近年、女系天皇を認めるべきだという議論を耳にする機会が増えました。国会議員を務めた人物や、現役国会議員にもそのような事を言う人は少なくありません。
そういう人達が挙げる女系天皇容認の理由としてよく語られるのは、
男女同権や女性活躍などの時代性
といった理念です。
しかし私は、皇位継承について考えるとき、本当に考慮すべき重要な「時代性」は男女平等や男女同権以上に、正当性や透明性であると思っています。
なぜなら、女系天皇の登場は、千年以上つづいてきた同一父系血統による皇位継承についての原理を、二度と復元できない形態に変更する事だからであり、そのような重大な変更について、日本国民が、どのような理由で、なにを目的とし、どのような議論を踏まえて、どのような手続きを経て制度を変更するのかを、国民に広く共有する必要があるからです。
日本国にとって、これ以上に重たい制度変更はほぼない…と言ってもよいくらいの重要度です。
現在は、多くの人が自ら情報を検索し、比較し、議論し、AIを用いて論点整理すら行える時代です。
そのため今日では、制度変更の正当性を支えるのは権威より合理性や透明性や公正性です。
本記事で問いたいのは、女系天皇の是非そのものではありません。それはどちらでも良い…といえばやや言い過ぎですが、ほぼどちらでも良い。
本記事で問いたいのは、十分な議論や透明性が確保されないまま、いつの間にか誰かがどこかで皇位継承原理を変更した場合に、日本人はそれをどのように受け止めるのかという危惧です。
そして、その問いを考えるために、まず女系天皇の誕生が何を意味するのかを整理してみたいと思います。
Contents
本記事における用語について
本題に入る前に、用語の整理です。本記事では、一般的に用いられている「男系」「女系」という表現を、原則として「父系」「母系」と言い換えて説明します。
その理由は、「男系」という言葉が継承者本人の性別を意味するように受け取られやすいからです。
しかし本来問題となっているのは、継承者本人の性別ではありません。
問題となっているのは、系譜を父方へ辿るのか、母方へ辿るのかです。
したがって本記事では、概念上の誤解を避けるために「父系」「母系」という表現を用います。
また、本記事では「女系天皇」という表現も出来るだけ使用しません。
これまでの天皇はすべて父系によって継承されてきました。
そのうち何人かは女性天皇ですが、これらの女性天皇もすべて父系女性です。
つまり、日本史上に母系の皇位継承者は一人も存在しません。
そして、そのような状態が千年以上にわたり維持されてきました。
この事実を踏まえるならば、「天皇」という言葉には父系による継承という概念が含まれていると考えるのが妥当でしょう。
そのため本記事では、「女系天皇」ではなく「母系皇位継承者」という表現を用います。
なお、記事タイトルには一般的な検索語である「女系天皇」を用いています。
女性天皇と女系天皇の違いについては別記事で解説していますので、本記事ではこれ以上深入りしません。詳細は「女性天皇と女系天皇の違いとは?|初心者にもわかる定義と歴史」を参照して下さい。
もっとも、かつての日本では皇位継承は庶民が関与する問題ではありませんでした。
したがって、「天皇とは父系によって継承される立場である」という理解は、皇位継承に関わる人々の間で共有される暗黙知で十分だったのです。
しかし現在は違います。
皇位継承の在り方そのものが国民的議論の対象となった以上、かつて暗黙知で済んでいたものを、国民全体が共有できる明示的な知識として整理する必要があるのではないでしょうか。
父系の皇統は偶然ではない
まず確認したいのは、日本の皇統が偶然父系で続いてきたわけではないという事実です。
過去の日本では、父系男子が不足した時代が何度もありました。
その都度、
父系女性天皇の即位
傍系への継承
皇籍離脱者からの復帰
など、様々な工夫が行われています。
ここで重要なのは、歴代の女性天皇がすべて父系女性であったという事実です。
もし同時代に皇位継承可能な年齢の父系男子が存在したのであれば、その人物が皇位を継承したはずです。
しかしそのような父系男子が皇室内に不在だったため、父系女性が皇位を継承することになりました。
そしてその期間は、
