OM-1を持つと「プロですか?」と尋ねられる理由|カメラの存在感が与える印象

OM-1を持ち歩いていると、ときどき「プロの方なんですか?」と声を掛けられます。

もちろん私はプロ写真家ではありません。そのたびに少し恐縮するのですが、何度か同じことを経験するうちに、これは撮影者の腕前ではなく、OM-1という機材の外観や存在感が周囲へ与えている印象なのではないかと思うようになりました。

OM-1は、ボディ単体ならそれほど巨大なカメラではありません。しかしレンズを装着して手に持つと、限られた体積の中へ機能がぎゅっと詰まったような「カタマリ感」があります。

その凝集感が、カメラに詳しくない人にも、

「本格的に写真を撮る人が持つ道具」

という印象を与えるのでしょう。

この記事では、OM-1を日常的に持ち歩いて感じた、カメラの外観や存在感が撮影者への認識を変える作用について考えます。

OM-1を持っていると「プロですか?」と聞かれる

OM-1を購入して以来、私は基本的にどこへ行くにも持ち歩いてきました。

当初は撮影そのもの以上に、設定方法や操作へ習熟することが目的だったように思います。

OM-1には覚えることがたくさんあります。

実機を頻繁に手に取り、ボタンやダイヤルの配置、メニュー、設定を繰り返し操作する。

そうやって、操作体系だけでなくOM-1というカメラそのものへ身体を慣らしていきました。

そのため、街中や出先でもOM-1を手にしている時間が自然と長くなりました。

すると、ときどき、

「プロの方なんですか?」

と聞かれるようになりました。

私はプロ写真家ではありません。

それでも、カメラを見た人がそう感じる。

そこに少し興味を持ちました。

OM-1には機能が凝縮された「カタマリ感」がある

他メーカーのカメラにも同じことが言えるのでしょうが、多くの機能を限られた体積へ収めれば、機械には独特の凝集感が生まれます。

OM-1も、ボディそのものは比較的コンパクトです。

しかしレンズを装着し、グリップを握り、各種ダイヤルやボタンが並ぶ姿を見ると、単なる小型の電子機器とは違う印象があります。

私はこれを「カタマリ感」と感じています。

高密度に機能が詰まった道具らしい姿です。

カメラに詳しい人なら、そこにどんな機能が入っているのかをある程度想像できます。

一方、カメラに詳しくない人は個々の機能までは分からなくても、

「なんだか本格的な道具だ」

という印象は受け取れるのかもしれません。

それが、

「プロの方なんですか?」

という質問につながるのでしょう。

道具の外観は、使う人の役割まで伝える

道具には、それを持つ人の役割を周囲へ伝える働きがあります。

大きな望遠レンズを付けたカメラを構えている人を見れば、

「この人はいま写真を撮っている」

と周囲は理解します。

カメラの細かな性能を知らなくても、その人が撮影者であることは分かります。

OM-1も同じです。

ボディとレンズが作る凝集感によって、持っている人を「写真を本気で撮る人」として見せる力があります。

撮影者本人の経歴や腕前を周囲が知っているわけではありません。

目の前にある道具から、その人の役割を推測しているのです。

カメラは写真を撮る機械であると同時に、撮影者という役割を視覚化する道具でもあります。

機材の存在感は撮影現場そのものにも作用する

この作用は、単に「プロに見える」という話だけではありません。

大きめのカメラを構えて撮影していると、周囲の人の振る舞いが少し変わることがあります。

撮影中だと気づいて声を掛けるのを待ってくれる。

カメラと被写体の間を横切るのを少し待ってくれる。

被写体自身も、「いま撮影されている」という意識を持つ。

つまり、カメラの存在感が撮影現場の空気を少し変えます。

撮影者本人だけで写真を作っているように見えて、実際には被写体や周囲の人もその場を構成しています。

機材の外観は、その人たちへ撮影の意味を伝える役割も担っています。

「プロらしく見えること」自体が機能になる場面もある

商業撮影のような場面では、この作用はさらに重要になると思います。

クライアントや被写体から仕事を依頼された撮影者が、それらしい撮影機材を構える。

すると、

「この人がこの場の撮影を担当している」

という役割が一目で共有されます。

機材の存在感が、撮影者への信頼や撮影現場の秩序を作る一部になります。

もちろん、写真そのものの出来を決めるのは撮影者の構想や技術です。

その一方で、撮影が人間同士の関係の中で行われる以上、「この人に撮影を任せてよさそうだ」と周囲に感じてもらうことにも意味があります。

その意味では、機材の外観も撮影現場を成立させる機能の一つです。

カメラの存在感は、持っている本人にも作用する

カメラの外観が作用する相手は、周囲の人だけではありません。

持っている本人にも作用します。

OM-1を持って外へ出ると、

「今日は何か撮れるかもしれない」

という意識が自然に生まれます。

光を見る。

人の動きを見る。

建物の形を見る。

遠くの景色を見る。

普段なら通り過ぎるものへ少し注意を向ける。

カメラを持ったことで、自分自身が撮影者という役割へ入り込んでいく。

道具によって自分の振る舞いが変わるという現象です。

私にとってOM-1の凝集感は、周囲へ「撮影する人」に見せるだけでなく、自分自身を撮影者として振る舞わせる作用も持っています。

高性能だからプロに見える、という単純な話ではない

ここで面白いのは、カメラの性能表を周囲の人が読んでいるわけではないことです。

センサーサイズ。

連写性能。

AF性能。

手振れ補正。

防塵防滴。

そうした性能を知らない人でも、「本格的なカメラらしい」という印象は受け取れます。

つまり、人が感じ取っているのはスペックそのものより、

形状。

大きさ。

レンズ。

持ち方。

構え方。

機械としての凝集感。

そうした視覚的・身体的な情報なのでしょう。

OM-1には、その意味で「道具らしい姿」があります。

私は、その姿が好きです。

これからは少し気配を消す練習もしたい

一方で、この存在感には少し困ることもあります。

私は何かに集中しているときに話しかけられるのが、あまり得意ではありません。

OM-1を持っていることで、

「この人、カメラ好きなんだな」

「話しかけてもよさそうだな」

と思われることもあります。

そして、

「プロの方なんですか?」

と声を掛けられる。

カメラが撮影者という役割を周囲へ伝えてくれる一方で、人を引き寄せる作用まで持っているらしい。

これからはOM-1を持ちながら、もう少し気配を消す技術も身につけたいと思っています。

カメラの存在感を利用したい場面と、静かに撮りたい場面。

その使い分けも、撮影技術の一部なのかもしれません。


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著者紹介は
理屈コネ太郎の知ったか自慢|35歳で医師となり定年後は趣味と学びに邁進

作成者: 理屈コネ太郎

元消化器内視鏡医・産業医。現在は社会・人間行動・構造分析をテーマに執筆活動を行う。定年退職後はヨット・ボート・クルマなど趣味と構造研究の日々を過ごす。

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