知らないことを断言してしまう理由|定年後に身につけたい「語らない力」

定年後に、知らない分野のことを断定的に語り、会話の空気を冷ましてしまうことがあります。

その原因は、単なる知ったかぶりとは限りません。

現役時代には、限られた情報から類推し、暫定的に結論を出して物事を前へ進めることが求められていました。そのとき身につけた話し方が、役職や裁量権を離れたあとも残っているのです。

しかし、平等な人間関係では、求められていない断定は信頼を少しずつ損ないます。

必要なのは、知識を増やして何にでも答えられるようになることではありません。

自分が知っていること、推測していること、意見として考えていることを区別し、分からないときには断定しないことです。

本記事では、現役時代には有効だった話し方が、なぜ定年後の会話では通用しにくくなるのかを整理し、会話のぬくもりを保つための「語らない力」について考えます。

会話のぬくもりが急に失われるとき

話し終わった瞬間、あるいは話している途中から、相手の視線がふっと離れていくことがあります。

うなずきはあります。否定もされません。

しかし、それまで確かに感じられた会話のぬくもりが、急に失われていきます。

その原因に、自分で気づいていることもあります。

本当はよく知らないことを、知っているように話してしまったのです。

知ったふうに語っていること自体は、最初から分かっています。限られた情報から類推し、経験をもとに結論を出す話し方が、これまで有効だった経験もあります。

それでも、こちらに向いていた相手の注意は、理由を告げずに離れていきます。

場に残るのは、温度を失ったやり取りだけです。

問題は、知ったかぶりをしたことだけではありません。

これまで有効だった戦術が、なぜこの場では通用しなかったのか。その理由を、自分で構造として理解できていないことにあります。

経験を積んだ人ほど断言しやすくなる

若い頃は、分からないことを「分かりません」と言えました。

勉強中であることも、未熟であることも、周囲から自然に受け入れられます。

ところが経験を積み、

  • 長く仕事をしてきた人
  • 詳しい人
  • 判断する人
  • 相談される側

という立場になると、状況は少しずつ変わります。

何か答えなければならない気がします。

黙っていると、期待を裏切るように感じます。

「分かりません」と言うことに、わずかな居心地の悪さを覚えるようになります。

これは、必ずしも性格の問題ではありません。

長いあいだ担ってきた役割が生む、ごく自然な習慣です。

知ったふうに語ることは、かつて必要な技術だった

知ったふうに語ることは、常に愚かな行為だったわけではありません。

現役の仕事では、十分な情報が揃うまで何も決めないというわけにはいきません。

限られた情報から状況を推測し、過去の経験を参照し、暫定的に結論を出して物事を前へ進めます。

責任者には、確実な正解が存在しない状態でも判断することが求められます。

そのため、

おそらく、こうだろう
これまでの経験では、こうなる
現時点では、この方針で進めよう

という類推と決断は、実務上の重要な能力でした。

この話し方を続けてきたこと自体は、間違いではありません。

暫定的にでも結論を出し、事態を前へ進める責任を負っていたからです。

定年後には同じ話し方が通用しにくい

問題は、現役時代と同じ話し方をしているのに、ある時点から周囲の反応が変わることです。

正面から否定されるわけではありません。

間違いを指摘されるわけでもありません。

ただ、相手の関心が静かに離れていきます。

職位や肩書きがある場では、相手の失望は見えにくくなります。

上司や責任者の話に対して、部下や関係者が露骨に関心を失った態度を示すことは少ないからです。

しかし、役職を離れたあとの平等な場では、事情が異なります。

聞く義務のない人は、関心を失えば静かに離れます。理由を説明する必要もありません。

かつて職場で持っていた裁量権や決定権を、すでに自分は持っていません。

それにもかかわらず、裁量権者だった頃と同じ調子で結論を示すと、聞き手には「求めていない断定」に見えることがあります。

話している本人は、経験を提供しているつもりです。

聞き手は、知らない分野まで断言する人だと受け取ります。

この認識のずれが、会話の温度を下げていきます。

「知っている」「推測している」「意見している」を分ける

ここで、発言の性質を三つに分けてみます。

知っていること

根拠を確認でき、他者も検証できる知識です。

事実、制度、数値、専門領域の標準的な理解などが該当します。

英語で言えば、knowに近い領域です。

推測していること

経験則、類推、仮説にもとづく見立てです。

根拠はありますが、事実として確定しているわけではありません。

これは、guessの領域です。

意見として考えていること

好み、評価、価値判断、自分なりの解釈です。

正誤を一義的に決められない内容も多く含まれます。

これは、thinkの領域です。

現役で責任を負っているときは、この三つを自然に行き来しています。

問題は、周囲が訂正してくれなくなったあとです。

推測や意見が、いつの間にか「知っていること」の顔をして語られるようになります。

悪意はありません。

しかし聞き手は、その混線を敏感に感じ取ります。

事実なのか、経験則なのか、単なる感想なのかが分からない話は、安心して受け取ることができません。

断定には気持ちのよい報酬がある

断定には、分かりやすい心理的報酬があります。

