はじめに|田んぼを知ると、日本人が少し見えてくる
田んぼって、実はもの凄い存在です。
水を張った田んぼに苗が並び、やがて一面の緑となり、収穫期には稲穂が実る。日本ではあまりにも見慣れた風景です。
そのため、田んぼを見ても特別なことを感じない人の方が多いかもしれません。
しかし田んぼの成り立ちを少し詳しく見ていくと、そこには驚くほど多くのものが詰まっています。
食料生産。
土木技術。
水利。
共同作業。
土地利用。
蓄積。
祭り。
信仰。
政治。
税。
そして、人間関係のルール。
筆者は、水田稲作が日本人に与えた最大のものは、コメという食料だけではなかったと思っています。
水田稲作は、日本人が時間、土地、自然、他人、共同体、未来をどう考えるかという、精神性の核心のひとつを長い時間をかけて育てた。
そんな視点から田んぼを眺めてみると、いつもの田園風景がまったく違って見えてきます。
水田稲作は、日本列島の食料生産の軸を整えた
日本列島では、水田稲作が始まる以前から人々は定住生活を営んでいました。
縄文時代の人々は、狩猟、漁労、採集、植物利用や栽培など、その土地の自然環境に適したさまざまな生業を組み合わせて生活していました。
そこへ水田稲作という新しい食料生産システムが加わります。
国立歴史民俗博物館では、九州北部における水田稲作の開始を紀元前10世紀ごろとしています。その後、水田稲作は長い時間をかけて日本列島各地へ広がっていきました。
ここで起きた変化は、「新しい食べ物としてコメが加わった」という程度をはるかに超えています。日本人のそれまでの自然観、生活様式や自己と他者との繋がりの意識を大きく変えたと思います。
水田稲作には、特定の土地へ継続的に人の手を入れ、収穫まで長期間管理し、翌年もその土地を使い続けるという特徴があります。
そして、一定の面積から安定して大量の食料を得られるようになる。
人口を支えられる。
余剰を蓄えられる。
同じ土地に多くの人が暮らせる。
土地と人間との結びつきも強くなる。
将来の食糧を狩猟・採取よりは予測できる。
日本社会は、長い時間をかけて水田を中心とした食料生産体系へ組み替えられていきました。
田んぼは、人間が作った巨大な食料生産装置
田んぼを眺めていると、平らな土地に水が入っているだけのようにも見えます。
しかし、その「平ら」がすでに凄いのです。
水田には、水をほぼ均一な深さに張る必要があります。
そのため土地を均す。
畦を築く。
水源を見つける。
取水する。
水路を掘る。
必要に応じて堰や溜池を作る。
上流から下流まで水を運ぶ。
水量を調節する。
最後に排水する。
山間部では斜面を段々に削り、棚田にする。
こうして初めて、稲作に適した土地ができます。
現在なら重機、コンクリート、ポンプ、測量機器があります。
先人たちは、それらが存在しなかった時代から、膨大な知恵とマンパワーを積み重ねて水田と農業用水を作ってきました。
農林水産省も、日本の農業水利を、水を貯め、取り、配り、排出する行為だけでなく、それを支える施設、人、組織、秩序まで含む総体として説明しています。江戸時代以降には大河川の氾濫原などへ新田開発が広がり、その過程で地域間の紛争と合意形成を繰り返しながら水利用の秩序が形成されました。
現在、日本国内にある農業用水路は約40万kmに及ぶと農林水産省は紹介しています。地球を約10周する長さです。その中には、数百年前に作られ、改修を重ねながら現在も働いているものがあります。
私たちが何気なく「田んぼ」と呼んでいるものは、
土地、水路、堰、溜池、人、技術、組織、ルールが一体となった巨大な食料生産インフラ
なのです。
「田舎の自然」に見えるものの多くは、先人が作った風景
筆者は地方へ行って田んぼを見るたびに、そこに人間の仕事を感じます。
この土地を誰が平らにしたのだろう。
この水はどこから来ているのだろう。
この用水路は、どこから何km続いているのだろう。
最初に掘った人は、どんな道具を使ったのだろう。
何人で作業したのだろう。
何年かかったのだろう。
その後、何世代の人が補修してきたのだろう。
そんなことを考え始めると、「自然豊かな田園風景」の中に人間の歴史が一気に浮かび上がってきます。
田んぼは、極めて人工度の高い風景です。
そして日本人は、そのように何世代もの人間が手を入れ続けて形成した風景にも「自然」を感じます。
ここにも日本人の自然観の特徴が表れているように思います。
人間が自然へ働きかける。
自然の力を利用する。
