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はじめに:理屈コネ太郎も旧車に痛い目を見た
理屈コネ太郎も、かつては旧車趣味にどっぷり浸かったことがある。
クラシックなデザイン、独特の機械音、あの匂い――どれも心を揺さぶる魅力だった。
しかし、実際に所有してみると、ロマンよりもトラブルが先にやってくる。
パーツ探しに奔走し、整備費用にため息をつき、預けた工場の順番待ちに季節が過ぎた。
気づけば、「走る楽しみ」よりも「新たな故障の発生」への恐怖感と「修理が終わらない焦燥感」に支配されていた。
ある日ふと、「自分に旧車は向かないな」と悟った。クルマを手放して本当にスッキリした。長年悩んだ肩こりと頭痛から解放されたような、そんな気分だった。
それ以来、旧車は“所有するもの”ではなく“眺めて楽しむもの”に変わった。
いまは知人(20代の頃から旧車趣味一筋の漢)のガレージで彼らの愛車を眺めながら、機械の美学と人間の執念を静かに味わっている。
本稿は、そんな経験から得た現実的な提言である。あくまで理屈コネ太郎の管見ないの私見である旨ご銘記のうえ読み進めて頂きたい。
セカンドライフの時間と体力を、本当に幸福をもたらす趣味に使ってほしいという思いから書いている。
第一章:旧車の現実 ― “動かす”より“維持する”が目的化する
旧車の世界では、エンジンをかけるたびに何かが壊れる――そんな冗談がまことしやかに語られます。
それは誇張ではなく、コンディション維持の難しさを端的に表した言葉です。
整備しても調子の良い状態は長く続かず、運転席まわりで異臭がすれば、何かが焦げているのではないかと不安に襲われる。
わずかなオイル漏れや電装トラブルが、致命的な故障の前兆であることも少なくありません。
いつしか「走らせること」よりも「壊れた箇所を直すこと」時間と費用が消費されるようになってしまう。
それが私が知る旧車趣味の現実です。
■ メカ・工場・パーツ、どれも簡単には手に入らない
旧車を整備してくれる工場は、年々減っています。
腕のいいメカニックは高齢化し、メーカー純正の部品はとっくに廃番。
リプロダクション品も、品質や適合性には当たり外れがある。
ネット上で「適合」と書かれたパーツを買ってみたら、微妙に寸法が違って使えない――そんなことは日常茶飯事です。
しかも、不動車を預けても長期の順番待ち。修理費用は際限なく膨らみます。
第二章:心の負担と空間の問題 ― 保管とセキュリティ地獄
旧車にとって最大の敵は「時間」と「湿気」です。
錆びない場所を確保しようと思えば、屋内ガレージが必須。
しかしその維持費もばかになりません。
外に置けば、ボディはあっという間に傷み、内装も劣化します。
さらに最近は旧車盗難も多発しており、セキュリティ対策も欠かせません。
趣味のはずが、維持のプレッシャーに追われる生活になりかねないのです。
第三章:イタリア車は“愛”が試される
イタリア車には、独特の色気と官能性があります。
あのデザインやエンジン音に魅せられた世代は多いでしょう。
しかし現実的に言えば、イタリア語ができて、メカの構造に精通し、自分でエンジンを開けて整備できる人でなければ、イタリア車の維持は厳しい。
彼らの設計思想は情熱的で独創的ですが、同時に構造的に完成度が高くない。
だからこそ、細部の詰めや品質に個体差があり、壊れやすい。
クルマが完成する頃には、自身の体力や健康寿命が尽きている――そんな皮肉すらあり得ます。
それでも挑戦したいなら、愛ではなく執念と同型車を三台くらい購入する費用が必要です。
第四章:どうしてもやりたいなら英国車か米国車
それでも旧車に乗りたい。どうしても一度はやってみたい。
その場合は、英国車か米国車をおすすめします。
両者とも英語圏ゆえに情報が多く、パーツ供給網も比較的充実しています。
そして何より、原産地の業者やコミュニティーに言葉が通じるし、フェアな取引ができる。
ただし、それでも“トラブルを楽しめる人”でなければ続きません。
旧車趣味とは「壊れたときに笑える人の遊び」なのです。
第五章:最新車の方が「シニア的幸福」をくれる
シニア世代にとって、本当に価値があるのは“最新技術を使いこなす楽しさ”です。
現代のクルマは、電子制御による快適性・安全性・環境性能のすべてが高水準。
長距離ドライブでも疲れず、燃費も良い。そしてなによりどんな天気でも滅法速い。
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つまり、いまの自動車こそが「人間と機械の現時点での理想的な関係」を実現しています。
健康寿命の残り時間を考えれば、最新のエンジニアリングに浴して走る方が、圧倒的に幸せだと理屈コネ太郎は思います。
結び:夢の形は変わっていい
若い頃の夢を手放す必要はありません。
ただ、その「夢の形」を現代に合わせて更新すればいいのです。
旧車は、もう“乗る夢”ではなく“語る夢”でよい。
本当にクルマを愛するなら、過去の名車に敬意を払いながら、いまの技術を楽しむ――それが成熟した趣味人の選択です。
旧車はロマン。だが、セカンドライフには現実の幸福を。そしてもし、それでも旧車趣味を始めたいシニアにはGood Luck!
