旧宮家養子案とは?|男系皇統と皇族数確保の関係をわかりやすく解説

旧宮家養子案とは、昭和22年(1947年)10月に皇籍を離脱した旧11宮家の皇族男子の子孫である男系男子を、現在の皇族の養子として皇族に迎える構想です。

令和8年(2026年)6月10日、衆参正副議長は「立法府の総意」として、皇族数確保策に関する議論をとりまとめました。そこでは、今上陛下から秋篠宮皇嗣殿下、次世代の悠仁親王殿下へという皇位継承の流れを「ゆるがせにしてはならない」と確認したうえで、女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する案と、旧11宮家の男系男子を養子として皇族に迎える案の双方を了承し、政府に法制化を求めています。※男系と女系の違いについては別記事男系天皇と女系天皇の違い|定義と概念をわかりやすく解説に詳述しました。

この問題を考えるうえで大事なのは、皇位継承を単なる「男女平等」や「男女同権」の問題として見るのではなく、「これまでの皇位継承原理を守るのか、それとも別の原理に変えるのか」という問題として見ることです。

旧宮家養子案の本質は、戦後に旧11宮家が皇籍を離れたことで薄くなった男系皇族の厚みを、現行憲法の枠内で皇室典範を改正し、現代の制度感覚に合わせて回復しようとする点にあります。

本稿では、公文書上の用語に合わせて「皇籍離脱」と表記します。ただし、その背景にはGHQ占領下での財政的・制度的圧力があり、政治史的には「皇籍はく奪的な結果」として受け止められる面もあります。重要なのは、その結果として、皇位継承有資格者を厚く確保する仕組みが、戦前以前に比べて大きく細くなったことです。

Contents

旧宮家養子案を一言でいうと

旧宮家養子案は、戦後に細くなった皇位継承有資格者確保の回路を、皇室典範改正によって補う案です。

現行制度では、皇位は「皇統に属する男系の男子たる皇族」が継承します。つまり、皇位継承資格には、皇統に属すること、男系であること、男子であること、皇族であることが必要です。宮内庁も、皇位継承資格についてこのように説明しています。

旧11宮家の男系男子の子孫は、父方をたどれば皇統につながります。しかし現在は一般国民であり、皇族ではありません。そのため、現行制度のままでは皇位継承有資格者ではありません。

旧宮家養子案は、この「皇族ではない」という部分に着目し、皇族には現在認められていない養子縁組を可能にすることで、旧11宮家の男系男子を皇族に迎える制度案です。2021年の政府有識者会議報告書も、皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系男子を皇族とする案を、皇族数確保の具体策として示していました。

したがって、この案は単なる人数合わせではありません。皇族数の確保策であると同時に、男系皇統を支える皇族の厚みをどう回復するかという問題でもあります。

三つの時代で見る皇位継承有資格者確保策

旧宮家養子案を理解するには、現在の合意文書だけを読むのでは足りません。

皇位継承の原理は、抽象的なルールだけで安定するわけではありません。その原理に合う有資格者が、実際に一定数存在している必要があります。男系男子継承という原理を採るなら、男系男子の皇族が一定数存在していなければ、制度は不安定になります。

この観点から、江戸時代まで、明治期以降敗戦まで、敗戦後の三つの時代を比較すると、戦後に何が薄くなったのかが見えてきます。

時代皇位継承の基本構造皇位継承有資格者・候補者を厚くする仕組み特徴戦後との違い
江戸時代まで近代的な皇室典範はありませんでしたが、皇統に属すること、とくに男系で皇統につながることが重視されました。宮家、世襲親王家、猶子・養子、親王宣下、傍系皇族の存在が、直系断絶時の備えとして機能しました。伏見宮から後花園天皇、閑院宮から光格天皇が出たように、直系に後継者が不足したとき、傍系の男系皇族から皇統をつなぐことがありました。明文化された近代法ではないものの、皇統の控えを置く仕組みがありました。
明治期以降敗戦まで旧皇室典範により、男系男子による皇位継承が明文化されました。永世皇族制により、皇族の範囲を世数で限定せず、将来の皇位継承有資格者を厚く確保する仕組みが採られました。男系男子継承という原理と、複数の宮家・皇族男子という現実の厚みがセットで存在しました。戦後よりも、男系皇族の層が厚く保たれていました。
敗戦後現行皇室典範も男系男子継承を引き継ぎました。皇族養子は禁止され、女性皇族は婚姻により皇族身分を離れ、旧11宮家も皇籍を離脱しました。男系男子という原理は残りましたが、それを支える男系皇族の厚みが大きく減りました。原理は残った一方で、有資格者を厚く確保する方策が戦前以前よりかなり細くなりました。