人間の都合に合わせて土地や水を整える。
その一方で、雨、日照、台風、気温という自然の力が最後の結果を左右する。
自然へ積極的に働きかけながら、自然の中で生きる。
田んぼは、その関係を非常に分かりやすい形で見せてくれます。
田んぼは、日本人の「時間の感覚」も作った
水田稲作には一年のサイクルがあります。
田を準備する。
種籾を準備する。
苗を育てる。
水を張る。
田植えをする。
水を管理する。
稲の生育を見守る。
収穫する。
収穫物を乾燥させ、保存する。
そして次の年へ備える。
最初の作業から収穫までは長い時間がかかります。
今日の努力が数か月後の結果へつながります。
適切な時期に、適切な作業を行う必要があります。
一つの工程を飛ばせば、後の工程へ影響します。
そして収穫したコメの一部は保存され、次の季節まで人々を支えます。
こうした生活を長期間続ければ、
時期を読む。
先を考える。
準備する。
積み重ねる。
蓄える。
次の年へつなぐ。
という時間感覚が社会の中で繰り返し強化されます。
勤勉さや段取りを重視する文化との親和性も高かったでしょう。
数か月後、翌年、さらに次世代まで考える生活様式です。
田んぼは毎年、日本人に未来を考えさせる装置でもありました。
そして田んぼは、一人では成立しない
水田稲作の特徴として、筆者が特に重要だと思うのが水です。
自分の所有する田んぼだけなら、自分で耕すことができます。
しかし、水は土地の境界線を理解してくれません。
川から取った水は水路を流れ、いくつもの田んぼを通ります。
上流で大量に水を取れば、下流の田んぼが困ります。
用水路へ泥が溜まれば、その水路を使う人たち全員が困ります。
堰が壊れれば修理が必要です。
渇水になれば、限られた水を順番に使う必要があります。
実際、日本の農業水利には、時間や順番を決めて配水する「番水」という仕組みがあります。水をめぐる利害の衝突と調整を長期間繰り返しながら、水利秩序が形成されてきました。
すると水田社会には、技術とは別にもう一つ重要なものが必要になります。
信義則です。
決めた日に共同作業へ参加する。
自分の役割を果たす。
水を取りすぎない。
順番を守る。
共同設備を維持する。
自分だけ手を抜いり他者を出し抜いたりして利益を得ようとしない。
そして、自分が約束を守れば相手も約束を守ると期待する。
この相互信頼が崩れれば、水田全体の生産性が下がります。
水路そのものの維持まで困難になります。
だから、
「地域みんなでやる」ことは精神論ではなく、高い生産力と持続可能性を実現するための極めて実用的な仕組みだった
のです。
日本人の高い規範性の根本には、田んぼがあるのかもしれない
現代の日本社会には、規範をかなり強く意識する文化があります。
時間を守る。
列に並ぶ。
公共空間をきれいに使う。
決められた役割を果たす。
他人に迷惑をかけないよう行動する。
ルールを守る。
さらに特徴的なのは、
自分が約束を守ると同時に、相手も約束を守ると期待する
ことです。
社会の中に一定の信義則が存在することを前提に行動できる。
こうした規範性が日本社会のどのような歴史から形成されたのかについては、宗教、政治制度、家族制度、教育、近代化など多くの要素を考える必要があります。
その深い層の一つとして、水田稲作の歴史は非常に興味深い存在です。
水田では、
個人の勤勉さ+他者の勤勉さ+共同ルール+相互信頼
が揃うことで、集団全体の生産性が高まります。
それを毎年繰り返す。
親の世代も繰り返す。
祖父母の世代も繰り返した。
さらにその前の世代も繰り返した。
そうやって何十世代、何百世代と続けば、その行動様式は農作業の手順を超えて、社会文化の中へ蓄積していく可能性があります。
実際、歴史的に水田稲作の比率が高かった中国の地域では、麦作地域より現代でも社会規範が強い傾向が報告されています。さらに複数国を比較した研究でも、歴史的な水田稲作と強い社会規範との関連が示されています。
ここから一つ、とても面白い見方ができます。
田んぼは減っても、田んぼで作られた文化的な行動様式は残る。
水路を掃除する機会がなくなっても、
決められた日に集まる。
役割を分担する。
時間を守る。
周囲へ配慮する。
自分の仕事を終わらせる。
相手も同じように行動すると信頼する。
という行動様式は、学校でも会社でも地域社会でも生きています。
水田社会で長い時間をかけて鍛えられた行動様式が、別の社会組織へや世代に引き継がれていく。
