序章:セカンドライフの趣味探し
セカンドライフでは、「時間をどう使うか」が大きな課題になります。
人気の高い趣味のひとつに釣りがあります。自然の中で楽しめ、年齢を重ねても続けやすく、1人でもできる。定年後の趣味として魅力的に見える要素はたくさんあります。
しかし私は、釣りをセカンドライフの趣味として万人に積極的に勧めたいとは思いません。
1人で完結すること、身体性が低いこと、釣果に偶然が大きく入り込むこと、道具や釣法についての蘊蓄が肥大しやすいこと、そして釣れた魚をどうするかという問題。
本記事では、こうした釣りの特徴から、シニアの趣味として選ぶ際の注意点を考えてみます。
第1章:釣りは1人で完結するため、孤立を深め、気持ちまで拗らせやすい
釣りは、基本的に1人で完結します。
岸からの餌釣りやルアー釣りなら、場所を選び、仕掛けを用意し、投入し、魚の反応を読み、取り込むところまで自分だけでできます。
船宿を利用する場合も、船には海上のポイントまで運んでもらいますが、何を使い、どう誘い、いつ合わせるかという実際の釣りは、それぞれのアングラーの中で完結します。
この性質は、セカンドライフの趣味として注意が必要です。
釣りは、人との関係が縮小した状態でも続けられます。誰にも相手にされなくなった“偏屈なジジイ”でも釣りには行けます。そして経験を重ねれば、それなりに蘊蓄まで蓄積できます。
定年後は、仕事を通じて維持されていた人間関係が減りやすい時期です。そこで他人との協働や対話を必要としない趣味に多くの時間を使えば、もともとの偏屈さをさらに拗らせ、社会的な孤立を深めることもあり得ます。
1人で自然の中にいる時間を心地よく感じる人もいます。
釣りは、孤独を癒す人もいれば、孤立を深める人もいる趣味です。長い時間を自分自身と過ごすだけに、孤独との相性はセカンドライフの趣味として考えておきたい点です。
関連記事➡1人で楽しめる趣味を持つ|セカンドライフを豊かにする極意
第2章:体力維持を兼ねる趣味にはなりにくい
釣りは屋外で行うため、一見すると身体をよく動かす趣味に見えます。
実際には、釣り場まで移動するときと、魚を釣っているときでは身体の使い方がかなり違います。
渓流まで歩く、磯を移動する、サーフを歩く、カヤックでポイントへ向かう。こうした場面には相応の運動量があります。
実釣に入ると、身体の動きはむしろ小さくなります。
魚のアタリを感じ、竿先やラインから伝わる変化を読み、仕掛けやルアーを狙った通りに操作するには、身体を安定させている方が都合がよいからです。
息が上がり、上半身が大きく動いている状態では、微細なアタリを感じたり、繊細な操作を続けたりすることも難しくなります。
船釣りや堤防釣りでは、座ったまま、あるいは同じ場所に立ったまま長時間過ごすことも珍しくありません。
セカンドライフでは、筋力、柔軟性、心肺機能を維持することも大切です。釣りを趣味にするなら、身体を動かす習慣は別に確保した方がよいでしょう。
第3章:釣果を成果にするとストレスが大きい
竿釣りは、本質的に効率の悪い漁獲手段です。
魚を食材として手に入れることだけが目的なら、スーパーや鮮魚店で買う方が時間も費用も読みやすく、確実です。
釣りの面白さは、魚を手に入れるまでの過程にもあります。
天候を見て、潮を考え、場所を選び、仕掛けを工夫する。
それでも釣れないことがあります。
大した工夫をしていないのに魚が掛かることもあります。
自然を相手にする釣りでは、釣果に偶然が大きく入り込みます。
そこで匹数やサイズを成果として強く求めると、釣れなかった時間そのものが失敗になります。
昨日は10匹釣れたのに今日はゼロ。自分には釣れないのに隣の人には釣れる。以前よりサイズが小さい。
こうした比較を続ければ、楽しむための釣りがストレス源になっていきます。