この比較表から分かるのは、戦後に変わったことの中心が「男系男子継承の原理」そのものではない、ということです。大きく変わったのは、その原理を現実に支えるための宮家、傍系皇族、養子、皇族数という安全装置の厚みです。

現行制度は男系男子原理を維持しています。しかし、昭和22年(1947年)10月の旧11宮家の皇籍離脱によって、皇位継承有資格者を確保する回路は、それ以前に比べて大きく減りました。2021年の有識者会議報告書は、日本国憲法と現行皇室典範が施行された昭和22年(1947年)5月3日から、同年10月14日に皇籍離脱するまでの間、旧11宮家の26方が皇位継承資格を持っていたと説明しています。

つまり、戦後の皇室制度は、男系男子継承という原理を残しながら、その原理を支える有資格者の層をかなり薄くした形になったのです。

江戸時代まで:宮家が皇統の控えとして機能した時代

江戸時代までの皇位継承は、現在の皇室典範のような近代法で一括整理されていたわけではありません。それでも、皇統に属すること、とりわけ男系で皇統につながることは、皇位継承を考えるうえで重要な原理でした。

この時代の特徴は、直系だけに頼らず、宮家や傍系皇族が皇統の控えとして機能していたことです。鎌倉時代末期から室町期にかけて成立した世襲親王家のうち、伏見宮は崇光天皇の皇子・栄仁親王を初代とし、その系統から後花園天皇が出ています。後花園天皇は、称光天皇の崩御後、後小松院の猶子となって践祚しました。

江戸時代には、伏見宮、桂宮、有栖川宮、閑院宮という四親王家が、皇統の控えとして重要な意味を持ちました。特に閑院宮は、宝永7年(1710年)に「皇統の備え」として創設された宮家であり、第2代典仁親王の王子が、後桃園天皇に皇子がいなかったため光格天皇として皇位を継承しました。

ここで大事なのは、江戸時代までの皇統継承が、「その時の天皇の直系男子がいるかどうか」だけに頼っていなかったことです。宮家、猶子、養子、親王宣下、傍系皇族という仕組みがあり、直系に後継者が不足したときにも、男系皇統をつなぐ余地が残されていました。

旧宮家養子案の歴史的な意味は、ここにあります。現代においても、直系のみに依存しすぎると、男系皇統の継承は不安定になります。そこで、傍系の男系皇族にあたる旧宮家の子孫を、現行憲法下で皇室典範を改正して皇族に迎えるという考え方が出てくるわけです。

明治期以降敗戦まで:男系男子と永世皇族制の時代

明治期に入ると、皇位継承のルールは旧皇室典範によって明文化されます。

旧皇室典範の制定過程では、皇族の範囲や世襲親王家の扱いが大きな論点になりました。最終的には、成立した旧皇室典範によって永世皇族制が確立し、実系による四世までを親王・内親王、五世以下を王・女王とする仕組みが採られました。

この永世皇族制が重要です。

男系男子継承というルールだけを掲げても、その資格を持つ皇族が少なければ、制度は安定しません。明治期以降敗戦までの皇室制度は、男系男子という継承原理と、複数の宮家・皇族男子という現実の厚みをセットで持っていました。

一方で、皇族が無制限に増え続けることへの懸念もありました。そのため、明治40年(1907年)の皇室典範増補で、五世以下の王が勅旨または本人の願いにより華族に臣籍降下できる制度が設けられました。さらに大正9年(1920年)の「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」では、一定の範囲で皇族の降下を整理する仕組みが作られました。

つまり、明治期以降敗戦までは、男系男子継承を明文化し、皇族数を厚く持ちつつ、必要に応じて皇族の範囲を調整するという形で、皇統継承の確実性を担保していました。

ここでも、旧宮家養子案の意味が見えてきます。旧宮家養子案は、男系男子継承という原理そのものを新たに作る案ではありません。明治期以降敗戦まで存在していた「男系皇族の厚み」を、現代の制度としてどう補い直すかという案です。