水田稲作を、日本文化の一種の文化的OSとして考えてみると面白いと思います。
アジアの水田社会にも、よく似た仕組みがある
水田稲作は中国、朝鮮半島、東南アジアなどアジアの広い地域で営まれてきました。
そして興味深いことに、水田、水利、共同体、規範、祭祀が結びつく現象も各地で見ることができます。
代表例がインドネシア・バリ島の「スバック」です。
バリでは、農民たちが水路や堰を共同で管理し、水を配分しています。
しかも、その仕組みは寺院や宗教儀礼とも密接につながっています。
UNESCOは、バリのスバックについて、水田、水、水を共同管理する社会組織が千年以上にわたって景観と宗教生活を形づくってきたと評価しています。
つまり水田という生産システムには、
水田
→ 水利の共同管理
→ 相互依存
→ 社会規範
→ 儀礼
→ 世界観
という文化形成の流れが生じやすい。
そして、それぞれの地域で地理、宗教、政治、家族制度、土地制度などが加わり、その土地独自の文化へ発展していきます。
日本列島では、限られた平地、複雑な地形と河川、村落共同体、土地の継承、後世の政治制度などが重なりました。
その長い積み重ねの中で、「地域みんなでやる」という原理が、日本社会のかなり深いところまで定着したのでしょう。
コメは、やがて政治と経済を動かす共通尺度にもなった
水田稲作の歴史が長く続くうちに、コメは社会の中でさらに大きな役割を持つようになります。
特に近世になると、土地の生産力は石高という形で米に換算されました。
大名の領地も「何万石」と表現されます。
税である年貢も米と深く結びつきます。
武士の禄も石という単位で示されます。
こうして、
土地の生産力
→ 石高
→ 年貢
→ 領主の収入
→ 武士の給与
→ 幕府・藩の財政
→ 政治権力
という仕組みが成立しました。
水田は食料を作り、人を養い、その生産力が富として評価され、やがて政治制度の基盤にもなったのです。
これは何千年にも及ぶ水田文化の中で、後から積み重なった一つの層です。
そのさらに下には、土地を作り、水を引き、みんなで管理し、毎年コメを作るという生活があります。
政治制度より深いところで、水田が社会を支えていました。
努力を尽くして、それでも最後は自然に委ねる
田んぼには、日本人と自然との関係を考えるうえでも興味深い特徴があります。
農家は土地を整えます。
水を引きます。
苗を育てます。
水量を調整します。
雑草を取り、病虫害を防ぎます。
できる限りのことをします。
そして最後の結果には、雨、気温、日照、台風などが大きく作用します。
人間が努力を重ねながら、最後まで完全には支配できないものが残る。
そのような環境の中で、
豊作を願う。
自然へ感謝する。
収穫を祝う。
翌年の豊作を祈る。
という文化が発達してきました。
田植えに関する儀礼、豊作祈願、収穫祭、そして宮中の新嘗祭など、稲作と祭祀の結びつきは現在まで続いています。
田んぼでは、
人間の努力と、自然への畏敬が同時に成立します。
人間は自然へ働きかける。
自然から恵みを受ける。
自然に左右される。
そしてまた翌年も働きかける。
この循環も、日本人の自然観を考える重要な手がかりだと思います。
高い規範性には、素晴らしさと息苦しさの両方がある
水田社会で形成された強い規範には、大きな力があります。
約束を守る。
互いに協力する。
自分の役割を果たす。
共同設備を大切にする。
長期的な利益を考える。
こうした行動があるからこそ、大人数が安心して共同生活を送ることができます。
一方、規範が強くなるほど、新規な事は起きにくくなり、集団から外れる人への圧力も強くなります。
「みんなでやる」は大きな仕事を可能にします。
同じ言葉が「みんながやっているのだから、あなたもやるべきだ」に変化すると、同調圧力になります。
「約束を守る」は信頼を作ります。
規則の変更まで許されなくなると、古い制度を温存する力になります。
「先祖から受け継いだものを次へ渡す」は土地や文化を守ります。
継承そのものが絶対的な義務になると、個人の人生からある種の自由がなくなります。
現代の日本人が、日本社会の秩序正しさや信頼性を高く評価しながら、同時に「空気を読む」「周囲に合わせる」「昔からの慣習に従う」といった圧力に息苦しさを感じることがあります。
これは同じ高い規範性の、二つの側面として理解できます。
戦後、日本人は田んぼと直接かかわらなくても生きられるようになった
そして戦後、日本社会には大きな変化が起こりました。