皇室外の父系男子を迎えるまで
あるいは幼年の父系男子が成長するまで
の制度運用期間として機能していました。
つまり歴代の女性天皇は、父系継承原理を変更するための存在ではなく、同一父系血統による皇統維持のための制度運用として理解する方が、日本史の実態に近いと私は考えています。
日本の皇統は先達の努力なしに続いたのではありません。
維持しようとした人々の意思と工夫によって続いてきたのです。
この点については別記事「女系天皇が日本史に存在しない理由|継承構造から整理」に詳述しています。
母系皇位継承者の誕生が意味するもの
既述したように、母系皇位継承者の誕生は継承原理そのものの変更を意味します。
父系継承を前提としてきた制度が、母系継承を認める制度へ変わる。
これは日本史上、前例のない出来事です。
問題は、
「継承者本人の性別」
ではありません。
問題は、
「同一父系血統による継承という原理を変更するかどうか」
なのです。
この重大な変更は、一部の識者と呼ばれる人達や政治家達が自分達だけの議論で決めて良い事ではありません。
今日的民主主義の手続きに従い、フェアで高い透明性のもと、多くの国民が納得するかたちで行われるべきです。
今日的民主主義とは
今日的民主主義とは、健全な民主主義実現の手段として今日において実用可能な技術を最大限に活用するものです。
皇位継承に限らず、重大な制度設計や原理の変更には、その変更を必要とする理由と、その変更によって生じるメリット、あるいはデメリットへの対策について、国民的合意が必要です。
そのためには十分に公正で透明性の高い議論が必要です。
近年の制度変更や法改正を巡る議論でも見られるように、多くの国民が問題視しているのは制度内容だけではありません。
なぜその制度変更が必要なのか
他により良い方法はなかったのか
一部の人々の既得権益に影響されていないのか
なぜ十分に事前に国民に知らされていなかったのか
という手続きの問題です。
「民は知らしむべからず、由らしむべし」という紀元前に生きた孔子の言葉を21世紀になっても誤用するという賢くなさを、実は日本人は許さないのです。
LGBT理解増進法などはその典型です。
この法律の理念や内容そのものにも問題はありますが、最大の問題は広く国民に周知し議論が一通りの決着をみる前に、一部の政治家達の強引な手法で成立してしまったことです。
この法律成立により、多くの民主主義的手続きを重んじる人達の不興を買ったことは記憶に新しいです。その後、自民党はみるみる支持を失い、二つの国政選挙で大敗を喫しました。
「なんだそりゃ? 聞いてもいないし、そもそもそんな事求めていないぞ」
という国民の声の現れです。
ネット環境が整い、ICTやAIや検索エンジンが発達した今日では、その古いやり方が通用しないのは、LGBT理解増進法以降の国政選挙の結果をみても明らかです。今後ますますその傾向は強くなるでしょう。
現代は、様々な方法によって、国民自身が制度や歴史を調べられる時代です。
したがって今日的民主主義とは、
制度変更の理由や背景、代替案、問題点、将来予想される影響などが国民に広く周知され、その上で民主的手続きによる意思決定が行われる仕組みであると私は考えています。
私は、「男女平等」以上に、「合理性」や「透明性」「公正」に基づく「国民的合意」こそが現代の時代性だと思っています。
男女同権は理由になり得るのか
母系皇位継承者を支持する理由として、
「男女同権だから」
「男女平等だから」
という主張が語られることがあります。
もちろん男女同権や男女平等は重要な理念です。
しかし、その理念が本当に千年以上続いてきた同一父系血統による継承原理を変更するに足る理由であるのかどうかについては、国民が十分な情報を得たうえで判断する問題です。
もし日本人の多くが、
歴史的経緯
制度変更の意味
失われるもの
変更後に起こり得る問題
を十分理解したうえで男女同権という理念が皇位継承原理の変更に値すると判断するのであれば、それは民主主義社会における尊重されるべき一つの結論です。
重要なのは結論だけではなく、その結論に至る過程です。
この過程を透明性高く、公正に維持することが、今後も民主主義が成立し続けるかどうかの鍵です。
日本人は何に納得するのか
父系による皇統維持は千年以上続いてきました。
