はじめに
職場で「メモを取りなさい」と助言されることがある。
メモには、人間がその場で処理しきれない情報を外部に保存し、あとで取り出して仕事に使う役割がある。書くことで注意を向け、情報を整理する助けにもなる。
本記事でいう「メモを取るフリ」とは、記録を蓄積して後で使う意思がないまま、相手に「きちんとメモを取っている」と思わせるために書く仕草をすることを指す。
その場では、熱心に話を聞いている印象を作れる。
しかし、そこで得られる小さな印象と引き換えに、後の信用を失うことがある。
メモを取るフリは、目先の印象と将来の信用を交換する、あまりにも割の悪い行為である。
メモ帳は人間の「外部メモリー」である
仕事では、一度に多くの情報を扱う。
手順、数字、締切、注意点、例外、担当者、判断基準。
初めて聞く内容ほど、その場ですべてを整理し、必要なときに正確に取り出すことは難しい。
そこでメモを使う。
情報をいったん外に置き、必要になったときに取り出す。時間のあるときに読み返し、意味を整理し、実際の仕事で使う。
その反復によって、外部に置かれていた情報が少しずつ自分の知識になる。
メモには、
記録する → 取り出す → 使う
という流れがある。
また、メモを取る姿には、「話を聞き、記録している」という対人的な意味もある。
実際にメモを使う人では、その姿と実質が一致している。
「メモを取りなさい」を仕草として理解すると目的が逆転する
問題は、メモが持つ対人的な効果だけを利用しようとしたときに生じる。
上司や先輩から説明を受ける。
メモ帳を開く。
ペンを走らせる。
相づちを打つ。
その場だけを見れば、真剣に説明を聞いているように見える。
そこで得られるのは、
「ちゃんと聞いていると思われる」
「真面目に見える」
という短期的な印象である。
しかし仕事は、その場で終了しない。
数日後に同じ作業が来る。以前説明された注意点が必要になる。似た問題に再び遭遇する。
本当にメモを使っている人は、以前の記録へ戻る。
「前回はこう教わった」
と、自分で情報を取り出す。
そして、その情報を次の仕事に使う。
メモを取るフリでは、この循環が生まれない。
違いは、やがて仕事の結果として現れる。
メモの実質は、その後の仕事に現れる
教える側が見るのは、説明を受けている数分間だけではない。
以前説明されたことが次の仕事に反映されているか。
似た場面で自力で対応できるようになったか。
必要なときに過去の記録を参照しているか。
こうしたことは、日々の仕事の中で自然に表面化する。
以前メモを取っていた内容を何度も尋ね、過去の記録も参照せず、同じところで繰り返し止まれば、やがてメモを取る姿そのものまで疑われるようになる。
「あのときのメモは、何のためだったのだろう」
という評価である。
その場で作った印象は、後の仕事によって検証される。
メモを取るフリは、時間が経つほど実質との差が見えやすくなるのである。
評価は「仕事を覚えない」から「信用してよいか」へ移る
さらに問題なのは、評価の対象が変わることである。
仕事を覚えるのに時間がかかれば、まず問われるのは習熟度である。
しかし、実質を伴わない姿によって「きちんと取り組んでいる」という印象を作っていたと受け取られれば、別の評価が加わる。
この人は、実質を整えるよりも、外形でその場を切り抜けることを選ぶのか。
という見方である。
ここで傷つくのは、仕事上の能力評価だけではない。
誠実さへの信用まで影響を受ける。
小さな場面で見せかけを選べば、「この程度なら外形で相手を納得させてもよい」と判断する人という評価を招く。
すると、その後の
「確認しました」
「分かりました」
「やっておきます」
という言葉まで、額面どおり受け取ってよいのか警戒されるようになる。
本人が見せたのはメモを取る仕草にすぎない。
しかし評価する側から見れば、その場を見せかけで処理するという判断そのものも、人物評価の材料になる。
メモを取るフリは、あまりにも割に合わない
その場で得ようとしているものは小さい。
真面目に見られたい。
注意されたくない。
話を聞いていると思われたい。
そのために数十秒の仕草を作る。
一方、後で失う可能性があるものは大きい。
教えたことが蓄積されない人と思われる。
理解しているように見せる人と思われる。
言葉や行動を、そのまま信用してよいのか警戒される。
その結果、上司や先輩の確認も増えていく。
「本当に分かった?」
「前にも説明したよね」
「確認した?」
本人には、自分だけ細かく見られているように感じることもあるだろう。
職場での評価には、それまでの行動の履歴が反映される。
一瞬の印象を良くするために、長期的な信用を削る。
ここに、メモを取るフリという行為の愚かさがある。
メモは未来の自分へ渡す情報である
有効なメモは、目の前にいる上司のために書くものではない。
未来の自分へ情報を渡すために残す。
明日、同じ仕事をするとき。
一か月後、似た問題に遭遇したとき。
教えてくれた人が近くにいないとき。
その瞬間に、自分で情報を取り出せるようにする。
そして何度か使ううちに、メモを見なくても仕事ができるようになる。
外部に置いた情報が、自分の知識になった状態である。
メモを取る人が評価されるのではない。教えられたことを蓄積し、次の仕事に使える人が評価されるのである。
まとめ
メモには、情報を外部に保存して再利用する機能と、「話を聞き、記録している」と相手に伝える機能がある。
実際にメモを使う人では、その二つが一致している。
メモを取るフリでは、後者だけを利用しようとする。
その違いは、次の仕事に現れる。
そして、見せかけによってその場を切り抜けていたと評価されれば、問題は仕事の習熟度から信用へ広がっていく。
メモを取る価値は、書いている姿にはない。
書いた情報を取り出し、次の仕事に使えることにある。
その場で得られる小さな印象のために、将来の信用を差し出す。
メモを取るフリという愚かさは、まさにその交換条件の悪さにある。