話が閉じます。

迷いが消えます。

自分の中で結論が出ます。

「おそらく」「現時点では」「詳しくは知らないが」と留保するより、「これはこういうものだ」と言い切る方が、話す本人にとっては気持ちよいものです。

断定は、一種のカタルシスをもたらします。

年齢を重ね、経験者として扱われるほど、

  • まだ考えています
  • よく分かりません
  • その分野は知りません

と言うことへの心理的な抵抗も大きくなります。

だからこそ、断定する習慣は手放しにくいのです。

失うのは議論の勝敗ではなく信頼である

知らないことを断言しても、多くの場合、大きなトラブルにはなりません。

その場で激しく否定されることも、関係が直ちに壊れることも少ないでしょう。

しかし、小さな損失が静かに積み重なります。

相談されなくなります。

新しい話題を振られなくなります。

相手が深い話をしなくなります。

会話が表面的になります。

本人は、自分が何かを失ったことに気づきません。

周囲も、わざわざ理由を説明しません。

だからこそ、同じ失敗が繰り返されます。

問題は一度の誤りではありません。

浅い理解を深い知識のように語る習慣が、それまで築いてきた信頼を少しずつ削っていくことです。

「語らない」は敗北ではなく戦術の更新である

ここで、視点を変える必要があります。

知らないことについて語らない。

分からないことを、分からないままにしておく。

詳しい人に判断を委ねる。

これは、敗北ではありません。

現役時代とは異なる環境に合わせた、戦術の更新です。

成熟した人は、あらゆる分野の知識量で勝負する必要がありません。

自分の知らない範囲を認識し、言葉の射程を管理できること自体が、成熟した能力です。

語らない力とは、単に黙ることではありません。

自分の知識がどこまで確かで、どこからが推測で、どこからが意見なのかを判断する力です。

発言する前に一度だけ自問する

知らない分野について話しそうになったとき、一度だけ自分に問いかけます。

この領域の現在のスタンダードを、私は知っているだろうか。

ここでいうスタンダードとは、単なる教科書的知識ではありません。

その領域で現在活動している人たちが、共通の前提としている考え方です。

知識は更新されます。

制度も技術も価値観も変化します。

自分が過去に学んだことが、現在も標準的な理解として通用するとは限りません。

少しでも迷いがあるなら、断定する必要はありません。

その分野は詳しくないので、私の推測です。

昔はこう理解していましたが、今は違うかもしれません。

現在の標準的な考え方は、どうなっているのでしょうか。

このように言えば、会話から退出する必要はありません。

むしろ、自分の立ち位置を明確にしたうえで会話へ参加できます。

これは沈黙ではなく、成熟した参加の仕方です。

推測や意見を語るときは名札を付ける

語らないことが適切な場面もあれば、自分の推測や意見を伝える価値がある場面もあります。

その場合には、発言に名札を付けます。

  • これは確認した事実です
  • ここからは私の推測です
  • 私の経験ではこうでした
  • 個人的にはこう感じます
  • 現在の標準的な理解とは違うかもしれません

これだけで、聞き手は安心して話を受け取れます。

推測そのものが問題なのではありません。

推測を事実として語ることが問題なのです。

意見そのものが迷惑なのでもありません。

個人的な価値判断を、普遍的な正解のように扱うことで摩擦が起きます。

発言の種類を明示できれば、経験豊富な人の類推や意見は、むしろ貴重な情報になります。

沈黙が不自然な場では、ただ受け取る

何も言わないことが不自然になる場面もあります。

そのようなときは、評価や断定をせず、相手の話を受け取ります。

軽くうなずきます。

穏やかに微笑みます。

「なるほど」と返します。

「それは知りませんでした」と言います。

「もう少し教えてください」と尋ねます。

それだけでも、場の温度は保たれます。

会話は、常に自分の知識を提示する場ではありません。

相手の話を受け取り、相手の考えが展開するための余白を作ることも、会話への重要な参加です。

これは逃げではありません。

関係を壊さず、相手への関心を示すための、高度な選択です。

語らない力が会話のぬくもりを残す

知らないことを断言してしまい、場の空気を冷ましてしまうことは、誰にでもあります。

とくに、長く仕事をし、判断する側にいた人ほど起こりやすい失敗です。

大切なのは、その過誤を必要以上に恥じることではありません。

なぜ以前の話し方が通用しなくなったのかを考え、環境に合わせて戦術を更新することです。

自分の失敗を笑い、構造を分析し、少し視点を上げ、次によりよい振る舞いを選びます。

努力しても、すべてがうまくいくわけではありません。

それでも、自分の話し方を更新し続ける過程には価値があります。

この先も、静かに、愉しく、人々の中で生きていくために。

知らないことについて断定しない「語らない力」を、一つの選択肢として持っておくのは、悪くないと思います。


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作成者: 理屈コネ太郎

元消化器内視鏡医・産業医。現在は社会・人間行動・構造分析をテーマに執筆活動を行う。定年退職後はヨット・ボート・クルマなど趣味と構造研究の日々を過ごす。

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