国産プレジャーボートの主流はなぜ高価格帯まで釣り中心なのか|縮小市場と「愛艇性」

最近の国産プレジャーボートでは、高価格帯のキャビン艇まで、何人乗れるか、何人で釣れるかが商品の中心になっています。

国産メーカーの広告には、乗船定員、デッキ面積、収納量、イケス、釣り座、アフトステーション、スパンカー対応などが並びます。船室では、内張りや化粧を施していない樹脂積層面や、樹脂製の囲いに化粧板のドアを付けた個室トイレも目につきます。

これらは、釣りの効率、清掃性、製造コストを重視した商品企画です。

しかし、プレジャーボートを買うかどうかを決めるのは、乗船する人たちではありません。

購入決定権者は、多くの場合、艇を自ら操船するたった1人のオーナーキャプテンです。

国産艇メーカーが最初に問うべきことは、

この艇なら、自分が思い描く使い方、乗り方、海での過ごし方や愉しみ方を実現できるかもしれない。

とオーナーキャプテンに想像させるかどうか。

さらに、

最高意思決定権者であるオーナーキャプテンが、自分の命を載せる艇として、その艇こそが相応しい。

と、核心めいた想いをいだかせるかどうか。

釣りやパーティーは、愛艇でできる愉しみです。多人数ゲストを呼んだり招いたりして船釣りやパーティーを主催することを商品企画の出発点にすると、オーナーキャプテンは海を愉しむ当事者ではなく、同乗者のために働くホスト兼運航担当者、つまりお世話する人、になります。

ボートの活用法がそればかりと想像できては、購入決定権者の心が動きません。

私は当初、その原因を国産メーカーの商品企画だけの問題だと考えていました。

ところが、日本のマリン市場の長期推移を調べると、その背景には日本経済の停滞と国内市場の大幅な縮小がありました。

一方、国内市場では艇数が減りながら、新艇取引は大型化・高額化しています。高額艇を買える層は残っています。

そこで、この記事では次の2点を考えます。

第1は、日本経済の長期停滞とマリン市場の縮小が、国産艇の商品企画をコストと定量的な実用性へ向かわせたことです。

第2は、高額艇を買えるオーナーキャプテンが残っている現在も、国産メーカーがその人たちの心をときめかせる艇を十分に用意していないことです。

最高意思決定権者はオーナーキャプテンである

本記事では、艇の購入を決め、多くの場合は自ら操船して、船上での全ての事象の責任を引き受けるオーナーを「オーナーキャプテン」と呼びます。

オーナーキャプテンは、艇を欲しいと思い、良いモデルを探し、艇を選び、代金を払い、艤装を決めます。購入後は、保管料、保険料、燃料費、整備費を負担し、出航するかどうかも決めます。

そして実際の航海では、操船、海面監視、安全管理、離着岸を引き受けます。

法人名義で購入する場合でも、中小企業では社長が購入判断の中心となり、自ら操船する形が多いと考えられます。社員に免許を取得させる事は可能ですが、船長としての役務と責任を引き受ける人物を雇用するほどの規模の法人はなかなかないでしょう。

その社長が福利厚生として従業員を乗せれば、社長自身が天候と海況を判断し、出航準備を行い、操船し、安全責任を負い、帰港後の後始末まで行います。

従業員を愉しませるために、社長が毎回1人でヒーヒー言いながら運航する形は、長く続くとは思えません。実際、ゲストが去ったあとの後始末に辟易してゲストを呼ばなくなった、あるいはボートを辞めた…という人もわりといるのです。