それは偶然ではありません。
多くの人々が維持しようとしてきた結果です。
もしも皇位継承の原理を変更して母系皇位継承者を登場させるなら、日本人は当然、
なぜ変更するのか
本当に他の方法はないのか
先人たちの努力は何だったのか
何を失うのか
変更後の制度は何を根拠に正統性を持つのか
変更後に起きる問題とそれに対する処方箋は何か
という疑問を抱くでしょう。
一部の政治家や有識者の強力な働きかけによって、日本の千年以上続いてきた皇位継承原理が十分な説明もなく変更されたならば、多くの日本人はそれを快く受け入れないのではないでしょうか。
変更そのものが問題なのではありません。
説明がないこと、問題発見から解決までの手続きに納得できないことが問題なのです。
透明性とは未来の論点を共有することでもある
透明性とは、変更理由を説明することだけではありません。
変更後に起こり得る問題についても、可能な限り事前に国民へ共有することです。
たとえば、母系皇位継承者が誕生した場合、
「天皇」という名称をそのまま使うべきなのかという議論が起こり得ます。
なぜなら、天皇という名称は歴史的に父系継承者に対してのみ用いられてきたからです。
もし天皇という概念に父系継承が含まれているのであれば、母系皇位継承者に同じ名称を用いることについては当然議論が起こるでしょう。
また、父系継承を廃止し母系皇位継承者を導入したという歴史的な意味においても、「天皇」という名称を継続して使用することは、歴史的転換点を後世の日本人に分かりにくくする可能性があります。
そこに曖昧さや分かりにくさを残すべきではありません。
もし日本人が女系皇位継承を引き受けたのなら、その日本人としての決定を後世に分かり易く伝えるために、歴史の句読点として、天皇とは異なる名称を用いるのが妥当でしょう。
さらに、
母系皇位継承者の子を次の継承者とみなすべきか
変更後の正統性をどこに求めるのか
歴史との連続性をどう整理するのか
といった議論も次々と絶え間なく起こるはずです。
こうした論点を事前に整理し国民へ共有することも、透明性の一部なのです。
そもそも本当に必要なのか
そして最も重要なのはここです。
日本人がこうした議論を本当に必要だと感じるのは、おそらく皇統継承に相応しい年齢の父系男子が一人として皇室内外に存在しなくなった場合だけでしょう。
それはおそらく、初代天皇の父系血統を継ぐ者が真の意味で一人もいない場合です。
歴史的には、日本は同一父系血統を維持するために、皇室外から父系男子を迎えて皇位を継承させた事例を持っています。
つまり、
父系男子が存在する状況で母系継承を検討すること
と、
父系男子が真の意味で存在しなくなった後に母系継承を検討すること
は全く別の問題なのです。
前者はかなり体制変換寄りのはなしです。ただし、将来訪れるかもしれない真の男系男子不在状況かでどのような選択肢がありえるか…を検討することはそれなりに有益だと思います。
後者の状況になって初めて、母系皇位継承者の必要性は本当の意味で俎上に上るのではないでしょうか。
結論|本当に必要なのは透明性である
問われるべきなのは、
「母系皇位継承者に賛成か反対か」
ではありません。
問われるべきなのは、
この原理変更は本当に必要なのか
他に方法はないのか
国民は十分な説明を受けたのか
将来起こり得る問題まで議論したのか
です。
ネットが普及する以前の制度変更は、専門家や有識者が必要と判断したことで成立し得ました。
しかし現在は違います。
今日的民主主義において制度変更の正統性を支えるのは権威ではなく透明性です。
もし本当に父系継承が不可能となり、あらゆる代替案を検討し尽くしたうえで、多くの日本人が必要性を理解し納得するのであれば、母系皇位継承者という制度も一つの選択肢になり得るでしょう。
ただし、そのためには十分な透明性が必要です。
何を変更するのか。
何を失うのか。
何を守るのか。
なぜ変更しなければならないのか。
その全てを国民に開示し、議論し、理解を得ること。
それこそが、ますます情報の往来が盛んになる時代にふさわしい制度変更の正統性であると私は考えています。
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