敗戦後:男系男子原理は残り、安全装置は薄くなった

敗戦後、現行皇室典範は、男系男子による皇位継承原理を引き継ぎました。現在も、皇位は「皇統に属する男系の男子たる皇族」が継承するとされています。

一方で、戦後の制度では、皇位継承有資格者を厚く確保する方策が大きく減りました。

現行制度では、皇族に養子縁組は認められていません。2021年の有識者会議報告書も、皇族については皇室典範第9条により養子が認められていないと説明しています。

また、女性皇族は、天皇および皇族以外の者と婚姻すると皇族の身分を離れます。有識者会議報告書は、悠仁親王殿下の世代に皇族数が極端に少なくなるおそれの一因として、現行制度が女性皇族は婚姻により皇族の身分を離れることとしている点を挙げています。

そこに、昭和22年(1947年)10月の旧11宮家の皇籍離脱が重なりました。明治神宮の歴史データベースは、同年10月13日の皇族会議で11宮家51名の皇籍離脱が決定され、14日に離脱したとし、その背景としてGHQの指令による皇室財産の凍結や財産上の特権廃止などによる財政上の圧迫、日本側の「小さな皇室」志向を挙げています。

この結果、男系男子という原理は残ったものの、その原理を現実に支える男系皇族の厚みは大きく薄くなりました。さらに、皇族養子の禁止、女性皇族の婚姻離脱、旧11宮家の皇籍離脱が重なったことで、皇位継承有資格者を増やす回路も細くなりました。

旧宮家養子案は、この戦後に細くなった回路を補う案として位置づけられます。

旧宮家養子案の本質は「安全装置の再構築」

旧宮家養子案は、現行憲法の枠内で皇室典範を改正し、戦後に薄くなった男系皇族の厚みを、現代の制度感覚に合わせて再構築しようとする案です。

ここで重要なのは、旧宮家の男系男子が、もともと皇統と無関係な人々ではないという点です。2021年の有識者会議報告書は、昭和22年(1947年)10月に皇籍を離脱した旧11宮家の皇族男子は、日本国憲法および現行皇室典範の下でも、皇籍離脱までは皇位継承資格を有していた方々であり、その男系男子の子孫に養子として皇族となっていただくことも考えられると整理しています。

つまり、旧宮家養子案は、皇統と無関係な一般国民を新たに皇族にする案ではありません。父方をたどれば皇統につながる男系男子を、皇室典範改正によって皇族に迎える案です。

現代の制度として進める以上、本人の意思、国民の理解、養子となり得る年齢、養親となり得る皇族の範囲、具体的な手続きなどを丁寧に設計する必要があります。令和8年(2026年)6月10日の「立法府の総意」も、これらの点を慎重に制度設計するよう求めています。

このため、旧宮家養子案は、皇族数確保策であると同時に、戦後に薄くなった皇統継承の安全装置を現代的に補う案だといえます。

最新合意で明記されたこと

令和8年(2026年)6月10日のとりまとめで明記されたことは、大きく分けて五つあります。

第一に、現在の皇位継承の流れを動かさないことです。とりまとめは、今上陛下から秋篠宮皇嗣殿下、次世代の悠仁親王殿下へという皇位継承の流れを、立法府としても確認するとしています。

第二に、2021年の有識者会議報告書の第1案と第2案をいずれも了承し、このとりまとめを基に法制化するよう求めたことです。第1案は、内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持する案です。第2案は、皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系男子を皇族とする案です。

第三に、女性皇族の婚姻後の身分保持について、皇室典範を改正して具体的な制度設計に進むべきだとしたことです。その際、現在の内親王殿下・女王殿下が、婚姻後は皇籍を離脱するという現行制度の下で人生を歩んでこられたことを踏まえ、経過措置として本人の御意向を尊重するなど、一定の配慮をすべきだとされています。

第四に、旧宮家養子案について、対象を昭和22年(1947年)10月に皇籍を離脱した旧11宮家の皇族男子の子孫である男系男子としたことです。あわせて、本人の意思を考慮した養子となり得る者の年齢、養親となり得る者の範囲、具体的な手続き、そして養子となって皇族になった本人は皇位継承資格を持たないことなどを、慎重に制度設計するとしています。

第五に、制度導入後の見直しと、安定的な皇位継承に関する継続検討です。とりまとめは、養子制度について、皇族数の確保状況などを勘案し、必要があると認めるときは一定年数ごとに見直すものとしています。さらに、改正後の皇室典範等による皇族数の確保状況を踏まえ、安定的な皇位継承を確保するための方策について、引き続き検討することも附帯決議で確認するよう求めています。