そうなると多くの利用形態は、社長が1人で乗るか、艇の段取りやロープワークを理解した少数の人と乗る形へ落ち着きやすくなります。

家族も同じです。仕事、学校、体調、船酔い、暑さ、寒さ、海況によって、家族全員が毎回乗るとは考えにくいものです。

最も安定して乗り続けるのは、艇を選び、購入したオーナーキャプテン本人だけ…が実情なのです。

観光バスの価値を個人艇へ持ち込んでいないか

観光バスは、多くの乗客を安全かつ快適に運ぶための乗り物です。

そのため、観光バスでは乗車定員、荷物の収容力、乗降性、乗客の快適性が重要になります。運転者は、乗客へ移動サービスを提供する専門職です。非常に高い注意力と技量が求められる仕事です。

一方、その運転者がプライベート用に自分のお金でクルマを買うなら、自分が何を運転したいかを中心に選びます。

サーキットを走るクルマなら、乗車定員は重要ではありません。家族全員で移動するクルマなら、家族が乗れる座席数が必要です。

乗車人数は、オーナーが想定する使い方から決まります。

プレジャーボートも同じです。

何人乗れるか、何人で釣れるかが売上に直結するのは渡船や遊漁船です。プレジャーボートの場合なら、最大何人のれるか以上に、最小何人で安全に運航できるか…の方が遥かに重要です。

