道具には、「一生モノ」と呼ばれるものがあります。
自分の目的に合うものを選び、大切に手入れしながら、できるだけ長く使う。反対側には、役目を終えれば交換する使い捨ての道具があります。
私のギアとの付き合い方は、おそらくその間にあります。
できるだけ自分に合うものを選び、必要な手入れをしながら徹底して使う。しかし、傷めないことや一生使い続けること自体を目的にはしません。今の私にもっと役立つ道具が現れれば、一軍を交代させることもあります。
この考え方が特にはっきり現れるのが、海上で使うギアです。
海水に濡れる。強い紫外線を浴びる。風にさらされる。揺れる船上でぶつける。落とす。濡れたままバッグに放り込むこともあります。
耐海水性、耐紫外線性、耐衝撃性、防水性。できれば、そのすべてに優れていてほしいところです。
しかし現実には、海上へ持ち出したいギアのすべてが、そのような環境を前提として作られているわけではありません。
カメラは撮影という重労働をします。腕時計はあちこちにぶつかります。ウェアは気温や紫外線や湿度から身体を守ります。シューズは、塩水を浴びながら船上を動き回る人の足を守ってくれます。
そしてこれは、海だけの話でもありません。
クルマでも、サーキットでも、アウトドアでも同じです。
道具を壊さないことを最優先にして遊んでいると、いつの間にか、使用者の遊びの上限を道具の保全状態が決めるようになります。
私は、この関係があまり好きではありません。
「一生モノ」は、本当に一生使うものなのか
自分が好きなものを買って、大切に手入れしながら長く使う。
これは、ひとつの美しい道具との付き合い方だと思います。
ただ、少し意地悪な見方をすれば、どんな道具でも大切に保管し、ほとんど使用しなければ、かなり長持ちします。
反対に、どれほど高額で頑丈な道具でも、その使命を果たすために過酷な環境へ持ち出し続ければ損耗します。
傷も付きます。
塗装も剥がれます。
可動部分は摩耗します。
場合によっては損壊し、そのまま海中へ沈んでいくことだってあるでしょう。
そう考えると、「一生モノ」と「使い捨て」の間には、かなり広いスペクトルがあります。
そしてギアごとに、使用者ごとに、そのスペクトルの何処かにちょうど良い位置があるのだと思います。
その道具を、どこで、どのように、何のために使うのか。
それによって「大切にする」の意味も変わります。
自分の行動範囲を狭める道具は2軍落ち
私は、所有しているギアを必要以上に温存するのが、あまり性に合いません。
愛艇もGRヤリスも、設計された能力を必要以上に温存せず、できるだけしっかり使いたいと思っています。
機械である以上、使えば摩耗します。
厳しい状況へ持ち込めば、損傷する可能性も高くなります。
しかし、
「このクルマを傷めたくないから、ブレーキングは強くしない」
「このカメラを濡らしたくないから、この環境では撮らない」
「この船を汚したくないから、この場所には行かない」
という判断を、道具の耐性だけで決めてしまうと、いつの間にか道具の方が人間の遊びの上限を決めるようになります。
それでは、いつも同じ景色しか見ることができません。
同じ経験しかできません。
もちろん、安全を無視するという意味ではありません。
人間や船、クルマの安全性と、単に道具が傷むことは別の問題です。
安全を確保できる範囲で経験を広げようとしたとき、
「この先へ行けば、このギアは傷むかもしれない。しかし、その先でしか得られないものがあるかもしれない」
という場面があれば、私は損耗を覚悟して使う方を選びます。
もちろん、自分の船、自分のクルマ、自分のギアでの話です。
他人の船、他人のクルマ、他人のギアでは絶対にそんな事はしません。
道具は、使用者がしたいことを現実のものにするためにあります。
メンテナンスは「保存」のためではない
だからといって、道具を雑に扱っているわけではありません。
船で使ったギアは水洗いします。
必要なら真水につけて塩抜きします。
金属部分には適切にグリスを入れます。
Oリングや防水部分を確認します。
バッテリーも管理します。
保管するときには湿気を避け、必要以上に紫外線へさらさないようにもします。
けれども私の場合、これはギアを新品同様の状態で保存するためではありません。
次に必要になった瞬間、きちんと仕事をしてほしいからです。
私にとってメンテナンスとは、延命作業というよりも、即応性を維持する作業です。
使う。
整備する。
また使う。
酷使する可能性があるからこそ、整備する。
整備するから、また安心して使える。
その循環の方が、私にはしっくりきます。
なぜOM-1を3台持っているのか
私はOM SYSTEMのOM-1を3台所有しています。その理由を何度説明しても理解できない人もいます。
私の理由は単純です。
壊れる可能性を、最初から認めているからです。
そして、私が必要とするレンズ交換式カメラの中では、過酷な環境へ持ち出しやすい機種だと考えているからでもあります。
高所から落とすかもしれません。
船上で強くぶつけるかもしれません。
海水をかぶるかもしれません。
最悪の場合、水没するかもしれません。
もちろん、海水や衝撃から守る工夫はしています。
海へ落とさないよう回収用のコードも付けています。
それでも、揺れる船上で撮影していればカメラは濡れます。
しかも真水ではなく海水です。
場合によっては乾舷から上半身を乗り出し、海面すれすれの位置から撮影することもあります。
その瞬間にしか撮れないものがあるかもしれません。
私は、その可能性の方を重く見ます。
もし、その一枚を撮るためにOM-1が1台損壊したのであれば、それはもちろん残念です。
大抵は、OM-1一台を失う価値などない写真しか撮れていないでしょう。
しかし、ときどき何とも言えない不思議な一枚が、偶然の産物として写っていることがあります。