政府に対しては、法律案の立案に直ちに着手し、骨子段階で衆参正副議長に報告し、要綱段階で各党・各会派に説明したうえで、速やかに国会へ提出するよう求めています。

養子本人と、養子後に生まれる子は分けて考える

旧宮家養子案を読むときは、「養子本人」と「養子後に生まれる子」を分けて考える必要があります。

養子本人については、今回の合意で皇位継承資格を持たないとされました。したがって、旧11宮家の男系男子が皇族の養子になっても、その本人がただちに皇位継承順位に入るわけではありません。

一方で、養子後に生まれる子、とくに男児の扱いについては、合意文書だけでは明記されていません。ここが今後の最大の注目点です。

2021年の有識者会議報告書は、養子となった本人は皇位継承資格を持たないことが考えられるとし、養子となる人が婚姻していて既に子がいる場合には、その子には養親との親族関係を生じさせず、皇族としないことも考えられると整理していました。

整理すると、次のようになります。

対象現時点での整理
養子本人皇族にはなりますが、皇位継承資格は持たないとされています。
養子になる前から既にいる子有識者会議報告書では、皇族としないことも考えられると整理されていました。
養子後に生まれる子今後の皇室典範改正案の文言で確認する必要があります。

現行制度では、皇位継承順位に「皇長子」「皇長孫」「その他の皇長子の子孫」「皇次子とその子孫」など、子孫が含まれています。

そのため、仮に旧宮家男系男子が養子として皇族となり、その後に嫡出の男児が生まれ、その男児を皇族とする制度設計になれば、その子が将来の皇位継承有資格者となる余地はあります。

ただし、それは今回の合意文書に明記された結論ではありません。法案で、養子後に生まれる子をどう位置づけるかによって決まります。

今後注視すべきなのは、「養子本人が皇位継承資格を持つか」ではありません。そこは今回の合意で否定されています。見るべきは、「養子後に生まれる男児をどう扱うか」です。

女性皇族の身分保持案との関係

今回の合意では、旧宮家養子案だけでなく、内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持する案も了承されました。

この案は、女性皇族が婚姻後も皇室に残り、公的活動を継続できるようにするものです。皇族数の確保という観点からは、非常に重要な案です。

2021年の有識者会議報告書は、女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する制度について、明治時代に旧皇室典範が定められるまでは女性皇族が皇族でない者と婚姻しても身分は皇族のままだったという皇室の歴史とも整合的だと整理しています。和宮親子内親王も、徳川第14代将軍家茂との婚姻後も皇族のままであり、家茂が皇族となることもなかったと説明されています。

一方で、同報告書は、女性皇族が皇族でない男性と婚姻後も皇族の身分を保持する制度を導入する場合、その子は皇位継承資格を持たないとすること、また配偶者と子は皇族という特別な身分を持たず、一般国民としての権利義務を保持することが考えられると整理しています。

したがって、女性皇族の身分保持案は、皇族数確保には役立ちますが、男系皇位継承有資格者の確保には直結しにくいものです。

これに対し、旧宮家養子案は、皇族数確保策であると同時に、制度設計の仕方によっては、将来の男系皇族確保にもつながります。

ここに両案の性格の違いがあります。

歴史上、似た事例はあったのか

歴史を振り返ると、直系に後継者が不足した局面で、傍系の男系皇族から皇統をつないだ事例はあります。

代表例の一つが後花園天皇です。後花園天皇は伏見宮系の彦仁王であり、称光天皇の崩御後、後小松院の猶子となって践祚しました。これは、伏見宮という傍系宮家が皇統の継続に大きな役割を果たした事例です。

もう一つが光格天皇です。光格天皇は閑院宮典仁親王の王子で、後桃園天皇に皇子がいなかったため皇位を継承しました。閑院宮は「皇統の備え」として設けられた宮家であり、その意義が実際に発揮された例といえます。

さらに古くは、継体天皇のように、遠い男系の皇統から後継者を迎えたとされる事例も、皇位継承論ではしばしば参照されます。ただし、古代の事例は史料上の問題もあるため、現代制度と単純に同一視するのではなく、「直系が不足したときに男系の傍系から皇統をつないだ構造」として見るのが適切です。