個人所有艇では、乗船者が増えてもオーナーキャプテンの収入は増えません。増えるのは、日程調整、乗降補助、船酔いへの対応、安全管理、接客、清掃などの負担です。

国産艇メーカーが最大乗船人数や釣り可能人数を中心に商品を説明するとき、オーナーキャプテンを観光バスの運転者や遊漁船の船長のように捉えていると思われます。

しかし、オーナーキャプテンは、乗船者のために雇われた運航担当者ではありません。

自分の判断で船に乗り、海に出るうえでの全ての操作と責任を引き受けた特殊で奇特な人なのです。

艇の商品価値をもっとも身近に感じるのはオーナーキャプテンである顧客本人その人なのです。

ゲストは文字どおりの「お客さん」である

オーナーキャプテンが家族、友人、知人、取引先を招けば、その人たちは日本語の慣用的な意味での「お客さん」です。

オーナーキャプテンは、その人たちを操船、見張り、係船作業を担うクルーとして招いたわけではありません。もてなす対象として招いたのです。

自分から手伝いたいと目を輝かせる人には、一定のリスクを引き受けながら作業を教えることもできます。

それでも基本的な運航責任は、オーナーキャプテンに残ります。

私自身、オーナーキャプテンとして、それほど頻繁にゲストを招く方ではありません。

ゲストを乗せれば、安全、船酔い、暑さや寒さ、乗り降り、行動予定など、普段より多くのことへ気を配ります。1人で航行するときより、自分自身が愉しめる余裕も減ります。

それでも、ときどきゲストを招くことが成立するのは、普段は私の艇が私自身を十分に愉しませてくれるからです。

順序は明確です。

まず、オーナーキャプテンが1人でもその船に乗りたくなること。

そのうえで、ゲストを招いて愉しみを分かち合えること。

個人艇へゲストを招く際の責任構造については、別記事「初めてボートにゲストを招待する時・初めてボートへ招待された時の注意点」で詳しく整理しています。

所有は自由に使うための手段である

ボートについては、「所有欲を刺激する」という表現が使われます。

しかし、オーナーキャプテンは、艇という物体を手元に置くことだけを求めているわけではありません。

好きな時に出航する。

自分で目的地を決める。

自分が納得できる状態へ整備する。

自分の使い方に合わせて艤装する。

これらを安定して実現する方法が、艇の所有です。

したがって、「この艇が欲しい」という言葉は、もっと深い感情を短く表したものです。

その内実は、自分が命を載せて海へ出る船として、この艇を選びたい。

という判断です。

さらに、艇を見た瞬間に、この艇なら、自分が想定する使い方、乗り方、愉しみ方を実現できるかもしれない。

という未来の体験が頭の中に立ち上がります。

売れるプレジャーボートのキモは、この信頼とときめきです。

定員や釣り可能人数は、その体験を実現できるか確認するための仕様です。

艇には数字で測れない「愛艇性」がある

艇には、価格、定員、デッキ面積、燃費など、数字で測れる価値があります。

しかし、自ら艇を選び、操船するオーナーキャプテンの多くは、それとは別に「愛艇性」を求めるはずです。

ここでいう愛艇性とは、艇の外観、装備、推進機構、操船感覚がオーナーの価値観と一致し、

「自分の命を載せて海へ出るなら、この艇がいい」

と感じさせる性質です。

愛艇性には、4つの要素があります。

自己表現

その艇を選び、操船することが、オーナーの船舶観、機械観、美意識、ファッション観、人生観を表します。

身体の拡張

ステアリング、スロットル、船体挙動、推進機がオーナーの感覚とつながり、艇が海上における第2の身体になります。

生命を預けられる信頼

陸地も他船も見えない海域で、この船体、この推進機、この装備なら、自分を生かして帰港させてくれると感じられます。

未来の愉しみへの予感

この艇なら、自分が思い描く航海、遊び、海上での時間を実現できるかもしれないと心がときめきます。

愛艇とは、単なる便利な道具ではありません。

オーナーの自己表現であり、海上における第2の身体であり、自分を生かして帰港させると信じられる機械です。

さらに愛艇は、まだ経験していない海の愉しみを予感させる存在です。

国産艇には高額な艇もあります。しかし、価格、定員、釣り可能人数といった定量的な価値に比べ、1人のオーナーキャプテンが愛艇性を感じられる商品企画は弱いように見えます。

これが、この記事の中心命題です。

高価格帯の国産キャビン艇も釣りを中心にしている

代表的な国産キャビン艇を見ると、高価格帯まで釣り中心の商品構成が続いています。

ヤマハYFR330は全長10.10m、定員10名で、450馬力の船外機を1機搭載します。2026年のメーカー希望小売価格は約3,540万〜3,870万円です。

ヤマハはYFR330について、片舷6名分のフィッシングスペース、バウデッキで2名が釣りをできること、アフトステーション、フィッシングサポートリモコン、イケス、スパンカー対応などを強く訴求しています。(ヤマハ発動機)

ヤマハDFR-33は全長9.97m、定員12名で、440馬力のVolvo Penta D6を1基搭載します。2026年のメーカー希望小売価格は約4,846万〜5,726万円です。標準装備には、アフトステーション、フィッシングサポートリモコン、イケス、バウスラスターが並びます。(ヤマハ発動機)

ヤンマーEX38Aは全長12.39m、最大搭載人員12名で、495PSのディーゼルを1基搭載します。2026年4月時点のメーカー希望小売価格は約5,518万円です。イケスを2つ備え、アフトステーション、バウスラスター、スターンスラスターなどを選択できます。(YANMAR)

これらの艇は、釣り艇として高い機能を持っています。

その一方で、高価格帯まで、

  • 単機・単基搭載
  • 多人数の乗船定員
  • 広い釣りデッキ
  • 釣り支援装備
  • 清掃性を重視した船室

という価値軸が続いています。

船体が大きくなり、機関出力と装備が増えたことで価格は上がりました。

しかし、オーナーキャプテン自身の操船する愉しさ、推進機構への好感、生命を預ける安心感を中心にした商品群は薄いままです。

2機掛けのSR330も多人数利用を中心にしている

ヤマハSR330は、全長10.21mの船体に300馬力の船外機を2機搭載し、ヘルムマスターEX、ジョイスティック、オートパイロットを備えます。

技術的には、国産メーカーが2機掛けの高機能艇を作れることを示すモデルです。

しかし、SR330の商品企画は15人で集うことを中心にしています。

ヤマハは発売時に、「大人数で洋上の非日常体験を楽しむ」艇としてSR330を発表しました。バウに7名、アフトに8名の座席を置き、電気グリル、冷蔵庫、オーディオなどを装備しています。初年度の国内販売計画は8隻でした。(Yamaha Motor Global Site)

