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生まれながらのニューヨーカー、ナターシャという女性
『Sex and the City(SATC)』に登場するナターシャ・ナガンスキー(Natasha Naginsky)は、一見すると物語の脇役の1人に過ぎない存在かもしれない。しかし、キャリー・ブラッドショーをはじめとする地方出身の4人の女性たちが”都会で自分をつくり上げた”人生を歩むなかで、ナターシャは”最初からニューヨークにいた”存在として異彩を放っている。
ナターシャはニューヨーク上流コミュニティーの住人
ナターシャの背景は明確に描かれてはいないが、彼女の服装、振る舞い、職業、そして沈黙の美学から、彼女が生まれながらにニューヨークの高所得者層コミュニティーに属していることはほぼ間違いない。アートギャラリーでの勤務、抑制された話し方、ファッションの静けさ。どれもが、”演出せずとも洗練されている女性”の証左だ。
彼女のような人物は、会話の主導権を握らずとも空間を支配する。語らないことで上位に立つ文化、無理に自己表現をしなくても済む階層――ナターシャはその体現者である。
高学歴で有能、だがそれを誇示しない女
ナターシャの学歴は劇中で明示されない。しかし、美術や文化に精通し、国際的な場にも自然に振る舞える様子からして、高学歴であることは確実だろう。たとえばバーナード・カレッジ、NYU、あるいは欧米の名門大学出身という可能性もある。
重要なのは、ナターシャがその教養や学歴を武器にしないことだ。彼女はキャリーのように語らず、サマンサのように自己演出しない。それでもなお、知性と余裕がにじみ出る。
キャリーたちとは交わらない世界の住人
キャリー、サマンサ、ミランダ、シャーロットはいずれも地方出身者であり、都市で自分を作り上げた存在だ。彼女たちにとってニューヨークとは戦場であり、舞台であり、夢を叶える場所だった。彼女たちの服装、言葉遣い、恋愛観すらも”都会にいるための装備”として発展してきた。
その点、ナターシャは最初からその装備を必要としない。ニューヨークにおいて彼女は”他者のまなざしを意識することなくそこにいる”存在であり、キャリーたちの人生の設計とは根本的に異なるコードで動いている。
ナターシャを語らないことが、SATCの深みだった
ナターシャはSATCにおいて語られすぎない。彼女の心情は少しも明かされないし、自己弁明もしない。しかしその沈黙の中に、キャリーたちとは違う”もう一つのニューヨーク”の物語が流れている。
そして『And Just Like That…』で再び登場したナターシャは、その沈黙の姿勢を崩すことなく、キャリーに対して明確な線引きをしながらも、かつての夫ビッグの死に対して毅然と距離を取った。遺産を辞退するという行為すら、彼女らしい”語らない倫理”の発露だった。
ナターシャという存在が映す、ニューヨークの階層
ナターシャを理解するには、SATCを恋愛ドラマとしてだけでなく、”都市と階層”の物語として読む必要がある。彼女は、成功のために努力するのではなく、成功するための地盤をすでに持っていた人間。語らないことで尊厳を守り、沈黙によって空間を支配する存在。
キャリーたちが闘った都市は、ナターシャにとっては”慣れ親しんだ庭”だった。そしてだからこそ、彼女の佇まいは静かで美しく、同時に手の届かないものとして物語の余白に残されていく。
※このブログ記事は『Sex and the City』および『And Just Like That…』のキャラクターをもとにした考察です。