旧宮家養子案は、こうした歴史的発想を、現行憲法と皇室典範改正の枠組みの中で制度化しようとするものです。

女性天皇・女系天皇・男系男子を混同しない

皇位継承論では、「女性天皇」と「女系天皇」が混同されやすいです。

女性天皇とは、女性が天皇になることです。
女系天皇とは、母方を通じなければ天皇と血統がつながらない天皇のことです。
男系男子とは、父方をたどると歴代天皇につながる男子のことです。

この三つは、同じ話ではありません。

歴史上、女性天皇は存在しました。国立国会図書館の資料も、古代の女性天皇について複数の学説を整理しています。一方で、明治期の皇位継承論では、女系・女子の継承を認めるかどうかが論点となり、最終的に旧皇室典範では男系男子継承が制度化されていきました。

旧宮家養子案を考える際の主軸は、「女性を排除するかどうか」ではありません。

主軸は、皇位継承の血統原理を男系のまま維持するのか、それとも女系も含む原理へ変えるのかです。

ここを取り違えると、議論はすぐに現代的な男女平等論へ流れてしまいます。しかし、皇位は誰もが自由に志望できる地位ではありません。選挙で選ばれる公職でもありません。憲法上「世襲」とされ、皇室典範の定めるところによって継承される特殊な地位です。

男系原理とは、「男性が女性より優れている」という価値判断ではありません。父方をたどって皇統につながるかという、継承ルールの問題です。

男女平等論との距離

皇位継承の問題の中心には、個人の権利配分ではなく、皇統をどの原理で継ぐかという制度設計があります。

現代社会において、男女平等や男女同権が重要であることは当然です。一般国民の社会では、性別によって職業や地位への機会が閉ざされることは問題です。

しかし、皇位は一般の職業や公職とは性格が異なります。生まれ、皇統、皇族身分、皇室典範上の資格によって継承される特殊な地位です。

だから、皇位継承論の問いは「男女を平等に扱うか」ではなく、「皇位を継ぐ条件を、これまでの男系原理に置くのか、別の原理に変えるのか」です。

旧宮家養子案は、男系皇統というこれまでの原理を維持しながら、皇族数の不足に対応しようとする案です。

この視点に立つと、旧宮家養子案の意味はかなり整理しやすくなります。これは「現代的な平等原理に反するかどうか」という話ではなく、「皇統継承の原理を維持するために、戦後に細くなった安全装置をどう補うか」という話です。

旧宮家養子案の副次的効果

旧宮家養子案は、公式には皇族数の確保策として整理されています。今回の合意も、皇位継承順位を直ちに変更するものとしてではなく、皇族数確保のための制度整備として位置づけています。

しかし、旧11宮家の男系男子を皇族に迎える以上、その制度は将来の皇位継承有資格者を生み得る構造を持ちます。

養子本人には皇位継承資格を認めません。これは今回の合意で明記されました。

一方で、養子後に生まれる男児については、今回の合意文書では明記されていません。もし法案で、養子後に生まれた嫡出の男児を皇族とし、かつ皇位継承資格から除外しない制度設計にするなら、その男児は将来の皇位継承有資格者となる余地があります。

これは、旧宮家養子案が持つ副次的効果です。

表向きには皇族数確保策でありながら、制度の作り方によっては、将来の男系皇統の安定化策にもなります。旧宮家養子案の本質は、この二層構造にあります。

悠仁親王殿下の将来との関係

政治的な緊急性は、悠仁親王殿下の将来の御結婚や御子女の状況によって変わり得ます。

将来、悠仁親王殿下が御結婚され、男児に恵まれれば、養子や養子後に生まれる子の皇位継承資格は、当面、大きな政治争点にはなりにくいでしょう。皇位継承候補が十分に存在する状況では、養子の子の扱いを急いで正面から問う緊急性は後景に退くからです。

一方で、将来、男系男子の皇位継承候補が限られる局面になれば、養子後に生まれた男児が「生まれながらの皇族」として国民に受け止められ、皇位継承有資格者として理解されるかどうかが現実的な論点として浮上する可能性があります。

この意味で、旧宮家養子案は、現在の皇位継承順位を動かさない制度であると同時に、将来の選択肢を残す制度でもあります。

だからこそ、養子本人と養子の子を分けて制度設計するかどうかは、今後の法案審査で見落としてはならない点です。

直接皇族化案との違い

2021年の有識者会議報告書では、皇統に属する男系男子を法律により直接皇族とする案も検討対象に入っていました。

ただし、同報告書は、まずは内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持する案と、皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系男子を皇族とする案について、具体的な制度検討を進めるべきだと整理しました。直接皇族化案は、この二つで十分な皇族数を確保できない場合に検討する事柄とされています。

