なぜクルマ好き同士は「速いクルマ」の話が噛み合わないのか|理屈コネ太郎なりの“速いクルマ”論

「速いクルマ」という言葉の意味を、ラップタイム基準・官能体感基準・歴史競技基準の3種類に整理した概念図。中央にGRヤリス風のスポーツカーイラストを配置した白背景の線画アイキャッチ画像。
ラップタイム、官能、歴史。クルマ好きが語る「速いクルマ」は、実はそれぞれ異なる意味を持っています。

Contents

はじめに

「このクルマ速いよね」

クルマ好き同士では日常的に交わされる言葉ですが、実はこの「速いクルマ」という言葉、人によって全く別の意味で使われています。

ある人はサーキットのラップタイムを思い浮かべます。

ある人は加速Gや旋回Gによる身体感覚としての“速さ”を思い浮かべます。

またある人は、WRCやル・マンなどのレースにおける勝利の歴史やメーカーの競技活動を通して、そのクルマに“速さ”を感じています。

つまり、「速いクルマ」という言葉は、実際には複数の異なる意味を内包しているのです。

そのため、クルマ好き同士が「速いクルマ」について語っていても、実はお互いに別の“速いクルマ”を語っている事があります。

本記事では、理屈コネ太郎なりに、「速いクルマ」という言葉を大きく3種類に整理してみます。


① ラップタイム基準での「速いクルマ」

速さの基準がサーキットにおけるラップタイムであるならば、速いクルマとは、ドライバーの操作に対して正確かつ一貫した挙動を示し、さらにタイヤや車体の状態を正しい情報としてドライバーへフィードバックするクルマです。

このようなクルマは、ドライバーのドライビングスキルを、できる限り損失なくラップタイムへ変換してくれます。

そして重要なのは、ここでいう「速いクルマ」は、単純なスペック性能の高さとは一致しない、という点です。

たとえば、

  • 同じ入力でも毎回反応が違う
  • 限界付近の情報が曖昧
  • タイヤの接地感が不明瞭
  • 電子制御の介入が不自然
  • 荷重移動が読み取りにくい

こういうクルマは、たとえカタログスペック上は高性能であっても、ラップタイム基準では「速いクルマ」とは言い難い。

なぜなら、ドライバーが再現性をもって限界へ近づくことが出来ないからです。

ラップタイム競技とは、単純なピーク性能の競技ではありません。

ドライバーが、

  • 学習できる
  • 再現できる
  • 限界を理解できる

ことが重要な競技です。

つまり、ラップタイム基準での「速いクルマ」とは、

「ドライバーのドライビングスキルを、誠実に路面へ反映できるクルマ」

とも言えます。

そしてこれはまた、

「どんなに高性能なクルマでも、ドライバーのドライビングスキル以上には速く走れない」

という現実と表裏一体でもあります。


私自身のGRヤリスでの例

たとえば私がいつものホームサーキットをGRヤリスで走る場合、出るタイムは私のドライビングスキル相応のタイムです。

しかし、それはGRヤリスの限界ではありません。

なぜなら、プロレーサーでもあるインストラクターが同じ私のGRヤリスを運転すると、私より数秒速いタイムを、しかもかなり余裕を持って記録するからです。

つまり、

  • クルマ側の限界はもっと高い
  • ボトルネックは私のドライビングスキル側にある

という事実に嫌でも気づく事ができます。

ここで重要なのは、GRヤリスが私のスキルを誤変換したり、走行情報について誤ったフィードバックをしない”ことです。

クルマが誤変換や誤フィードバックするようだと、

  • クルマが遅いのか、
  • ドライバーが遅いのか

の判別そのものが困難になります。

しかしGRヤリスは、少なくともラップタイム基準においては、ドライバー入力を比較的正確に走りへ変換してくれるクルマであるため、「ボトルネックがどこにあるのか」が理解しやすい。