別の記事「釣果ゼロでも悩まない|妄想と工夫で楽しむボート釣り」でも詳述しましたが、釣りは釣る行為そのものを楽しむことが本筋です。
非効率さの中にこそ、自然と向き合う“遊びの余白”があります。
その余白を楽しめる人にとって、釣りは奥深い趣味になります。
第4章:因果を検証しにくく、蘊蓄や講釈が肥大しやすい
釣りは本来、行為そのものを愉しむ内面的な遊びです。
ところが釣りには、釣果という分かりやすい結果と、膨大な数のギアや釣法があります。
ロッド、リール、ライン、餌、ルアー、仕掛け、カラー、サイズ、アクション、レンジ、ポイント。
経験を重ねるほど、語れる材料も増えていきます。
自然相手の釣りでは、意味のあるPDCAを回しにくい
意味のあるPDCAを回すには、変更した要素以外の条件を揃え、変更前後の結果を比較できる実験系が必要です。
自然相手の釣りでは、潮、水温、潮流、濁り、風、光量、ベイト、魚群の位置、魚の活性など、釣果に影響する条件が絶えず変化します。
さらに、自然界で釣果に影響するパラメーターは非常に多く、水温、流速、照度、魚群の位置や密度など、単位も測定方法も異なります。
職業的に釣りを扱う人なら、魚群探知機や各種センサーなどを使い、多数の条件を長期的に記録、処理することもできます。趣味の釣行で同じことを続けるには、大きな時間と費用が必要です。
その状態で、
「ルアーを替えたら釣れた」
という出来事が起きます。
そこから、
「このルアーだから釣れた」
という因果が読み取られます。
さらに、
「この色だから食った」
「この誘い方だから反応した」
「今日は魚がこういう状態だった」
と説明が積み重なっていきます。
釣りは偶然が大きく介入する遊びだけに、こうした後付けの意味付けが入り込みやすいように思います。
経験知を統計的な確からしさと取り違えやすい
長く釣りを続けていると、「自分は何十年もやってきた」「何百回も試してきた」という経験量そのものが、自説の確かさを保証するように感じられることがあります。
経験知と統計学的な検証は別のものです。
経験から因果関係を導くには、比較可能な条件と、その結果を評価する作法が必要です。条件の異なる経験の数を、そのまま統計的な確からしさへ読み替えれば、偶然を規則性として捉える錯誤が生じます。
私には、釣りで語られるPDCAの中に、こうした経験への後付けを含んだ“なんちゃってPDCA”がかなり混じっているように見えます。
実験系や検証的な推論に慣れた人には、こうした後付けの因果推論そのものに知的な面白さを感じにくい場合もあるでしょう。
再現性の高い遊びでは、蘊蓄より結果がものを言う
偶然の介入余地が比較的小さく、結果の再現性が高い遊びのひとつに、サーキットでのタイムアタックがあります。
サーキットのタイムアタックにも、タイヤ、空気圧、足回り、ライン取り、ブレーキングなど、多くの理屈があります。
一方、ラップタイムには比較的高い再現性があります。
同じドライバーが、同じ車両で、同じコースを近い条件で繰り返し走れば、タイムはある程度狭い範囲に収束します。
そのため、走り方や車両設定を変えた前後の違いも比較しやすくなります。
そして最後には、そのクルマ、その条件、そのコースで記録したラップタイムが残ります。
どれほど多くの理屈を語っても、実際のラップタイムが伴わなければ説得力は乏しくなります。
私自身のGRヤリス6MTと8S-DATによる実走タイムの比較については、別記事「GRヤリス6MTと8S-DATの実走タイム差 ☆ 小さな差が示す私の到達点」で詳しく述べています。
釣りでは、大物を釣ったという結果があっても、技術、道具、ポイント、魚群、自然条件の影響を切り分けることが難しく、自分の釣り論や道具論も反証されにくくなります。