少なくとも私にとっては、
カメラを無傷で持ち帰ることより、その場所でしか得られない写真を持ち帰ることの方が重要です。
OM-1を3台にしている理由には、もうひとつあります。
機材ごとに使い方を覚えるのが面倒だからです。
OM-1 Aが損壊しても、OM-1 Bをそのまま実戦投入できます。
Bが駄目でもCがあります。
ボタン配置も、メニューも、操作感も同じです。
これは単なる予備機というより、同じ道具を複数用意して、システム全体として冗長化しているわけです。
「絶対に壊れない一台」を求めるのではなく、
壊れる可能性を受け入れたうえで、行動を止めない仕組みを作る。
こちらの方が、私の使い方には合っています。
筆と作品は、どちらが大切なのか
こういう使い方をしていると、ときどき「もっとモノを大切にした方がいい」と思われることがあります。
その感覚も分かります。
ただ、そんなとき私は考えます。
絵描きにとって、筆と作品のどちらが大切なのだろう、と。
おそらく、多くの場合は作品でしょう。
筆は、作品を生み出すための道具です。
もちろん、道具そのものに歴史的価値や希少価値がある場合は事情が違います。
古い名器や文化財級の道具であれば、その個体そのものを保存する意味があります。
しかし、現在普通に購入できる量産品の多くは、そこまでの存在ではありません。
カメラもそのひとつです。
現行の量産カメラであれば、多くの場合、お金を出せば同じものをもう一度手に入れられます。
私がOM-1を3台持っていること自体、その性質を利用しているとも言えます。
であるなら、私はカメラにはカメラとしての仕事をしてもらいたい。
道具の価格が高くなるほど、私たちは知らず知らずのうちに、本来の目的よりも道具そのものの保存へ思考を引っ張られやすくなります。
そこは、ときどき意識して切り分けた方がよいと思っています。
「これさえ買えば一生考えなくてよい」への違和感
私が「一生モノ」という言葉に少し距離を置く理由は、もうひとつあります。
そこには時折、
これさえ買っておけば、この分野の道具について一生考えなくてよい
という発想が入り込むからです。
しかし、技術は進歩します。
特にアウトドア用品や電子機器では、その変化は小さくありません。
ウェアひとつ取っても、アンダーウェア、ミドルレイヤー、ジャケット、パンツなどに使われる素材や構造は進歩してきました。
以前なら、
濡れれば不快になる。
暖かさを優先すれば重くなる。
防水性を高めれば蒸れやすくなる。
動きやすさを優先すれば保温性が落ちる。
といったトレードオフが大きかった分野でも、現在では複数の性能をかなり高い水準で両立する製品が増えています。
そうなると、20年前に買った高級ウェアを「一生モノだから」という理由だけで使い続けることが、本当に合理的なのかという問題が出てきます。
壊れていないことと、現在でも自分にとって最適な道具であることは同じではありません。
一軍に残る条件は「まだ使える」ではなく、今の私に一番役に立つ
私のギア選びの基本は、
その時代に存在する製品の中から、自分の用途と価値観にとって、できるだけ良いものを選ぶこと
です。
そして選んだ以上は、しっかり使います。
必要なメンテナンスもします。
その結果、何年も一軍に残り続けるギアもあります。
一方で、まだ壊れていなくても、明らかな上位互換が登場することがあります。
より軽い。
より安全。
より防水性が高い。
より操作しやすい。
より疲れない。
自分の用途に対して明らかに優れたものが登場すれば、古いギアには現役を退いてもらいます。
気に入っていれば手元に残すこともあります。
そうでなければ、業者に買い取ってもらうこともあります。
そこには、ある程度のドライさが必要だと思っています。
「まだ使えるから」という理由だけで一軍に置き続ける必要はありません。
道具の目的は、寿命を全うすることではないからです。
その一方で、使い捨てにする必要もありません。
ガスを充填する。
バッテリーを充電する。
グリスを入れる。
Oリングを確認する。
塩分を落とす。
一定間隔で作動させる。
使う前に状態を確認する。
こうした手間をかけながら、何年も使い続けるギアはたくさんあります。
良いギアは、必要な手入れをすれば長く一軍に残ります。
しかし、それは「一生使うこと」を目的としているからではありません。
今日も仕事ができるから、一軍に残っている。
それだけです。
「一生モノ」でも「使い捨て」でもない
私は太平洋で釣りをします。
ヨットで風を頼りに進みます。
ボートで海へ出ます。
GRヤリスでサーキットを走ります。
ドローンで空中散歩を楽しみます。
誰もいないビーチへ上陸してコーヒーを飲むこともあります。
SUP Foilでは、自分の身体能力の限界にも挑戦します。
こういう遊びを、自分なりの限界付近まで楽しもうとしていると、「一生モノ」という概念とは少しずつ縁遠くなります。
道具は傷みます。
場合によっては壊れます。
しかし、本当の意味での使い捨てでもありません。
使ったら整備する。
整備したら、また使う。
より良いものが登場すれば入れ替える。
壊れたら直す。
直す価値がなくなれば引退させる。
私は、そのくらいがちょうど良いと思っています。
ギアを粗末にする必要はありません。
しかし、ギアを大切にするあまり、自分が経験できる世界まで小さくする必要もありません。
道具は、人間の行動範囲を狭めるためにあるのではなく、広げるためにあります。
だから私にとって良いギアとは、
一生壊れないギアではありません。
必要なときに仕事をする。
使ったあとに整備すれば、また仕事をする。
そして役割を十分に果たしたあとには、現役を退く。
「一生モノ」と「使い捨て」の間。
おそらく、そのあたりに私にとって一番心地よい、道具との付き合い方があります。