SR330は、マリーナのレンタル艇、船長付きチャーター、リゾート施設、湾内クルーズ、イベント用途と相性のよい艇です。

一方、個人のオーナーキャプテンにとって、15人分の座席は心をときめかせる中心価値にはなりにくいでしょう。

SR330は、国産メーカーに技術があることを示しています。

同時に、技術的に面白い素材を、オーナーキャプテン自身よりも多人数利用へ向けた例にも見えます。

PONAM-31はオーナー自身の愉しみを見ている

国産艇の中では、トヨタPONAM-31が今回の問題意識に近い商品企画を持っています。

PONAM-31は260PSのディーゼルを2基搭載し、TDA、TVAS、TDSといった離着岸支援、定点保持、操船支援システムを選択できます。(トヨタ)

トヨタはPONAM-31について、「海におけるFun to Drive」を掲げています。さらに、海での時間を「時に仲間と分かち合い、時に独り占めする」と表現しています。(トヨタ)

ここでは、乗船人数よりも、オーナー自身の操船体験と海上で過ごす時間が商品の中心にあります。

PONAM-31は、日本企業にもオーナーキャプテンの心を動かす艇を作れることを示しています。

一方、国産新艇全体を見ると、この考え方を持つ30〜40ft級キャビン艇の選択肢は限られています。

日本には多機掛けと統合操船の技術がある

日本には、ヤマハ、ホンダ、スズキ、トーハツという世界的な船外機メーカーがあります。船内機にはヤンマーがあります。

ヤマハのHelm Master EXは、2機、3機、4機の船外機を統合制御し、ジョイスティック操船、オートパイロット、船位保持、船首方位保持に対応します。(Yamaha Motor Global Site)

ヤンマーのJC20Aは、ヤンマー製ディーゼルを2基搭載した2基2軸艇とバウスラスターを統合し、狭いマリーナでの離着岸や低速操船を支援します。(YANMAR)

つまり、日本には複数の推進機、GNSS、オートパイロット、スラスターを1つの操船システムへまとめる技術があります。

海外ブランドは、こうした機関や制御技術を、艇全体の商品価値へ変えています。

Axopar 29 XCは、密閉できるキャビン、大型のサイドスライドドア、段差を抑えた艇内外動線、用途に応じて選べるアフトデッキを組み合わせています。メーカーは、良好な全周視界と操船体験も商品価値として掲げています。(Axopar Boats)

高機能な国産機関を載せる海外艇は、釣り人数だけで商品を説明しません。

外観、操船感覚、用途、船内で過ごす時間、冒険への期待まで含めて、オーナーキャプテンへ完成した体験を提示しています。

Stabicraftが示す小型艇の可能性

ニュージーランドのStabicraft 2250 Ultracab WTは、全長7mに満たない艇に、前傾したキャビン、荒れた沿岸を意識したアルミ船体、前方へ抜けられる構造を組み合わせています。

Stabicraftは、この艇を島巡り、沿岸探検、釣りに使える多用途艇として企画しました。(Stabicraft)

Stabicraftの画像を初めて見たとき、私が感じたのは、

「すげー、超カッコいい。海に出る船はこういうのがいい」

という直感でした。

これは単純な所有欲ではありません。

自分が命を載せて海へ出る船として、こういう艇を選びたい。

という判断です。

さらに、

この艇なら、自分が想定する使い方、乗り方、愉しみ方ができるかもしれない。

という未来の海遊びへの予感があります。

Stabicraftはアルミ艇であり、ランプとトレーラーを使う文化を強く反映しています。日本のマリーナで1人で頻繁に離着岸する用途には、操船席横のドアとサイドデッキへの短い動線をさらに取り入れたいところです。