釣りの必然性の低さについては別記事釣り・ゴルフ・将棋から考える偶然と必然──趣味の幸福論で詳述しています。
反証されにくい自説が「講釈」に変わる
自説を客観的に評価する仕組みが弱い環境では、経験とともに釣り論や道具論が膨らんでいきます。
釣果を喜ぶことも、道具を工夫することも、釣り方を考えることも釣りの楽しみです。
しかし、実際に釣りへ行くことよりも、自分の道具論や釣り論を語ることへ重心が移れば、趣味の性質も変わります。
経験を自説の根拠として、求めてもいない他人へ講釈し、自分の優位性を示すようになれば、知識自慢やマウント取りへ近づきます。
この性質は、実釣より講釈が前に出る“講釈ジジイ”を生みやすい土壌になります。
そして、ここで第1章の問題へ戻ります。
1人で完結する釣りは、人間関係が縮小しても続けられます。その中で反証されにくい自説まで育てば、もともとの偏屈さや孤立をさらに深める方向へ働くことがあります。
セカンドライフの趣味として考えたとき、これは私が釣りを万人に勧めにくい大きな理由のひとつです。
釣りの中心にあるのは、自分が実際に水辺へ行き、竿を出して過ごす時間だと思います。
別記事「釣りに正解はない|文豪たちが釣りを人生にたとえた理由」も併せてご参照ください。
第5章:釣れた魚をどうするかという問題が残る
魚が釣れると、次に「その魚をどうするか」という問題が生まれます。
持ち帰るなら、自然界にいた魚を締め、血を抜き、冷やして持ち帰り、捌いて食材にします。衛生管理や鮮度保持も必要です。
釣果が増えれば、その後の作業も増えます。家庭で食べられる量や処理できる量を考えれば、持ち帰れる魚の数にも自然と上限があります。
リリースするなら、できるだけダメージを与えず水中へ戻す方法を考えることになります。
食べるのか、逃がすのか。持ち帰るならどこまで処理するのか。たくさん釣れたらどうするのか。
釣果を求めるほど、こうした「その後」も増えていきます。
この点については別記事「リリース前提の釣りは残酷か?自然界との比較で見える視点」に詳述していますので、参考にしていただければ幸いです。
第6章:魚釣りが好きで仕方ない人以外には勧めにくい
こうして見ると、釣りは「定年して時間ができたから」という理由だけで始めるには、かなり癖のある趣味です。
1人で完結する自由さは、孤立や気持ちの拗れにもつながります。釣果には偶然が大きく入り込み、その理由を説明しようとするほど、実釣より道具や釣法の講釈へ重心が移ることもあります。
体力維持には別の運動が必要で、実際に魚が釣れれば、その魚をどうするかという問題も残ります。
だから私は、魚釣りが好きで仕方ない人以外には、セカンドライフの趣味として積極的には勧めません。
釣れない時間も、仕掛けを考える時間も、自然を眺める時間も含めて面白い。
そんな人にとって、釣りは奥深い趣味になります。
関連記事➡釣果目的のプレジャーボート所有はワリに合わない|理屈コネ太郎の意見
結章:釣りを選ぶなら、実際に釣りに行こう
釣りに限らず趣味には、「効率」や「成果」を超えたところに意味を見出せるかどうかが大切です。
魚が釣れていない時間にも、海があり、風があり、水中には見えない世界があります。
その前で竿を出し、自分なりに考えながら時間を過ごす。
その時間そのものを面白いと思えるなら、釣果ゼロの日にも意味があります。
この点は別記事シニアだからこそ出来る魚臭くない釣り|自然界での自分の現在地を探るで詳しく述べました。
本当に釣りが好きな人にとっては、これほど奥深い趣味もありません。
定年後に時間ができたから釣りを始めるのではなく、釣りがしたいから、その時間を釣りに使う。
セカンドライフだからこそ、心から好きなことを選んでいきたいものです。