食生活が急速に多様化します。
パン。
麺。
肉。
乳製品。
油脂。
加工食品。
外食。
世界各地から運ばれる食材。
食卓の選択肢が大幅に増えました。
1人当たりの年間米消費量は1960年代前半をピークに大きく減少しています。一方で、肉類や油脂類などの消費が増え、食生活全体が多様化しました。
これは食べ物だけの変化でもありません。
農家の子が別の職業を選べる。
都市へ移住できる。
会社員として生活できる。
スーパーで食料を買える。
生まれた地域とは違う場所に、新しい人間関係を作ることもできる。
つまり、
戦後の日本人が田んぼから心理的に離れたのは、田んぼを中心に組み立てられていた社会から、田んぼと直接かかわらなくても生きられる社会へ移ったからです。
これは大きな変化です。
水路を利用する人にとって、共同で水路を掃除することには明確な合理性があります。
その水路を使わずに生活できる人にとって、同じ作業の意味は薄くなります。
水田社会では生産を維持するために必要だった強い規範が、生活との直接的な関係を失うにつれて、古い慣習や拘束として感じられる場面も増えます。
農村の強い人間関係や規範性に距離を置きたいと感じる若い人が増えていった背景には、こうした社会構造の変化もあったのだろうと思います。
それでも、日本人の中から「田んぼの文化」が消えたわけではない
ここが筆者にとって最も興味深いところです。
田んぼとの直接的な関係は急速に小さくなりました。
しかし、日本社会では今も高い規範性や、他者も約束を守るという信義則への期待が強く残っています。
水田社会そのものが縮小しても、そこで長期間培われた行動様式は文化として継承される。
この時間差があるのでしょう。
水田の共同作業が減っても、
時間を守る。
自分の仕事をきちんと行う。
周囲に迷惑をかけない。
決めたルールを守る。
将来のために準備する。
相手も約束を守るものとして行動する。
といった文化は、学校、企業、地域社会、公共空間へ場所を変えて生き続けます。
現代の日本人は、水田社会そのものから離れながら、水田社会が何千年という時間をかけて育てた文化的OSの一部を使って暮らしている。
そんな見方ができるのではないでしょうか。
田んぼを見ると、日本人の歴史が見えてくる
次に田んぼを見る機会があったら、少しだけ想像してみてください。
この田んぼは、誰が作ったのだろう。
この土地は最初から平らだったのだろうか。
水はどこから来ているのだろう。
この水路は何年前に作られたのだろう。
誰が維持してきたのだろう。
水不足の年には、どうやって水を分けたのだろう。
どれだけの人がここで働いたのだろう。
何世代が、この田んぼから収穫されたコメを食べたのだろう。
どんな豊作があり、どんな凶作があったのだろう。
どんな祭りが行われたのだろう。
そうやって見ていくと、一枚の田んぼの中から、
土木。
農業。
水利。
家族。
共同体。
規範。
信頼。
祭祀。
自然観。
政治。
経済。
そして何世代もの人間の生活が見えてきます。
おわりに|田んぼって凄い
田んぼは、日本人を長い間食べさせてきました。
土地を改造する技術を発達させました。
巨大な水利システムを作らせました。
先を考えて働く時間感覚を育てました。
蓄え、翌年へ備える生活を支えました。
水を分け合うためのルールを作りました。
地域で協力する文化を育てました。
互いに約束を守るという信義則を必要としました。
自然へ働きかけながら、その力を畏れる世界観を育てました。
祭りや祈りを生みました。
そして後の時代には、土地、税、財政、政治権力までコメと結びつきました。
戦後、日本人の暮らしは大きく変わりました。
田んぼと直接かかわらなくても生活できる人が圧倒的に増えました。
それでも、日本人が社会の中でどう振る舞い、何を信頼し、何を「きちんとしている」と感じるのかを考えると、その深いところに長い水田稲作の歴史が残っているように思えます。
水田稲作は、日本人にコメを与えただけではありません。
日本人が時間、土地、自然、他人、共同体、未来とどう付き合うかという、精神性の核心のひとつを長い時間をかけて育てました。
だから筆者は田んぼを見ると、単なる農地以上のものを感じます。
目の前に広がっているのは、緑色の風景だけではありません。
そこには、何千年にもわたって日本人が積み重ねてきた知恵、労働、協力、信頼、葛藤、祈りがあります。
そして、その一部は今も私たち自身の中に残っています。
田んぼって、凄いのです。