それでも、小型の実用艇にも愛艇性を持たせられることを示す好例です。

日本のマリン市場は数量で大きく縮小した

国産メーカーが釣りと実用へ商品を寄せた背景には、国内市場の大幅な縮小があります。

日本のプレジャーボート在籍船数は、2000年の約43万9,000隻から、2024年には約20万6,000隻へ減りました。

2024年の内訳は、モーターボート約14万1,000隻、水上オートバイ約5万6,000隻、ヨット約9,000隻です。約四半世紀で、保有市場は半分以下になりました。(ボートショー.jp)

新規ボート免許取得者は、コロナ禍の2021年に約6万5,000人まで増えましたが、2025年には約4万2,000人へ減りました。日本マリン事業協会は、過去10年で最も少ない水準と説明しています。(ボートショー.jp)

5m以上の新艇ボート販売数も、2021年の1,224隻をピークに減少し、2025年には851隻となりました。(ボートショー.jp)

つまり、

  • 新たにマリンレジャーへ入る人
  • 新たに市場へ入る艇
  • 現在保有されている艇

のすべてが縮小しています。

出荷金額は艇数ほど減っていない

一方、国内向けモーターボートの出荷金額は、艇数ほど減っていません。

2015年の出荷金額は約122億6,000万円でした。2024年には約181億7,000万円となっています。

2024年はモーターボートの総出荷隻数が前年比10%減りましたが、出荷金額は5%の減少にとどまりました。日本マリン事業協会は、その理由として価格改定と大型艇比率の上昇を挙げています。(日本マリン事業協会)

新造艇の第1回定期検査数も、2023年度の1,597隻から2024年度の1,437隻へ減る一方、10m以上の艇は63隻から68隻へ増えました。(日本マリン事業協会)

現在の国内市場では、艇数と顧客の裾野が縮小する一方、残った取引が大型化・高額化しています。

少数でも、高額艇を購入できる層は日本に残っています。

国内向け出荷金額には、国産艇と輸入艇の双方が含まれます。日本マリン事業協会の詳細統計では、国産国内向けと輸入国内向けを分けて集計していますが、無料公開資料から両者の比率は算出できません。(日本マリン事業協会)

それでも、現行ラインアップを比べると、複数機関、全天候型キャビン、短い艇内外動線、センスのある外内装を組み合わせた選択肢は、輸入艇側に厚くそろっています。

つまり、高額艇を買える層のニーズを、国産艇が十分に取れているとは言いにくい状況です。

縮小市場では数字で説明できる商品が通りやすい

国内市場の縮小に対し、国産メーカーは生産と開発の体制を縮めました。

ヤマハとヤンマーの公式発表によると、国内の5〜10m級プレジャーボート需要は、1996年の約8,000隻から、2000年には約4,000隻へ半減しました。(Yamaha Motor Global Site)

ヤマハの国内艇体売上高は、1998年度の120億円から2000年度には70億円へ減少しました。国内3工場の平均稼働率は67%まで下がり、中・大型艇を生産していた蒲郡工場の生産隻数は、1997年度の570隻から2000年度には286隻へ減りました。

ヤマハは蒲郡工場を閉鎖し、船外機艇へ開発資源を集中させ、船体と生産ラインの共通化、外部への生産委託、事業拠点の集約を進めました。(Yamaha Motor Global Site)

市場が半減すれば、メーカーは少ない販売数で、ハルの設計費、金型費、航走試験費、生産設備、展示艇、部品供給、アフターサービスの費用を回収しなければなりません。

その環境では、価格、定員、燃費、デッキ面積、釣り可能人数、部品共通化が優先されます。

これらは数値で比較でき、販売計画と採算を社内で説明しやすい価値です。

一方、愛艇性は簡単に数字へ変換できません。

2機の船外機が並ぶ姿を見たときの高揚。

操船したときに艇が身体へなじむ感覚。

船室に入ったときの満足。

用事がなくても出航したくなる気持ち。

縮小市場では、このような定性的価値へ開発費を投じる企画が通りにくくなります。

国産メーカーが釣りと実用へ集中した経緯は、企業経営として理解できます。

日本経済の長期停滞が商品の幅を狭めた

日本のマリン市場が縮小した背景には、30年以上にわたる日本経済の低成長があります。

日本銀行は1989年5月から金利を引き上げ、1990年8月には公定歩合を6%としました。(日本情報オリンピック)