これは、ラップタイム基準における「速いクルマ」の重要な条件だと私は思っています。


高度なドライバーほど「道具として精確なクルマ」を求める

ただし、この①の「速いクルマ」像には、ひとつ注意点があります。

一般的には、

クルマの性能の方がドライバーのスキルより高い場合が多い。

つまり、多くのドライバーにとってボトルネックはクルマではなく、自分自身のドライビングスキルということになります。

そのため、どれほど高性能なクルマであっても、その性能を完全に引き出すことは容易ではありません。

しかし、極めて高度なドライビングスキルを持つドライバーでは状況が逆転します。

つまり、

ドライビングスキルの方がクルマの性能より高いという状況が起こりえます。

このレベルのドライバーは、単純な高スペックなクルマを求めません。

彼らが求めているのは、

「自分のドライビングスキルを、棄損することなく正確に路面へ反映できる道具としてのクルマ」

です。

なぜなら、彼らの領域では、クルマ側がボトルネックになり得るからです。

だから高度なドライバーほど、

  • 入力再現性
  • 情報精度
  • 限界の明瞭さ
  • 応答一貫性

を強く求めるようになります。

なお、ここで述べている「ドライビングスキルとクルマ性能の関係」は、ラップタイムを基準とする①の「速いクルマ」において特に重要になる話です。

後述する②や③では、必ずしも同じ構造にはなりません。


② 加速感・G変化・官能で感じる「速いクルマ」

しかし、「速いクルマ」はラップタイムだけではありません。

クルマ好きの中には、

  • 加速感
  • 旋回感
  • G変化
  • 振動
  • 荷重感

などを通して、“身体感覚としての速さ”を重視する人たちがいます。

この場合の「速いクルマ」とは、

「加減速や旋回における運動エネルギー変化を、ドライバーが快感として受容できるクルマ」

です。

ここで重要なのは、単純な速度やGの大きさではありません。

たとえ高い速度域であっても、

  • 接地感が希薄
  • 挙動が唐突
  • 情報が遅れる
  • クルマの動きが読めない

場合、人はそれを快感として受け取りにくい。

逆に、

  • 荷重移動
  • 接地感
  • ロール
  • ピッチ
  • 加速G

などが自然かつ連続的に身体へ伝わるクルマは、人に「速い」という快感を与えます。

そしてこの価値観では、ドライビングスキルの高低は本質ではありません。

重要なのは、

「その人が、どのような運動感覚を“気持ち良い速さ”として受け取るか」

です。

実際、私自身もGRヤリスでサーキットを走ると、

「このクルマはもっと加速して欲しい」
「もっと強烈な加速Gが欲しい」
「もっと速ければ気持ち良いのに」

と感じることがあります。

しかしそれは、

「GRヤリスではラップタイムが出ない」

という意味ではありません。

実際には、私のドライビングスキル以上のタイムをGRヤリスは十分に実現可能だからです。

つまり私は、

ラップタイム基準ではGRヤリスを「速いクルマ」だと認識しつつ、

官能・体感基準では「もっと速くあって欲しい」と感じている。

この二つを同時に成立させています。


③ 歴史・物語視点での「速いクルマ」

そしてもうひとつ、「速いクルマ」には物語としての速さがあります。

この場合、人はクルマ単体の性能だけを見ているわけではありません。

  • WRC
  • ル・マン
  • F1
  • Gr.B
  • スーパーGT
  • メーカーの競技活動
  • 勝利の歴史

などを通して、そのクルマに「速さ」を感じています。

つまりこの場合の「速いクルマ」とは、

「競技の歴史や勝利の記憶を背負ったクルマ」

です。

たとえば、現代の絶対性能だけで比較すれば、昔の競技車両より速い市販車はいくらでも存在します。

しかしそれでも、

  • GT-R
  • ランチアデルタインテグラーレ
  • Gr.Bのホモロげーションモデル
  • 歴代ポルシェ911
  • WRカー由来の市販車
  • ニュルブルクリンクでのタイム記録車種

などに対して、人は「本当に速いクルマ」という印象を抱きます。

それは単なるスペック比較ではなく、

  • 歴史
  • 勝利
  • エンジニアやレーサーたちの人間ドラマ
  • メーカーの姿勢

まで含めた“意味としての速さ”を感じているからです。


おわりに|「速いクルマ」の意味は一つではない

本記事で述べた①②③は、どれが「正しい速いクルマ」か、という話ではありません。

人はそれぞれ異なる意味で、「速いクルマ」という言葉を使っています。

ラップタイムを削ることに価値を感じる人もいれば、身体感覚としての速さに魅了される人もいる。

また、レースの歴史やメーカーの競技活動に「速さ」を感じる人もいる。

だから、サーキットで「このクルマ遅いんだよなあ」という声が聞こえてきたとき、それは必ずしも、

「ラップタイムが出ない」

という意味とは限りません。

もしかするとそのドライバーは、ラップタイムとも自身のドライビングスキルとも関係なく、クルマがもたらす快感としての

  • 官能的な速さ
  • 加速感
  • G変化
  • 身体感覚としての快楽

に対して、不満を感じているのかもしれません。

つまり、「速いクルマ」という言葉は、実際にはその言葉を発する人によって異なる意味で使われているのです。そして、どの意味も同じくらい正しく「速いクルマ」の概念を表しているのです。


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作成者: 理屈コネ太郎

元消化器内視鏡医・産業医。現在は社会・人間行動・構造分析をテーマに執筆活動を行う。定年退職後はヨット・ボート・クルマなど趣味と構造研究の日々を過ごす。

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