あり得ます。


このクリニックで得た最大の学び

今振り返ると、この健診クリニックの立ち上げに居合わせたことは、私にとってかなりよい経験でした。

医師としての知識とは別のことを学べたからです。

特に大きかったのが、

組織には、上質な総務職と人事職が絶対に必要だ

ということです。

以前の私は、総務や人事という仕事を、どちらかと言えば組織を補助する部門だと考えていたところがありました。

しかし違いました。

良い総務や人事は、

  • 必要な人を配置する
  • 情報を正しく流す
  • 約束を記録する
  • 部署間を調整する
  • 問題が起きる前に気づく
  • 職員間の信頼を壊さない
  • 現場が本来業務へ集中できる環境を作る

という役割を担っています。

これは組織の周辺業務ではありません。

組織そのものを成立させる仕事です。


まとめ|問題は「株式会社か医療法人か」だけではなかった

このクリニックで私が経験した問題を、

「株式会社が医療法人を支配していたから駄目だった」

と単純化するつもりはありません。

実際の法的関係について、私は断定できません。

また、企業的な経営手法を医療へ持ち込むこと自体が悪いとも思いません。

むしろ、

  • 営業
  • IT
  • 業務効率化
  • 組織マネジメント

などについて、医療業界が一般企業から学ぶべきことは大量にあります。

問題は、

医療を知らない人が、医療を知らないことを自覚しないまま、医療現場の専門職を軽視して組織を動かそうとしたこと

だったのだと思います。

営業力がある。

資金調達ができる。

経営戦略を考えられる。

それらはすべて重要です。

しかし医療機関では、それだけでは足りません。

現場の専門性を理解し、品質を守り、情報を確実につなぎ、それぞれの専門職が仕事をできる組織を作る必要があります。

医療経営と医療実務は別物ですが、両者を切り離してはいけない。

これが、私がこのトンデモ健診クリニックで働いて得た、一番大きな教訓でした。

今回は以上。


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作成者: 理屈コネ太郎

元消化器内視鏡医・産業医。現在は社会・人間行動・構造分析をテーマに執筆活動を行う。定年退職後はヨット・ボート・クルマなど趣味と構造研究の日々を過ごす。

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