大蔵省は1990年、不動産業向け融資の伸びを総貸出の伸び以下へ抑える総量規制を導入しました。後の実証研究では、この規制が不動産業向け融資と地価だけでなく、全産業向け融資とGDPにも影響したと分析されています。(国際決済銀行)

その後、日本は不良債権処理、需要回復、デフレへの対応に長い時間を要しました。さらに1996〜1997年には大規模な財政引き締めを行い、IMFは後に「明らかに過度に野心的だった」と評価しています。(IMF eLibrary)

当サイトでは、この経緯を「1990年代のバブル崩壊とは何だったのか?」と「失われた30年とは何か|“買うお金の不足”で説明すると全部つながる」で詳しく論じています。

経済政策の影響は、次の経路で商品企画へ届きます。

国内所得と需要が伸びない。

ボートを買う人、買おうとする人が増えない。

保有艇数と新艇需要が減る。

国内専用艇の開発費を回収しにくくなる。

メーカーが共通化と定量的な実用性を優先する。

愛艇性のような価値が商品企画からこぼれる。

日本経済の長期停滞は、GDPや賃金だけでなく、国内企業が企画できる商品と、国民が選べる商品の幅まで狭めました。

国産プレジャーボートは、その影響が目に見える形で現れた商品の1つです。

市場縮小は高価格帯の空白まで説明しない

市場の縮小は、量販艇がコストと実用性へ寄った理由を説明します。

一方、現在の国内市場には、高額艇を購入できるオーナーキャプテンが残っています。

その人たちは、価格だけで艇を選びません。

複数機関による冗長性。

GNSS、推進機、オートパイロット、スラスターを統合した操船。

1人で扱いやすい艇内外の動線。

自分の船舶観を表現できる外観。

船内で過ごしたくなる内装。

釣りをしない日にも出航したくなる用途の広さ。

こうした価値を求める人が、高額艇を購入します。

輸入艇は、その需要へ多くの選択肢を提示しています。

国産メーカーがこの層を国内建造艇で取りに行かなければ、購買力のあるオーナーキャプテンは輸入艇や中古輸入艇を選びます。その結果、国産艇の高価格帯が育たず、メーカーは国内の釣り艇へさらに集中します。