今回の立法府の合意でも、法制化を求める対象として明記されたのは、第1案と第2案です。

つまり、現時点の中心は、女性皇族の婚姻後身分保持と、旧11宮家男系男子の養子案です。法律による直接皇族化は、現段階では前面に出ていません。

この順番にも意味があります。旧宮家の男系男子を、現在の皇族との養子関係を通じて皇族に迎える方が、何ら家族関係を持たないまま法律で直接皇族とする案よりも、国民の理解を得やすいと考えられているからです。有識者会議報告書も、直接皇族化案について、国民の理解と支持の観点から養子案に比べて困難な面があると指摘しています。

今後の法案審査で見るべきポイント

今後の焦点は、皇室典範改正案の具体的な文言です。

特に見るべき点は、次の五つです。

論点確認すべきこと
養子本人の扱い皇位継承資格からの除外が、本人限りなのか、子孫にまで及ぶのか。
養子後に生まれる子養子後に生まれる子を皇族とするのか。
養子後に生まれる男児その子が男系男子である場合、皇位継承資格を認めるのか。
養子前からいる子・配偶者既にいる子や配偶者の身分をどう扱うのか。
女性皇族の配偶者・子女性皇族の婚姻後身分保持案で、配偶者と子の身分をどう整理するのか。

この文言次第で、旧宮家養子案の意味は大きく変わります。

養子本人だけを皇位継承資格から除外するのか。
子孫にも除外規定を及ぼすのか。
養子後に生まれた男児を通常の皇族の子と同じように扱うのか。

ここが、今後最大の注目点です。

令和8年(2026年)6月10日のとりまとめは、政府に対し、直ちに法律案の立案に着手し、骨子や要綱について衆参正副議長や各党・各会派に説明したうえで、速やかに国会へ提出するよう求めています。また、改正後の皇室典範等による皇族数の確保状況を踏まえ、安定的な皇位継承を確保するための方策を引き続き検討することも求めています。

今回の合意は、最終決着ではありません。大きな方向性が決まった段階であり、核心はこれから出てくる条文にあります。

まとめ

旧宮家養子案とは、昭和22年(1947年)10月に皇籍を離脱した旧11宮家の皇族男子の子孫である男系男子を、皇族の養子として皇族に迎える制度案です。

その本質は、戦後に旧11宮家が皇籍を離れたことで薄くなった男系皇族の厚みを、現行憲法の枠内で皇室典範を改正し、現代の制度感覚に合わせて回復することにあります。

江戸時代までの皇統継承には、宮家、猶子、養子、親王宣下、傍系皇族という安全装置がありました。明治期以降敗戦までは、旧皇室典範によって男系男子継承が明文化され、永世皇族制によって皇族の厚みが保たれていました。敗戦後は、男系男子原理そのものは残りましたが、旧11宮家の皇籍離脱や皇族養子の禁止などにより、継承確実性を支える仕組みがかなり薄くなりました。

令和8年(2026年)6月10日の「立法府の総意」は、その薄くなった皇族数確保の回路を補うため、女性皇族の婚姻後身分保持案と、旧11宮家男系男子の養子案を法制化するよう政府に求めました。

今回の合意で明記されたのは、養子本人は皇位継承資格を持たないという点です。一方で、養子後に生まれる子、とくに男児の皇族資格・皇位継承資格については、法案の具体的な文言を確認する必要があります。

この論点は、男女平等や男女同権という最近の価値観だけで理解すると見誤ります。皇位継承の核心は、誰を平等に扱うかではなく、皇統をどの原理で継承するかにあります。

旧宮家養子案は、男系皇統というこれまでの原理を守りながら、皇族数の減少に対応しようとする案です。

今後見るべきなのは、養子本人ではなく、養子後に生まれる子の扱いです。

皇室典範改正案の条文で、養子本人だけを皇位継承資格から除外するのか。子孫にも除外規定を及ぼすのか。あるいは、養子後に生まれた男児を通常の皇族の子と同じように扱うのか。

ここが、旧宮家養子案をめぐる今後最大の注目点です。

作成者: 理屈コネ太郎

元消化器内視鏡医・産業医。現在は社会・人間行動・構造分析をテーマに執筆活動を行う。定年退職後はヨット・ボート・クルマなど趣味と構造研究の日々を過ごす。

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