過去の市場縮小は、現在の商品構成の背景です。

現在の高価格帯へどのような艇を投入するかは、国産メーカーの商品戦略です。

愛艇性を具体的な商品へ変える

愛艇性は、外観だけで生まれる感情ではありません。

船体、推進機、操船系統、艇内外の動線、内装、艤装を1つの思想でまとめることで生まれます。

多機掛けによる冗長性とカッコよさ

多機掛けの最大の実用的価値は、推力喪失リスクに対する冗長性です。

1機・1基に故障が起きても、残った推進機で安全な場所まで移動できる可能性があります。

特にオーナーキャプテンが1人で航行する場合、沖で故障した機関を修理するより、残った推進機で帰港する方が現実的です。

複数の推進機、GNSS、オートパイロット、スラスターを統合すれば、横移動、その場回頭、定点保持、船首方位保持も容易になります。

そして、2機、3機、4機の船外機が整然と並ぶスターンには、機械としての充実とカッコよさがあります。

実用的な安心と、少し過剰な機械的魅力が、同じ構成から生まれます。

ソロ運用を支える艇内外の動線

本当のソロ接岸では、桟橋にロープを取ってくれる人はいません。

操船者は接岸前に、バウ側とスターン側の係船索を準備し、前後2本のロープを自分で桟橋へ投げます。

次に艇を寄せ、自分で桟橋へ移ります。

操船者は風向と艇が流される方向を見て、先に効かせるべきロープをクリートへ舫います。

まず艇が流されない状態を作り、隣艇への接触を防ぎます。バースと艇の位置は、そのあとで整えます。

この作業では、スターン寄りのセカンドヘルムよりも、メインヘルム横のドアと短い動線が役立ちます。

操船席からほぼ1歩でサイドデッキへ出られ、バウ側にもスターン側にもすぐ移動できる構造です。

オーナーキャプテンを中心に考えるなら、操船場所を増やす前に、操船者が係船位置へすぐ移れる船体を設計する方が効果的です。

外観と内装へ一貫した思想を通す

愛艇性は、高価な材料の量では決まりません。

前方乾舷、シアーライン、バウ形状、キャビンと船体の比率、スターンに収まる推進機まで、艇全体が一貫した考えで造形されていることが重要です。

逆スラントのフロントウインドウも有力な選択肢です。計器類の映り込みを抑えやすく、操船室上部の容積を取りやすいうえ、艇に外洋艇らしい力強さを与えます。

この点は、別記事「プレジャーボートに見られる逆スラント・フロントガラスの利点と欠点」で詳しく整理しています。

船室では、内張り、照明、シート、収納、手すり、スイッチ類の質感と統一感が重要です。

内張りや化粧を施していない樹脂積層面が広く見える船室は、オーナーの自己表現の場になりにくいものです。

個室トイレを設けるなら、清掃、臭気管理、給排水系統へのアクセス、長期不使用時の処理まで考える必要があります。

使ったあとには、誰かが清掃し、維持し、管理します。多くの場合、その役割を担うのもオーナーです。

釣り艤装を艇全体の中心にしない

スパンカーは、流し釣りを行う漁船や遊漁船にとって合理的な艤装です。

一方、プレジャーボートでは、艇の上部へ構造物と質量を加え、索類や金具を増やします。外観と運用も漁労艇側へ寄ります。

複数機関と電子制御によって船位や船首方位を管理できる艇では、釣り艤装を艇全体の商品思想の中心に置く必要はありません。

釣りは、愛艇でできる愉しみの1つです。

愛艇を選ぶ最高意思決定権者より、釣り客の人数を先に見る順序は変えた方がよいでしょう。

国産艇メーカーが最初に見るべき人

日本経済の停滞と国内マリン市場の縮小は、国産艇がコストと釣りの実用性へ寄った経緯を説明します。

その一方で、高額艇を購入できる層は現在も残っています。

日本には、複数機関、高度な電子制御、船体製造に必要な技術もあります。

国産艇メーカーが最初に見るべき人は、艇に乗せられる最大人数ではありません。

艇を選び、購入し、維持し、自ら操船する1人のオーナーキャプテンです。

国産艇メーカーが最初に問うべきことは、その人に、

「自分の命を載せて海へ出るなら、この艇がいい」

「この艇なら、自分が思い描く使い方、乗り方、愉しみ方を実現できるかもしれない」

と感じさせられるかどうかです。

何人乗れるか、何人で釣れるかは、そのあとに確認する仕様です。

売れるプレジャーボートのキモは、購入決定権者の心をときめかせることです。

国産艇に足りないのは、装備品の数ではありません。1人のオーナーキャプテンが愛艇性を感じられる商品企画だと、わたしは思います。


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▶筆者紹介は『理屈コネ太郎の知ったか自慢|35歳で医師となり定年後は趣味と学びに邁進』

作成者: 理屈コネ太郎

元消化器内視鏡医・産業医。現在は社会・人間行動・構造分析をテーマに執筆活動を行う。定年退職後はヨット・ボート・クルマなど趣味と構造研究の日々を過ごす。

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